物語『賢者とミカド』(2019年版)


遠くて、近い昔の話。

 その昔、この大きな島には、小さな村や邦(くに)がたくさんありました。その村や邦同士で、度々、争いが起きました。ただ、自分たちの住む場所の個性を大事にして、自負を持っていましたし、ときには、相手のよさを尊重する姿勢を持っていました。仲直りして、一緒にお祭りするなど、交流を図ることもありました。

 しかし、あるとき、島の内の一つの大きな邦が、強大な武力に物を言わせて、バラバラだった村や邦を一つの国にまとめようと始めたのです。名目は、争いのない平和な世界を作ることだそうです。
その邦は、島の西部に位置し、大きな平野部にありました。温暖な地で、大きな氾濫のない川や海に恵まれ、地盤も安定していたので、比較的安定して多くの作物が取れました。それで、飢えや災害で、多くの人が死ぬことがありませんでした。そして、いつしか、強い指導力のある指導者が現れ、多くの村や邦を一つにまとめ始めました。自然と指導者とその側近たちに富が集中していき、貧富の差が生まれました。ただ、その指導者は、指導力と人間性に魅力があったそうで、従う者が多く、強力な軍隊もできました。その軍は、武力に物を言わせて逆らおうとする者を鎮圧していきました。 
 そして、その邦はどんどん大きくなって、「国家」と言われるようになりました。その国家では、同じ通貨で交流でき、人の行き来も盛んになりました。富を持つ者が増えました。それはとても便利で、素敵なことに見えました。幸せそうに見えました。しかし、多くの人の表情をよく観察してみると、どうやらそうでもないようです。辛そうな表情をしている人も多いのです。動きたくもないのに動かされる人、無理矢理一つの場所に押し込まれて、急に隣人たちと仲良くすることを強要され、とにかく商品を生み出すために働かされました。少しでも争いが起きようものなら、軍が黙ってはいません。血が流れるようなら、関わったものたちは、全て、強固な土壁とたくさんの兵士に囲まれた牢獄に放り込まれ、場合によっては処刑されました。
そういった犠牲があったにもかかわらず、都合の悪い真実は闇に隠されたまま、その西の国家は、どんどん膨張していき、この島の大半がその勢力下になりました。いくつかの小さな邦や村が残っていましたが、いつ西の国に飲み込まれるか時間の問題という状況でした。
そんな折、西の国の強力な指導者は、自らのことを「ミカド」と名乗るようになりました。ミカドとは、彼が生まれ育った地域に古くから伝わる神話の中に出てくる神様の一人の名前だそうです。その神話の中では、「ミカド」は愛しき者を守るために闘い、平和な世に導く「闘神」なのだそうです。


 今や、ミカドの手が及んでいない地は、東の一部と北部のみとなりました。まず、西から近くて、温暖な東の地が狙われました。そんな折、その東の邦に住む人々が皆で集まり、話し合いをすることになりました。闘うべきか、降伏すべきか、夜を徹して話し合いが行われ、結果、他に助けを求めることになりました。
 北の地のある村に住んでいるらしい「大雪(たいせつ)」という名の賢者で評判の老人に助けを求めようということになりました。何でも、この大雪が間に入れば、争っていた者同士が仲直りするのだそうです。早速、東の邦人(くにびと)の数人が北の大雪の村へと向かいました。大雪のいる村は、一面が深い雪に覆われた、とても美しい景色の村でした。東の邦人たちの道中は寒さのため厳しいものでしたが、村に入ると、その美しい景色と村人たちによる温かい歓待を受けました。事情を話すと大雪にもすぐに会えるように取り計らってくれました。
 大雪は、体つきも顔も細く長く、逆立つ髪で、顔は赤く、いかにも人参のようでした。ただ表情はにこにこしており、穏やかな印象でした。東の邦人たちはそれを見て、安心感を得ました。早速、東の邦が置かれている状況を語り始めました。助けに東の地まで来てもらえないかと願い出ました。終始にこにこしながら静かに聞いていた大雪は、よろしいとすんなりと了承しました。ただ、意味深な言葉をポツリとこぼしました。「まあ、おそらく私が行っても、その者の意識が変わることはないだろうけどね。ですが、話すことはできますし、周りの状況を変える切っ掛けにはなるでしょう。」
 そして、大雪と東の邦人たちは共に東へと向かいました。
 長い道中を終えた大雪一行が入った東の邦では、ミカドの勢力が益々勢いづき、その軍勢が征服しようと迫っておりました。しかも、ミカド自ら指揮しているとのことでした。度々、東の邦に降伏を迫る使者が出入りしていました。その度ごとに断ってきましたが、終に最終勧告となりました。
東の邦の人々は動揺しました。しかし、大雪だけは、平然としておりました。慌てふためく東の邦人(くにびと)に「まあ、慌てなさんな。」と気楽に声かけをして、道中の疲れもあったのでしょうか。今晩は休ませてほしいと願い出ました。ミカドの使者が返答を聞きに来るのは明朝だったので、とりあえず大雪の言う通りにすることにしました。


