見出し画像

「ヨーグルトを食べると、待ち望んでいたことが起きるんですよ」


麻倉さんは、料理の上手な女の子だ。

黒縁メガネ、肩口にまで伸びたミディアムヘア、その理知的な顔の通り彼女は優秀でクールな女の子だ。麻倉さんはひとつ年下の大学の後輩。実家が福島で、帰省するとよく地元の銘菓をお土産に買ってきてくれた。

カップラーメンばかり食べて生きていた僕が手料理にありつけるのは、彼女と一緒に過ごす週末だけだった。

僕の住んでいたボロアパートから電車で3駅、オートロックマンションの4階の角部屋が彼女の住まい。金曜日の夕方に大学で待ち合わせて、途中のスーパーで買い物をし、そのまま彼女の部屋になだれ込むのがお約束。

「先輩、ポテチは先週も買いましたよ」
「先週はうすしおだったけど今日はコンソメだからセーフ」

このやりとりも毎度毎度のお約束。最終的に彼女が僕に負けて、お菓子をひとつ買わせられるというところまでが一連の流れだった。彼女がしっかりと献立を考えて食材を買っている傍で、僕はいかにしてお菓子を買ってもらうかしか考えていなかった。

帰り道では重たいビニール袋の持ち手を二人で持って歩いた。いつも決まって僕が右側、麻倉さんが左側だった。二人の間にはたんまり買い込んだ食材とお菓子。

「こうやって子供を間に挟んで歩くシーン、ドラマとかでよくあるよね」
「ありますね。素敵な親子〜って感じのやつ」
「麻倉さんって結婚願望とかあるの?」
「うちは親が早く離婚してるので結婚に良いイメージがないです」
「ふーん」
「先輩は結婚願望あるんですか?」
「いやあ、まだそんなこと全然考えらんないわ」

先のことなんて分からないし、考えるのも面倒臭い。そんなどこにでもいる大学3年生と4年生だった僕たちは、昨日見たテレビの話とか、あいつがあいつと付き合ってるだとか、好きなバンドの新曲がどうだとか、そんなとりとめのない話ばかりしていたように思う。


麻倉さんのアパートに入ると、僕はいつも真っ先にベッドにダイブをして「ふざけないでください」と怒られた。

「先輩のにおいがつくからやめてください」
「え、僕のにおい好きって言ってたじゃん」
「黙ってください」

彼女は僕に文句を言ってからお風呂にお湯を張ると「わたしはご飯作るので」とキッチンに立った。ガサガサと買ってきた食材を取り出し慣れた手つきでテキパキと調理を始める。

僕はお風呂が沸くまでテレビを見て、やがて彼女より先にお風呂に入り、髪の毛がびしゃびしゃのままで部屋に戻る。それで「ちゃんと髪を乾かしてください」と文句を言われる。それからタオルをターバンみたいに頭に巻いて、またテレビを見る。

キッチンからは包丁がまな板を叩く音や、カチカチというコンロを使う音が聞こえた。一人暮らしが長く続いているからか、自分以外の誰かが立てる生活音がとても愛おしく感じる。思えばテレビなんて見ていたことはほとんどなくて、台所に立っている彼女の方をぼーっと見ていることの方が多かったかもしれない。


麻倉さんは料理が上手だった。

家庭の事情で小さい頃からご飯を作っていたからなのか、それとも手先が器用だからなのか、料理をしない僕にはいまいちよく分からない。それでも麻倉さんが料理上手だということくらいは分かる。彼女はファミレスや居酒屋で出て来るようなメニューを当然のように作ってしまう。「この間美味しいって言ってたちくわの磯辺揚げ、作りますね」とか言って、ささっと思いのままに料理をしてしまう。僕には到底不可能なことを平然とやってのける彼女のそれは、まるで魔法みたいだった。

食器棚には小洒落たプレートや高級そうなお皿も揃っていて、彼女の多彩な料理を引き立てていた。けれど、キッチンに立っている麻倉さんの顔はいつも少し寂しそうに見えた。僕がちょっかいを出しに行くと「刺しますよ」と包丁を向けてニコリと笑うのだけれど、また一人で調理に戻れば彼女の顔には寂しげな表情が貼り付いていた。

