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磁石と心理的距離

私は時々読書を嗜むために図書館へ向かう。その際に気付いたことがある。
それはタイトルの通り、ある特定の条件に人がいるとき、人が磁石のように反発していた。ということである。

反発 N-N,S-S

ある時Aさん(仮)がカウンターの前を通って出口を通ろうとしていた。その際Aさんはまっすぐに出口に向かわず敢えて掲示板の後ろを通って出口に向かった。

図書館の出来事

私はこの時、面識のないAさんのことをひどく滑稽な人物だと感じた。なぜわざわざ遠回りするのか。まっすぐに行けばいいじゃないか。

というわけで、その後私もAさんと同じ位置から出口に向かってみることにした。私はAさんとは違って迂回せずカウンターの前を通ってまっすぐ出口に向かおうとした。
だがしかし。
「何か」を感じた。これを完全に言語化するのは難しいのだが、もしかしたら司書のまなざしを受けている、かもしれない。この一種の見られているかもしれないという不安感がなんと私を迂回させようとしてきたのだ。
当然前に障害物はない、図書館の中で強風が吹いていたわけでもない。しかし、どうもまっすぐ進むことに対して躊躇いを感じたのだ。その時私はまるで磁石が同じ極どおしで反発しているようだと思った。

結果私はスタートした位置と出口を直線で結ぶことはできず、すこしだけ掲示板のほうに寄ってしまい、なんともいびつな線を描いてしまった。
Aさんには謝罪しなくてはならない……

ここで重要なのは私やAさんが何かを感じたことである。この時の条件は例えば上の図で言うとAさんと司書以外に人がいなかった場合。Aさんが司書を意識せざるを得ない環境にあった場合。Aさんが司書を意識していた場合。であると考えられる。

この何かがなんなのだろうと考えている時、ふと心理的距離という言葉があったことを思い出した。

簡単にいうと私たちが他者に対して不快を感じない、程よい距離のことである。私やAさんはこの心理的距離を保つために遠回りをしたのだろう。

さらにこれから派生してさきほど述べた磁石と心理的距離の類似性について考えたい。

人間は磁石

磁石のあの反発といったら本当におかしくてたまらない。子供のころは何度も何度もN極とN極を試行錯誤をしてくっつけようとしたものだ。

この心理的距離の考えを土台として考えるとまるで人間は磁石のようだと考えられる。
心理的距離が適用される場として、満員電車ほどの異常な密集を考えるとこれは少し当てはまらない気がするので例外としたいが、条件としては心理的距離を選択できる余裕があるということになろう。

・親密度→結果(人間磁石)
 知らない人同士→反発
 知人→やや反発
 友人→くっつかず反発せずのぎりぎりの位置
 恋人以上→くっつく

もちろんこれは一般的な心理的距離および私の偏見で例外も見られることだろうが、ここで注目したいのは恋人となった際に2人はそれぞれN極とS極になるということである。
恋人(または最も親しい)という認識が個人のNとSを反転させるという力を持つのである。

親しいという思いが磁石をひっくり返し言葉(恋人、親友とか)をその両者の関係に付随させる。

ここでいいたかったこと

今回は特に問いもなく、若干の空疎感が否めなくもないがとにかく言いたかったことは
「人間が磁石だって考えたらちょっと面白いんじゃあないか?」
ということであった。

よってこれからは人間磁石説を用いて世の中に旋風を巻き起こしたい。
(jk)


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