翌朝、ミカドの使者がやってきました。大雪は率先して、使者と向き合い話し合いに臨みました。自分をミカドに会わせてほしいと頼みました。使者はそれはできないと拒みました。すると、大雪は、自分は北を代表して来ているから、自分と話し、自分を取り込めば、北の領地がミカドのものになるだろう。そうなれば、使者の手柄にもなるだろう、ということを伝えました。それを聞いた使者は、「まあ、いいだろう。」と内心に込み上げる野心を抑えながら、しぶしぶ承知したという表情を見せました。
そうして、大雪と賢者は会うことになりました。初め、ミカドは会う気はないと拒む姿勢を見せていましたが、使者から例の話を聞くと態度を変えました。

間もなく、会談の場がもたれました。会談の場で、大雪はミカドに開口一番、「あなたは何がほしいのですか? 土地ですか? 富ですか? それとも争いのない平和な世ですか?」と尋ねました。
ミカドは「無論、平和な世だ。そのためには、土地が必要で、富も必要だ。平和な世を作り上げるというのは心労の多いことなのだ。それに見合うだけの報酬がなくてはいかん。特に家臣、兵士たちには必要なのだ。」と応えます。
すると、大雪は「争いのない平和な世が幸せなのでしょうか?又、国が一つにまとまり、バラバラでなくなると皆が幸せになるのでしょうか?」と返しました。
ミカドは大雪を気狂いかと疑いました。衛兵に捕らえさせるため目で合図を送ろうとしたその瞬間、大雪は少し大きめの声を上げ話し出しました。「もし私に傷を負わせれば、北の地はそう簡単に手に入らなくなりますよ。私への北の村人からの信頼は厚いので。」
ミカドは身構えました。頭の中で考えを巡らせました。「この男!私の心を読んだのか? この者が言うことはハッタリかもしれないが、本当なら無駄な労力を強いられることになる。とりあえず、もう少し様子を見よう。」
一息ついて、大雪は続けます。「あなたと私は違いますね。」
「まあ、そうだな。」そんな当然のことを諭すように言いやがってと内心はイライラしながら平然を装い、応えました。すると大雪は「それなら、それでいいと思うんですね。それは、この大きな島にあるたくさんの村や邦にも言えることだと思うのです。わざわざ一つの国にまとめなくてもよいかと思いますよ。」
透かさずミカドが言い返します。「何を言っている?! それなら争いが絶えぬ。平和の世にならんではないか!」
大雪は眉一つ動かさずに平然と応えます。「それは仕方のないことでしょう。違う者同士が出会えば、ケンカなどの争いになることはあります。放っておくのがよろしいかと。当人同士で解決してもらうのがよいのです。下手に手を出すとややこしくなりますよ。小さな火は一気に広がり、余計な血が流れます。」
ミカドは納得できない顔つきで、「だが、弱い者が一方的に抑えつけられ、苦しい目に会っていたらどうする?助けるべきではないか?」と投げかけます。
大雪は直ぐに返答します。「たぶん、できることがあるとすれば、助け舟を出すくらいですね。まあ、つまり、逃げ道を教えてあげることくらいです。それに乗るかどうかは本人の意志に任せるべきです。下手に手を出すと、ややこしくなりますでしょう。もし、痛めつけられている者が自らの意志で動けない立場にあるなら、手をとって共に逃げるか、痛めつけている方の者に痛めつけないように訴える、あるいは、何かしらの行動によって、その気をなくさせる。そういうこともできるでしょうが。かと言って、深く関わり火種を大きくすべきではないですし、何より身の安全も大事ですし。」
ミカドの眉は、益々つり上がります。
「それでは回りくどくないか? 例え共に逃げたとしても、襲われるぞ。」
大雪は「余計な火種が増えるよりはよいでしょう。」と応え、涼しげな顔つきをしております。
ミカドは不満感を露にして「馬鹿馬鹿しい。お前と話していても埒が明かぬな。もう話は終わりだ。」と吐き捨てました。
すると、大雪は軽く深呼吸して「万が一の手として、あるとしたら・・・ 話しても伝わらないのなら、手にかけることもあってもよいとも思うのです。」と静かに言い放ったのです。