僕はテーブルにランチョンマットを敷いて、彼女からの合図を待つ。「先輩」と声が掛かったら、完成した夕飯を部屋へと運ぶのが僕の仕事だった。あと、めちゃくちゃ美味しそうにご飯を食べること。それも僕の仕事だった。仕事っていうか、幸せだった。

「麻倉さんのご飯は世界一美味しいと思う」
「先輩の世界は狭いですね」
「いや、ほんと。いいお嫁さんになるよ」
「なりませんよ、わたしは一人が気楽でいいんです」

僕の軽薄な褒め言葉に、いつも麻倉さんは笑っていた。僕たちは毎週金曜日の夜に一緒にご飯を食べて、そのままテレビを見たり、近くのDVDショップで借りてきた映画を見たり、夜の散歩に出かけたりした。たまにそういうこともした。行為の後には二人でペットボトルのコーラを回し飲みして、身を寄せ合って眠りについた。

そして、緑色のカーテンから差し込む朝日で僕が目覚める頃、麻倉さんはいつも隣にはいなかった。台所に立ち、朝食を作っていた。土曜日の朝ごはんは目玉焼きとベーコンにミニトマトが添えてある可愛らしいプレートと決まっている。けれど、セックスをした次の日だけは違った。その時だけは彼女のルーティーンが崩れる。僕が起きると、彼女は隣でこちらに背を向けて丸まって眠っていた。

そういう朝は、決まってヨーグルトを食べた。

僕はプレーンのやつで、麻倉さんはアロエのやつ。僕が先にベッドを出て、冷蔵庫の中にあるヨーグルトとプラスチックのスプーンを部屋に持っていった。

「・・・」
「おはよう麻倉さん、ヨーグルト食べる?」
「・・・食べる」

いつもなんでも自分でやって、むしろ僕の分までやってくれて、常に一歩先を行く麻倉さん。そんな彼女に僕がしてあげていた唯一の行為は、この「ヨーグルトを部屋まで持っていってあげる」という随分とお粗末な行為たった一つだけだった。

「小さい頃はヨーグルトばっかり食べてました」

いつだったか、麻倉さんがそんな話をしてくれたことがあった。母子家庭で夜まで家に一人っきりの時間が長かった彼女は、冷蔵庫の中に買い置きされていたヨーグルトを毎晩食べていたらしい。「ヨーグルトを食べて待っててね」がお母さんの口癖で、彼女はその言葉を素直に受け入れ、毎日ヨーグルトを食べて母親の帰りを持った。

「ヨーグルトを食べると、待ち望んでいたことが起きるんですよ」

ヨーグルトを食べれば、待っていた誰かが、待ち望んでいた何かがやって来る。彼女は毎晩お母さんの帰りを待ち、ヨーグルトを食べていた。そんな麻倉さんにとってのヨーグルトというのは、ちょっとした縁起物みたいな存在でもあるらしい。そもそも普通にアロエヨーグルトが好きらしいけど。

「昔は毎晩一人ぼっちで食べていました」
「じゃあ今は誰かと一緒に食べられて良かったね」
「そうですね」

適当に返事をしながらヨーグルトを食べる麻倉さんは、この時だけはメガネをかけず、気の抜けた眠たそうな目をしていた。いつも知的でクールな彼女が素の表情でボーッとあどけない様を見せるその時、そこにはいつもヨーグルトがあった。

料理上手な麻倉さんが台所に立たず、気の抜けた表情のまま、パジャマのまま、メガネもかけないまま、パクパクとヨーグルトを食べているその姿が、何故だか僕にはとても愛おしく思えた。


「ねえ麻倉さん」
「なんですか」
「そろそろ僕と付き合ってくれない?」

麻倉さんは僕の告白に怯むことなく、ボーッとしたままで残りのアロエを口の中に掻き込み、それからニコリと笑った。「ほらやっぱり」と彼女は言う。


「ヨーグルトを食べると、待ち望んでいたことが起きるんですよ」


おしまい。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

面白かったら投げ銭してくれると嬉しいです。 あ、いや、でも読んでくれただけで嬉しいんで大丈夫です! ありがと〜!!

まじ?ぼくもあなたのことスキです。
7

のび太

音楽と小説をやってます。よろしくどうぞ。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。