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小ホラ 第42話

赤い袋


 ある路地に血の滴る赤い袋を提げた怪人が出るという。
 中には子供の臓器が入っているらしい。
 怪人の正体は自分の子供の手術に失敗して狂った医者だとか、普通では扱えないものを薬にしている薬売りだとか言われている。その薬は不老不死なのだそうだ。
 だがこれは昼休み、怖い話を語っていた洋介がネタ切れで作り出したウソだった。
 とっさに思いついた話だが、それを聞いた昌也の顔から血の気が引いた。
「ぼ、ぼくきのう見たよ、塾に行く時。ミケおばちゃんの店から二つ目の角を曲がった路地で」
 ミケおばちゃんの店とはみんながよく行く駄菓子屋のことだ。三毛猫のミケを飼っているからミケおばちゃん。
「うそだぁ」
 まず祐明が否定した。みんなより身体が小さくて一番弱虫だったから怖かったのかもしれない。
「ほんとだよ。顔はうつむいてて見えなかったけど、汚い白衣着た背の高い男の人だった。血みたいな汁がぽたぽた垂れてる赤い袋を持って電柱の陰にじっと立ってた」
 昌也はそれを思い出したのかぶるっと身震いした。
「それで?」
 洋介は一番気の合う昌也が自分のウソ話をフォローしてくれているのだと嬉しくなって続きをうながした。
 昌也は洋介の顔を見てうなずき、
「前を通り過ぎようかどうしようか迷ったんだけど、ぼく怖くて引き返したんだ」
「昌也でも怖かったんだぁ――」
 祐明が唖然となり「そんなのに出会ったらぼくどうしたらいいのぉ」と泣きべそをかいた。
「逃げればいいだけじゃん。昌也みたいに」
 律子が笑う。
「でもぼく足が遅いもん。追いかけられたらきっとつかまっちゃう。そしたら、そしたら――」
 祐明も洋介と同様想像力が豊からしく、頭の中で自分の身体が解体されているところを思い浮かべているのか、そこからしゃべることができなくなった。
「ウソだよ。全部ウソ。こいつら二人してうちらをだましてるんだよ。なっ」
 疑り深い律子が洋介の背中をどんっと叩いた。女だてらに律子の力は強く、洋介は痛さに顔をしかめた。
「ウソじゃないよ。ホントだよ」
 先に昌也が反論した。
 実際のところ、もういいよと思った。これ以上強く言うとこじれてしまって、結局ウソだと白状しても気まずくなる。
「そんなの、いないよっ」
 今まで黙って聞いていた克彦が突然大声で否定した。
 洋介を含めみんな克彦を振り返る。
「ご、ごめん、急に。ぼくも怖くなっちゃって――」
「だよねぇ、いないよねぇ」
 仲間を得た祐明が安心の笑顔で克彦と腕を組んだ。
 克彦は転校したてで、家庭の事情があるのかちょっと暗くて薄汚かった。当然クラスに溶け込めず、担任の藤田先生にグループに加えるよう頼まれたのだ。
 まだまだぎこちない仲間だったけれど、今ので祐明に認知されたみたいだ。
 洋介は自分のウソが少しでも人の役に立ったのだと思った。
 だが。
「ホントだよ。ホントにいたんだってばっ」
 昌也、まだ言ってる。
 洋介はこじれた後で律子に殴られるのが怖くて、今すぐ白状することに決めた。
「もういいよ、昌也。
 みんなごめん。これはぼくのウソでしたー」
「だろ? うちはわかってたよ」
「なんだぁ、よかったぁ」
 律子と祐明はすぐ笑って許してくれた。
 やっぱいい仲間。こういうところ好きなんだ。
 だが、昌也の顔は引きつったままだ。
「ウソって何? 洋介も知ってたんじゃないの? ぼくは本当に見たんだよ」
「もういいよ。君こそぼくにノッてくれたんだろ? ありがと。やっぱ親友だね」
 洋介は昌也の肩をぽんぽん叩いた。
 だが、昌也は今にも泣きそうな顔で首を横に振り続けていた。
 
                 *

  放課後、洋介はみんなと別れ、帰路につきながら昌也のことを考えていた。
 あれはとっさに思いついたウソ話で、みんなにも白状したのに、なぜあいつはあんなに怖がっているのだろう。
 もしかして本当に赤い袋を持った怪人が存在するの?
 まさかね。だってあれはぼくの作った空想上の人物なんだから――
 通学路の途中にあるミケおばちゃんの店へとだんだん近づいていく。
 店は昔のままの日本家屋で、今でも店先に昔ながらのポストが置かれている。駄菓子の陳列棚も昔の木製のもので、お母さんはレトロな感じがいいと気に入っていて、ここでならたくさん駄菓子を買ってくれた。だから洋介もこの店が大好きだ。
 前を通り過ぎる時、店先で眠るミケがあくびをした。
 夕飯の準備でもしているのか、おばちゃんの姿はない。
 ミケの頭をひと撫でしてから歩を進め、一つ目の角を通り過ぎる。
 確か、二つ目の角って言ってたっけ。
 自宅は三つ目の角を曲がるのだが、昌也の言葉を思い出し、洋介は試しに二つ目を曲がって板塀に囲まれた路地を数メートル先まで進んだ。
「あっ」
 電柱の陰に背の高い男の人が立っていた。
 昌也の言う通り、汚い白衣を着て、左手にぽたぽたと赤い汁の滴る袋を提げている。
 ほ、本当に怪人がいたんだ。
 あまりの驚きで洋介は動けなくなった。