その場を立ち去ろうとしたミカドは大雪の言葉を聞き、立ち止まり、大雪の顔をまじまじと見つめます。そして、ほくそ笑みながら
「可笑しなことを言い始めたな。先ほどまで血を忌み嫌っていた御仁が、そんな血を流してもよいという言い方を?前言撤回か?
ならば、我々と考えは同じではないかな? 平和を築くために血を流す必要があるということだろう?」

大雪は平然と応えます。「私は、初めから争いをしては駄目だとは言っていません。あくまで、無用に血を流すことや争いを避けるべきだと言ったのです。巻き込まれたくない人々も巻き込むなということです。争いたい者同士が争うのは、それはそれで仕方のないことだということです。その争いで、どちらかが死ぬのが流れであるなら逆らわない方がよいということです。いずれ人は死ぬものです。ただ、人の命は死ねば終わりです。その後の世界がどうなっているのか、私には分かりませんが、むやみに命のやり取りをしない方がいい。もし、相手に刃や拳を向けるのなら、それはそのままこちらに返ってくるという覚悟を持つべきです。現代は、覚悟もない人間が多い気がします。」
ミカドは憤然とします。「余が、そんな覚悟もない人間に見えるということか?!」
大雪は冷静に「そんなことは言っていません。ただ、あなた自身ばかり、覚悟が強すぎて、周りがついて行っていないと見えてしまうのです。」と返します。
「ついて来てもらうしかないだろう。そして、それをできるようにするのが、ミカドである私の力にかかっているのだ。」
大雪は静かに話し続けます。「あなたは、何でも背負いすぎではないですか? 一度全てを放り出してもよいと思いますよ。」
「上から見下ろすような台詞を吐くな!」とミカドの顔は赤くなるばかりです。
大雪は大きく息をして「何を言っても効かない御仁というのはいるものですね。」と諦めたような言いぐさで応えます。
ミカドは狐のような細い目でジロリと大雪を見ました。「何だと?」
大雪は淡々と静かに「馬耳東風・・・」と呟きます。

その言葉が小さいながら周辺に確かに響くや否や、それまでじっと黙って立っていた衛兵たちが大雪の周りに集まり、刃を向けました。すぐにミカドはそれを手で合図し制します。
続けて、「いいだろう。それが望みならかなえてやろう。」と自らの刃を大雪の首元に突きつけました。
大雪は特に慌てず「無防備な私を殺せば、あなたの名に傷がつきますよ。」と言ってのけます。

「何を今さら、命乞いか? 命のやり取りを望んだのはそちらのほうだろう?」

「私は武器を持っていませんよ。」

「お前が剣を持ったところで私に勝てる訳がないだろう。何せ私はミカドだからな。」

「北の地はどうしますか?」

ミカドは「お前は道中で死んだことにして、力尽くで手に入れればよい。大した労力にはならないはずだ。」と吐き捨てるように言います。

「どうやら、お見通しのようですね。しかし、その過信は後悔を生むことを忘れてはなりませんよ。」大雪はまたしても動揺しません。

ミカドは憤慨しました。「黙れ!諭すような言い方ばかりしやがって。お前に上に立つ者の苦しみが分かるか?」

「分かりませんね。私は上下の区別のない世界でずっと生きてきたので。」少し間を置いて、「どうでしょうか? あなたも同じ世界に来てみては? たぶん気が楽になると思いますよ。この大きな島を一つにまとめるということは、かなりの労苦を強いられることでしょう。あなたが抱えるものは大きすぎる。でもそんな必要はないのではないですか? この島にたくさんの村や邦があって、それぞれに指導者のような存在もいるでしょうが、責任は分担すればよいのでは?」

