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C.G.ユングを詠む(008)-プレロマとクレアツール:『死者への7つの語らい(1916)』から

『死者への7つの語らい(1916)』

この著作はユングの生前には、友人に配布されただけで一般への公開はされなかった。

『死者への7つの語らい』の邦訳は、「ユング自伝2」の付録として収録されている。これはユングの死後に発表された著作になる。

2世紀の初期に実在したグノーシス派の教父バシリデスが、エルサレムから帰ってきた死人たちに教えを説く形式で書かれている

河合隼雄著「ユングの生涯」によるとこうある。

「すべての私(ユング)の仕事、創造的な活動は、ほとんど50年前の1912年に始まったこれらの最初の空想や夢から生じてきている。後年になって私が成し遂げたことの全て、それらの中に含まれていた。」49%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

ユングの心理学的基盤が完全に出来上がったものと評されるので、『死者への7つの語らい(1916)』を先読みしてみた。

◎ユング自伝付録Ⅴ、Ⅰ章
こんなふうに始まる。

死者たちは、探し求めたものを見出せず、エルサレムから帰ってきた。彼らは私(教父バシリデス)の家に入り、教えを得ることを願った。そこで、私は教えを解き始めた。

 聞け。私は無から説き起こそう。無は充満と等しい。無限の中では、充満は無と同じだ。無は空であり充満である。無について、お前たちは何とでもいうことができる。例えば、それは白いとか黒いとか、それは存在していないとか存在するとか。P244

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ユング自伝2

この著作は1916年ごろのもの。というわけで、リヒャルト・ヴィルヘルムが道教の錬金術の論文をユングに送ってきたのが、1928年なので東洋思想の陰陽論とか太極論的な考えを知っての上で書いたのではないと思われる。

次に出てくる「プレロマ」という概念は、陰陽論とか太極論的なものである。禅問答のようなところもある。

この無あるいは充満を、われわれは「プレロマ」と名づける。その中で、思考と存在は停止する。

不滅にして無限なるものは、何らの特性も持たないからである。その中には何物も存在しない。もし存在すれば、それはプレロマから区別され、それをプレロマと異なる何ものかとなさしめる特性を持つことになるからである。
 プレロマの中には何ものもなく、またすべてのものがある。

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ユング自伝2
 

狐につままれたような話である。最新の宇宙論でわかってきた『真空は何もない空っぽではなくて“真空のエネルギー“が満ちていること』をイメージしてしまう。

次に「クレアツール」という概念が出てくるCREATURとつづるのでドイツ語では生き物のことのようだが、もっと広い意味で使っている言葉のようである。

「クレアツール」はプレロマの中にはなく、それ自身の中にある。プレロマはクレアツールの始めであり、終わりである.

プレロマは、日光が空中の何処も満たしているように、クレアツールに浸透していく。プレロマは至る所に浸透するが、クレアツールはそれを分有するものではない。

それは全くの透明体がそれを通過する光によって、それ自身は明るくなりわけでも、暗くなるわけでもないのと同様である。

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ユング自伝2

しかし、我々はプレロマそれ自身である。というのは、我々は不滅にして無限なるものの一部であるから。

しかしながら、我々はプレロマを分有せず、それから果てしなく遠く、空間的時間的にではなく本質的に遠ざけられている。

その「本質的において」、我々は時間的、空間的に限定されたクレアツールとして、プレロマから区別されている。

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ユング自伝2

何を意味しているかよくわからないが、我々は時間的、空間的に有限のサイズと寿命のある存在であって、我々を構成する広く宇宙を構成する物質のように永遠ではないということとでも理解しておくとする。

ここに疑問が生じる。すなわち、クレアツールはいかにして生じるのか。生物は生じてくる。

しかし、クレアツールは生じてくるものではない。

なぜならば、クレアツールはプレロマ自身の特性であり、永遠の死である非創造がプレロマの特性であるのと同等である。

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ユング自伝2

この説明からすると、クレアツールは生物より上位の概念のようである。そして、クレアツールである人間は区別する。要は分析してアレとこれは違うものだと本来存在していないプレロマの特性を定義していく輩だと言っているようである。

区別するものはクレアツールである、それは区別されている。区別することはその本質であり、従って、それはまた区別する。

かくて、人間は区別する、彼の本質は区別することであるから。従って、人間はプレロマの特性をも区別する。それは存在しないのであるが、人間は自分自身の性質に従ってプレロマの特性を区別する。

従って、人間は存在していないプレロマの特性について語らねばならない。

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ユング自伝2

区別しないことは、クレアツールにとって死であるとも言っている。クレアツールの本質の原理は、「個性化の原理」(PRICIPIUM INDIVIDUATIONIS)と言われる。

例えばこんな「対立の組」が例示される。

活動と停止
充満と空
生と死
異と同
明と暗
暑さと冷たさ
エネルギーと物質
時間と空間
善と悪
美と醜
一と多

これらの「対立の組」はプレロマの特性であり、それは違いに相殺されている故に存在しないものである

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ユング自伝2

+と−の電荷が打ち消しあっているのに無理に分離して、区別をつけていると例えればよさそう。そして、片方のみを追求したくても「対立の組」の相手側を無視することはできないと言いたいようだ。

電荷よりも磁極の方がより良いメタファーだろう。N極だけS極だけ単独で取り出すことはできない。必ずセットで現れるのが磁石のN極とS極であるように、「対立の組」の対極はふるまうようだ。

我々が善とか美とかを切望する時、我々は自分の本質、つまり区別することを忘れ、対立する組であるプレロマの特性の手におちいる。我々は善とか美とかに達しようと努める。しかし、我々は悪と醜とをつかむことになる。それは、プレロマの中では善とか美とかと一体になっているからである。

しかしながら、我々が自分の本質、つまり区別することに忠実であるならば、我々は美か善とかと自分を区別し、従ってまた悪とか醜とかからも区別することになり、我々はプレロマ、すなわち無とか消滅とかの中に落ち込むことはない。

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ユング自伝2

私たち人間は相違を求めたがるが、「自身の本質」を求めるべきであると書かれている。

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⭕️C.G.ユングを詠む(001) 
1.Carl Gustav Jung (1875-1961)
⭕️C.G.ユングを詠む(002)-自伝
2.ユングの自伝
3.ユングの故郷スイスについて
4.両親の影響
5.三歳で見た六十五歳まで秘密にした夢
6.ユングの子供時代の秘密
⭕️C.G.ユングを詠む(003)-少年期
7.変わり者ユング少年
8.もう一人のユング
9.牧師であるユングの父との葛藤
10.ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響
⭕️C.G.ユングを詠む(004)-人格No1と人格No2
11.人格No1が主であり人格No2はNo1の影
12.父親の死
13. ブルグヘルツリで出会った患者
14.結婚
⭕️C.G.ユングを詠む(005)-フロイトとの交流
15.精神分析-フロイトとの交流
16.夢分析-フロイトとの交流
17.フロイトの彼の弟子たちへの評価
⭕️C.G.ユングを詠む(006)-無意識との対決
18.「お前の神話は何か」―無意識との対決
19.ユングの心象風景
⭕️C.G.ユングを詠む(007)-アニマ
20.老賢者フィレモン
21.アニマ
22.無意識との対決の収束

C.G.ユングを詠む

今回はここまで。それにしても東洋思想である陰陽論とか太極論的な考えを知る前に「プレロマ」という概念を表していて、その内容が最新の宇宙論でその存在が確実視されている「真空のエネルギー」を示唆しているようなあたり何を透視している人だったのかと畏敬の念をもつ。

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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
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