 こっちに気付いた怪人がすっと右手を上げた。その手の中にきらりと光るものが見えた。
 メスだ。
「ぼうや、手術させてくれるかい? おじさん、猫ばかりじゃ練習にならないんだ」
 目やにを積もらせた両目は焦点が合っておらずどこを見ているかわからない。だが、洋介に話しかけているのは確かだ。
「や、やだよ」
 洋介は首を横に振った。
「お願いだ。おじさんはね、もう失敗できないんだ」
 怪人の左手が緩んで、持っていた袋がどしゃっと地面に落ちた。かすかに猫の鳴き声が聞こえる。
 電柱の陰から離れた怪人がふらふらと洋介に近付いてくる。
 逃げなければ。でも、足が動かない。
「やめてよっ」
 突然後ろから声がした。
 振り返ると角に克彦が立っている。たたっと走ってくると、かばうように両手を広げ、洋介の前に立った。
「克彦君」
 自分を守ろうとしてくれる友人に洋介は感動したが、次の言葉を聞いて愕然とした。
「お父さんはもう医者じゃないんだ。手術の練習なんてしなくていいんだよ」
「お、お父さん?」
「驚かせてごめんね、洋介君。怪人の正体はお父さんなんだ。君が知っているなんて知らなかった」
「ち、違っ、あれは本当にぼくの空想で――」
 だが地面にくずおれて泣きじゃくる克彦の耳にその言葉は届いていない。
「お父さんはすごい外科医だったったんだ。でもミスをして手術中に患者さんを死なせてしまった――」
 それを聞いて怪人の膝も崩れ落ちた。
「お医者を辞めさせられて、怒ったお母さんが家を出て行って、住んでた街にいられなくなって――うううっ」
 涙と鼻水にまみれ顔がぐちゃぐちゃになった克彦の肩を洋介はぽんぽんと優しく叩いた。
「克彦君のお父さんは悪くないよ。
 確かに患者を助けるのはお医者の仕事だけど、でも全員助けることなんて、できっこないんだから」
 そんな言葉が救いになるのかわからないが、一生懸命なぐさめた。
「ありがとう。洋介君はとても優しいね。でもね、みんなはお父さんを許さなかった。責めて責めて責めまくったんだ。だから、お父さんの心は壊れてしまった――」
 そう言うと克彦は地面に泣き伏す怪人――自分の父親に走り寄り、その背中を優しくなでた。
「克彦君――」
「確かにお父さんは赤い袋を持っているけど、これ子供の臓器なんかじゃないんだよ。その――野良猫を手術の練習に――かと言って許されることじゃないんだけど」
「うん。わかったよ、克彦君。ぼくなにも見なかったことにする。だって怪人の話は本当にぼくの空想だったんだから。昌也にも見間違いだったってことで納得させるし、きっと大丈夫」
 洋介は視線を父親に向けた。

だからおじさん、克彦君のためにも、もう猫殺しはやめてください」
 父親は泣きながら何度もうなずき「ありがとう、ありがとう」と繰り返す。その背中を克彦は優しくなで続けた。

 
「いい友達ができてよかったな」
 ボロアパートの敷地内にひっそり猫の死骸を埋めていた克彦の背後で父が言った。
 克彦は振り向いて笑顔でうなずく。
「お父さん、もう手術の練習しないでね」
「わかった。もうしないよ――でも――でもな――手術が出来なければお父さんはお医者に復帰できない――復帰できなければお前を養っていくこともできない――だから――だから――手術の、手術の練習を――しなければ――」
 自身の手を見つめる父の目がだんだん焦点を失っていく。
「お父さんっ!」
 克彦が叫んだ。

「はっ、ごめん、ごめん。大丈夫、大丈夫だ。手術の練習なんて二度としないぞ。
 でもな、生きていくためにはお金が必要だろ?
 それでお金になる方法をこの人が教えてくれて――」
 そう言いながら後ろを振り返る。
 そこには編み笠を被り行李こうりを背負った男が立っていた。
「この人がお前を高く買い取ってくれるそうだ。子供の臓器はいい薬になるんだって――」
 薬売りがにこやかに微笑み、血の滴る赤い袋を高々と持ち上げて、呆然としたままの克彦に見せた。

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