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職場と価値観が合わなくとも、お首にも出さず続けなきゃいけない中で

出勤初日から違和感を感じ、二日目にはやめたいと思った

今の職場に初めて出勤したその日、強い違和感を感じたことを覚えています。
どよんとした閉鎖的な空気、他人に無関心な社員たち、無言を通り越して(勘違いかもしれないけれど)どこかひりついている気がする空気。その中で初めて言い渡されたのは、全社員がネットで閲覧できるメールを、あえて印刷して回覧するという業務でした。
家に帰る電車の中で「あぁ、やっぱりこういう環境なんだなぁ。考え方を合わせなきゃなぁ」と、今までの自分の価値観を忘れる決意をしていました。忘れれば何とか上手くやれると考えていましたが、翌日出社してそれが甘い目論みだったことに気がつくことになります。
紙をベースにした業務・人との距離感・手渡しにこだわる文化etc……。今思えば、特別その職場が悪質とか非人道だとかそんなことはないと思います。田舎っぽい考え方といえば全てまとめられそうな気がします。それほどありふれたものだと思うのです。
ただ、今まで20年ちょっとを生きてきた中で形作られてきた「自分がどうしても合わせられなかった価値観」転じて「自分が大嫌いになった価値観」が集約された職場……それと真っ向から対峙せねばいけなくなって、私は途方に暮れました。

私が理解できない価値観でも、それで職場は回っている

ただ、働く中で分かったことは、自分が理解できなかった田舎の価値観でも、そこに住んでいる人たちはその価値観に順応して生きているということです。ていうか、適応できていない人はそんな職場選ばないわな。地元密着型の仕事ですから、元々素養がない人は面接の段階で落とされているはずです。たまたま私が不適合者なのに入ってしまっただけ。
なので、職場の人を”自分とは違うなぁ”という目線で見たとしても、変な奴らだと相手を見下したり、逆に適応できない自分を蔑んだり、そういうことはすべきではないのだと思います。周囲を蔑んでしまえば最後、職場からのけものにされるのは確実でしょう。そして、自分自身を蔑んで仕舞えば、自分の自信を根こそぎ奪ってしまうことになるからです。

でも、劣等感は着実に強くなる

しかし、だがしかしです。
私の職場ではその価値観が”マジョリティ”なのです。私は職場の価値観に合わせるべきマイノリティであり、私がいくら職場の価値観を嫌ったとしても合わせるのが”正しいこと”にしかなりません。
職場の人にとってみれば「自分に合わないところに就職したお前が悪い」のであって、それ以上でも以下でもないのです。悲しいかな。
その前提がある以上、自分の中で劣等感というのは確実に強くなっていきます。
「上手く就職できなかった」という感覚は常に自分に付き纏うのです。

退職時期にリミットを決めて無理やり動いてしまおう

そんな中で最近漠然と考えているのは、退職時期を決めこの職場から離れる期限を明確に決めてしまうことです。
恋愛に例えてみるならば、今の状態はいわば”一方的に恋人(職場)に不満を持っている状態”な訳です。幸せになれるはずがない。それならば、就職して何年目とかを気にしすぎることなく、思い切ってやめてしまうのが良いのではと思ったのです。
もちろん、大卒の中で一番就活に弱い文学部卒、しかも第二新卒なんて簡単に就職できるとは思いませんが、何はともあれ動き出そうと考える祝日の夜でした。

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