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C.G.ユングを詠む(007)-アニマ

C.G.ユングについて、河合隼雄先生が表された「ユングの生涯」の読後メモの7回目。

1~19項は、以前の投稿。文末にリンク先を掲載。

20.老賢者フィレモン
この項は、ユングのいう元型のうちOld Wise Man 老賢者「フィレモン」の話になる。

意識と無意識の階層構造:「運命のシナリオ」の口絵から作成

意識の階層図で、“Old Wise Man 老賢者”のところになる。
ユングが自分の意志の力よりも、無意識の動きに身を任せようとしてから、老賢者が夢によく現れるようになったという。

ユングはこの老賢者に「フィレモン」と名をつけた。「フィレモン」は自我より高いものと認識して、彼に頭を下げることを体験する。

『自伝』には、こう描写されている。

「蒼空であった。それは海のようで、雲でおおわれているのではなく、平たい茶色の土くれでおおわれていた。それはまるで土くれがわれて、海の青い水がそれらの間からあわれて来つつあるかのように見えた。しかし、その水は青い空であった。
突然、右側から翼をもった生物が空を横切って滑走してきた。それは牡牛の角をつけた一人の老人であるのを私は見た、彼は人束の四つの鍵を持っており、そのうちのひとつを、あたかも彼が今、錠を開けようとしているかのように握っていた。彼はカワセミのような、特徴的な色を持っていた。」
46%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

ユングはフィレモンと対話すると、ユング自身では到底知らないことや、思ってもみなかったことを言うことに気がついた。

「彼は考えを自分で作り出したように扱うけれど、彼の観点からすれば、考えは森の中の動物や、部屋の中にいる人々や、空中にいる鳥のようなものであると彼は言った。
(中略)
『あなたが部屋の中にいる人々を見た時、あなたがその人々を作ったとか、あなたが彼らに対して責任があるとか思わないだろう』と付け加えた。46%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

21.アニマ
ユングは自分の無意識の中の一つの人格に女性がいることに気づいた。彼女も元型としてアニマと名付けた。

アニマは色々な女性像として、その側面を示し、男性の意識に対して、無意識界の情報を送り込んでくる。それらのアニマ像は無意識界への仲介者であるのだ。47%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

いかなる元型にもアクセスしたことのない私には、体験できていないことだ。

アニマとの対話はユングにとって議論、論争的であったようだ。その内容は、「ユングの生涯」にはあまり詳しくは書かれていないので、「ユング自伝」で確かめてみたい。

ユングの内的世界のアニマとの論争のためには、実在の女性の支援が必要と感じたようでその役に当たったのが、元々は抑うつ症の患者としてユングのもとを訪れた人で、トニー・ウォルフという、後に愛人といっていいのか親しくなる女性だった。

とにかく、内面の旅への伴侶として彼女が必要であったという。ユングの内面の葛藤をサポートするセラピスト的な存在であったのではないかと私は想像する。

しかし、外見的な美貌の持ち主ではなかったようであるものの、女神のような人であったと弟子の一人であるバーバラ・ハナはのこしている。

ユング夫人が母性的な女性であったのに対してトニー・ウォルフはアニマ的な女性であったらしい。47%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

ユング夫人とトニー・ウォルフの関係は、衆目の関心を集めるところだろう。「ユングの生涯」には明確なエピソードは書かれていない。こちらも「ユング自伝」で調べてみたい。

ユングはよくこう言ったそうだ。

「嫉妬の中核は愛の欠如である」48%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

どうも、ユングの家庭では愛が溢れており欠如してなかったようである。ユング夫人は晩年にユングとトニー・ウォルフとの関係をこう語ったとのこと。

「彼はトニーに与えるために私から何かを取ることは決してなかった。彼が彼女に多く与えれば与えるほど、彼は私により多くのものを与えてくれるようであった。」48%

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トニーは、1953年65歳で死ぬまでユングとの親交を続けた。年齢差は13歳下であった。

私は、ユング夫人のように寛容で器でかくないな。

22.無意識との対決の収束
1916年頃には、無意識との対決は収束を迎えつつあった。

彼の内面的体験は、『死者への7つの語らい』に著されている。1912円頃から始まった無意識との対決は凄まじかったようで、この対決を生き切ることで、ユングの心理学の基盤が完成したとされる。

「ユング自伝」では、こう記されている。

「すべての私の仕事、創造的な活動は、ほとんど50年前の1912年に始まったこれらの最初の空想や夢から生じてきている。後年になって私が成し遂げたことの全て、それらの中に含まれていた。」49%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

『死者への7つの語らい』の邦訳は、「ユング自伝2」の付録として収録されている。これはユングの死後に発表された著作になる。

ユングの成し遂げたことの全てが含まれているのであれば、次回は先に『死者への7つの語らい』の感想を書いてみる

<<<<投稿済の内容>>>>

⭕️C.G.ユングを詠む(001) 
1.Carl Gustav Jung (1875-1961)
⭕️C.G.ユングを詠む(002)-自伝
2.ユングの自伝
3.ユングの故郷スイスについて
4.両親の影響
5.三歳で見た六十五歳まで秘密にした夢
6.ユングの子供時代の秘密
⭕️C.G.ユングを詠む(003)-少年期
7.変わり者ユング少年
8.もう一人のユング
9.牧師であるユングの父との葛藤
10.ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響
⭕️C.G.ユングを詠む(004)-人格No1と人格No2
11.人格No1が主であり人格No2はNo1の影
12.父親の死
13. ブルグヘルツリで出会った患者
14.結婚
⭕️C.G.ユングを詠む(005)-フロイトとの交流
15.精神分析-フロイトとの交流
16.夢分析-フロイトとの交流
17.フロイトの彼の弟子たちへの評価
⭕️
C.G.ユングを詠む(006)-無意識との対決
18.「お前の神話は何か」―無意識との対決
19.ユングの心象風景

C.G.ユングを詠む

今回はここまで。私のバイアスのかかった気づきなので、わかりにくかったり、初歩的すぎるところはご容赦願いたい。ご興味を持たれたら、河合隼雄先生の「ユングの生涯」を手にされたい。

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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
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