ヒットするということ(ゼロの執行人)

自分が好きなものがヒットするということは大変喜ばしいことだ。それと同時に嫌なことが起こってしまう。これは数年前私が体験したことである。

数年前、劇場版名探偵コナン「ゼロの執行人」がヒットしたことを覚えているだろうか。私はこの映画がとても楽しみだった。純黒から映画館で見るようになったが、それ以前から毎年テレビでコナンの映画が放送されることが楽しみだった。でも執行人はいつもよりも楽しみにしていた。1月に安室透が主人公だと匂わされた時から本当に楽しみだった。予告で安室透の声が聞こえた時はワクワクした。ユニバのリアル脱出も参加した。なにせ私はずっと前から安室透が好きだったからだ。好きなキャラクターの主役の映画だ。楽しみではないはずがない。約1年間新しい情報が出たら喜び、本当に楽しみにしていた。

内容ははっきり言うと面白くなかった。それで終わればよかった。でもここからが地獄だった。

興行収入が伸びれば○億の男!という声が上がるようになった。モヤモヤした。だって安室透メインの映画だとしても他のキャラクターの出番も見せどころも沢山ある。というかそもそも主人公はコナンだ。安室透だけの映画じゃない。
安室の女という単語ができた。大っ嫌い。なにも知らないような。安室にしか興味がない。いや、安室に関することすらあまり知らない人が安室さんかっこいい!安室の女になったと言う。実際に周りに居た。メディアがそれを取り上げる。それで作品自体に興味を持ってもらえればいい。でもそうとは思えない人が沢山いた。名探偵コナンという作品を見て欲しい。それに以前にも映画に出演していたのにどうして今更そんな人が出てきたのだろうか。一体何人の安室の女が具体的に今どういう展開なのか説明できるのだろうか。一体何人の安室の女が安室透の初恋の人の名前を言うことができるのだろうか。あと、この映画を見てそういう言うのなら降谷の女だろとも思う。
安室透が人気になったからゴリ押しされるようになった。前よりも不自然に表(原作以外)に出されることが増えた。商売だし仕方ないけどいくらなんでも・・・と思ったことを覚えている。まあ、映画あったし今年ぐらいはと思ったがその次の年もあまり変わらなかった。
安室透主人公のスピンオフが始まった。素直に喜べなかった。前から決まっていたのかもしれないけどゴリ押しにしか思えなかった。以前の私ならとても喜んだ。残念ながら嬉しい気持ちよりモヤモヤが勝っていた。

世間の盛り上がりと私の中の盛り上がりは反比例していった。コナンの話を誰かとすることを避けた。昔からの友人のみにした。コナンの中だと降谷零が好きだと言えなくなった。いつしか降谷零の顔を見たくなくなり、話も聞きたくなくなった。スピンオフの単行本は1年経つまで買えなかった。
○億の男、〇〇の女という風潮はまだ続いている。執行人以前はそのような風潮はなかったように思える。あったらすみません。この風潮は嫌いだ。なくなって欲しい。

作品自体は知名度はあった。安室透というキャラクターの知名度はなかったがこれで上がった。喜ばしいことだが、結果本質を見ない、好きなキャラクターしか眼中にない人が増えたことは喜べない。
私はまだコナンの話を昔からの友人以外とすることを避け、降谷零が好きだということを隠している。これからも変わることはない。

何かがヒットすることは本当に嬉しい。けれど嬉しいことばかりではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?