『誰かの京都』⑤

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文字市の端までやってきた。来た道を戻っても良いが、向こう側に赤い鳥居のようなものが見える。せっかく京都に来たのだから、寺社仏閣の類は見ておきたいと思った。たとえここが私の知らない京都だとしてもだ。そういうわけで、竹林を進むことにした。
文字市の賑やかな空気が遠ざかって、だんだん周りがシンとしてくる。竹林を抜けてくる風が心地よい。竹というものは、ただ真っ直ぐに生えているものだと思っていたがそうではないようだ。見上げるとてっぺんに近づくにつれて、小さくお辞儀をするようにしなっているのが分かる。青々とした竹の幹には成長の証である節がしっかりと刻み込まれていて、それを見ていると、自然と厳かな気持ちになった。
竹林を行くと、やはり鳥居が現れた。遠くからは真っ赤に見えた鳥居は、近くで見るとだいぶ色褪せていた。赤というよりは朱色に近い。その落ち着いた色合いは、不思議と竹林が作る緑色の世界によく馴染んでいた。互いに長い年月をかけて生まれる色彩だからかもしれない。鳥居に触れる。ざらざらしている。鳥居の先は少し開けた場所になっているが、そこには狛犬も灯篭もなく、鳥居と同じ色をした小さな社がぽつんとあるだけであった。鳥居をくぐって、社の前まで行く。文字市からそれほど離れていないはずなのに、そこは特別、静かな場所のように思えた。
私は目を閉じて、手を合わせた。旅の無事を祈っておこうかなと思った。望んで訪れた場所ではなかったが「京都」という土地のことを、私は好きになっていた。だからこそ元々いた場所へ無事に帰り着きたかった。深呼吸をして、静かさを吸い込んだ。目を開く。何も変わったことはない。心と身体がくっきりとしただけだ。文字市に戻ろうと思った。
鳥居をくぐり、来た道を歩いていると
「おぉい、おぉい」
と誰かの呼ぶ声がする。
振り返ると、何かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「おぉい、おぉい、捕まえてくれ」
捕まえてくれとは何事だろうか。恐ろしくもあったが、立ち止まってこちらにやってくる何かの正体を見極めることにした。
「捕まえてくれ、捕まえてくれ」
近づいてくるにつれて、その姿がはっきりと見えてくる。左右に離れた目。背びれ、胸びれ
(あれは、ひょっとして魚か?)
「魚を捕まえてくれえ」

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#小説 #短編 #京都 #文学フリマ

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