ミカドは顔をしかめて突きつけた刃を外しました。

大雪は続けます。「争いなど、無理になくす必要はないのですよ。あなた自身が楽になる生き方をすればよいのですよ。」
ミカドは目を閉じました。心の中で迷いが生じたのでしょうか。ですが、目を開け、その刃を大雪の首元めがけて、一斉に振り下ろしました。

次の瞬間、ミカドの体は赤く染まりました。

間もなく、伝令の兵士がミカドの陣に駆け込んできました。伝令が伝えたのは、何でも、ミカドが直接治める西の地で反乱が起きたとのことでした。不本意ながらミカドは、東の地を引き上げなければならなくなりました。
こうして、とりあえず東の邦は危機から解放されました。
西の地へ引き返す途上、ミカドは、大雪との問答を頭の中で巡らせていました。「私に間違いはない。この道を進むのが正しいのだ。あいつが言っていたことが正しいなら、今まで流れてきた兵士たちの血が意味のないものになってしまうではないか。」

このときを境にして、ミカドは度々、頭痛に悩まされるようになり、表情も険しくなることが多くなりました。側近たちの間では、気狂いでもされたかと、噂が立ちました。それは自然とその他の家臣たちにも伝わっていきました。恐ろしくなって離脱する者も出てきました。そして、それまで以上に、支配下のあちこちで反乱が相次ぎました。
ミカドの表情は一層険しくなり、周辺の者を遠ざけました。それまで側近たちと評定で決めていたこともしなくなり、自室に篭り、独断で決めることが増えました。
側近たちは、「これは気狂いになられたとしか考えられん。以前、北の地から来たという妙な老人に呪いをかけられたに違いない。」とささやき合いあいました。
一人の側近が「何と御いたわしいことか。このままでは、あの方にとっても、この国にとってもよくない。安らかに眠って頂こうか。その後のことは、我々が話し合いで決めていけばよい。ミカドの後継者はとりあえず誰でもよいではないか。言いなりになる者を据えておけば。」と提案しました。他の側近たちも了承しました。

数日後、ミカドが死去したことが公に知らされました。死因は過労によるものというのが公の知らせでした。そして、ミカドの居城周辺の町では噂が立ちました。悪魔に取りつかれたのだと。
又、ミカドは死ぬ直前、寝床で熱にうなされながら「私は何をしてきたのだ。何のために生まれてきたのだ。もう一度生き直したい。」と何度も繰り返し呟いたそうです。

その後、西の国家では、側近たちの話し合いで何でも決められるようになりましたが、家臣たちの離脱や、各地の反乱が後を絶ちませんでした。


再び島は分裂し、昔のような状態に戻りつつありました。
ただ、大きな血に染まる争いは減り、多少の言い争いやケンカなど、いさかいは尽きないものの、仲直りすことも増えました。
違う邦(くに)同士の交流を深めるお祭りも増えていきました。
血で染まる争いはどんどん減っていきました。

ミカドの国に攻められていた、東の邦人(くにびと)たちは、「あの大雪という御仁のおかげだろうか?まさに賢者様ですな」と囁きあったと言います。
また、その賢者「大雪」と同じ顔つきの老人を、北の大地にて見かけたという話が、何人かの間で囁かれていました。
しかも、どうやら老人は一人だけではないというのです。同じような顔つきの老人をほぼ同時期に、別々の遠く離れた場所で見かけたという噂が広まっていたのです。
〔了〕


(※この作品は、2013年に筆者自身が執筆した作品に修正・加筆したものです。新たに発表させて頂きました。描かれている世界は全てフィクションです。)

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