見出し画像

疫病禍、終わる。

2023年3月、とうとうここまで来た。
この年の5月には疫病の医療機関での扱いが変わる。
それでウイルスの性質が変わるわけではないが結局疫病禍の
重苦しい空気も半分は行動規制のよるものであることは確かだった。
現にこの時まだ5類以降の2か月前だが明らかに空気が変わっていた。
私の生まれ故郷は神戸市の須磨なのだが前から
「この騒ぎが終わったら須磨に行くんだ~」(死亡フラグ)
となんとなく決めていた。
須磨には今も叔父がすんでいるのだが高齢の人に会うことも
憚られる空気も既に薄れていて、ここはちょっと顔見せしておこう、と。
更には元町の映画館では私が脚本を書いた映画の舞台挨拶ありの上映もあり
いろいろ丁度いいタイミングであった。
何か春にかけていい流れを感じていた。
私がそんな率先して人に会いに行こうなんて考えるのは珍しいことである。
土曜早朝の東京駅。まだ2月なのでスキーに行く学生などで賑わっている。
ほんとに変わったな。
須磨も叔父に会うのも20年ぶりくらいだろうか。叔父は父親より10歳下で
子供頃は若いお兄さん的な印象だったがもう立派なおじいさんだ。
当然それは私も既に爺ぃの域であること教えてくれる。
足も悪いのに一緒にいろいろ須磨を回ってくれた。
私が幼少のころから新しいものを取り入れがちで知られる須磨寺だが
さらにアナログ感の強いハイテクが導入されていた。
ただ土曜なのに人出は至って少ない。
とは言え私が初めて接した特別な世界だ。


この後元町の映画館に行くので夕方には須磨の叔父宅にお別れ。
まさかこの一か月後にまたここを訪れることになるとは・・・
もう一人の叔父が一か月後に亡くなってしまうのだが変に慣れない
積極性を見せると良くないことが起こってしまう。

元町の映画館は監督に近くに行くから顔見せますと知らせたら
だったら舞台に立ってという運びになってしまった。
蒲郡の悪夢もあったが今回は監督も一緒だがら大丈夫と思い壇上に。
劇場の人たちも歓迎してくれお客さんもよく笑ってくれた。蒲郡の時とは
客筋がかなり違っていて「仲間たち」だった。
蒲郡の無念を晴らす機会を与えてくれた監督には感謝だ。


今回の関西行きは神戸泊の後、大阪で友人と会い西成泊。
西成と言ってもかなり新しいビジネスホテル。
西成は昔ながらのイメージの所もありつついろいろ新しくなっていて
どちらかというと外国人の宿泊者が多い。
そう、外国人が増えているのだ。
翌日行った京都も外国人客だらけ。

思えばこの「疫病禍の旅々」というタイトルでまとめたこの旅の思い出の
第1回は京都。外国人だらけで身動きの取れない嵐山。
これからずっとこんな感じかと思った矢先3か月後には日本人すら
消えることに。
だが2023年3月、同じく嵐山。身動き取れない混雑、外国人だらけ。
あの続きが始まっていた。

これでめでたしと一応は思いたい。
とは言え人は増えたが何かそこに寂しさを感じるのも確かだ。
この先この疫病禍の中出かけた旅先の特殊な風景を懐かしく思うことだろう。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?