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願いですら呪いになる だからこそ 2024/02/28

「お願いがあるの。受け取って欲しくて。雨の幸せを願う気持ちを。ただ願うだけでいいの。この世界にたったひとりでも、自分の幸せを願ってくれる人がいる。それだけで人生って、うんと幸せだから。」

これは、昨日から観ている「君が心をくれたから」のある登場人物の台詞(今日みているのは第3話)。この台詞を聴いた瞬間、わたしは宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」という歌を思い出した。「君が心をくれたから」とドラマの主題歌も宇多田ヒカルなので(「何色でもない花」)、今のわたしとこの歌たちとこのドラマがちゃんとリンクすべき一点において(そしてそれを孕む様々において)繋がったのだと思う。

人とは勝手なもので、そのときは純粋にそう思えたことが、願いが、祈りが、いつの間にか変わってしまって、呪いや、縛りや、囚われになることがある。

いつの間にか、自分の願いが自分を縛ってしまうこと。誰かの純粋な想いが、自分の枷になってしまうこと。そして、自分の純粋な想いが、相手を枠にはめてしまうこと。純粋なものを見ていたくて、純粋なものばかりみてしまうけど、そこには同じくらいドロドロしたものがあるということ。だからこそ、純粋さが生まれるのだということ。

きっと、純粋さというのはどこまでも脆く儚いもので、それを保つには確固たる意思が必要であるということ。だからこそ美しく、眩しく、迷いなく澄んでいるのだ。何もなくて保たれているのではない。常に闇を受け容れながら、迷いを愛しながら、戸惑いながら、見極めながら、そして祓いながら、「ここにあるもの」を信じる力、信じ抜くという在り方。それを、純粋さというのだと思った。

だからといって、わたしがここに書きたかったこと/書きたいことが全部書き尽くせたかというときっとそうではない。でも、うまくいえないけど、そういうことを知っていよう、知っておこう、覚えていよう、忘れずにいようと思った。そう純粋でありたいと強く思うがゆえに、上っ面の言葉に騙されて、自分の純粋さを自ら汚してしまわないように、醜いものだと、思って苦しむことのないように。これを読んでくださった方にも、その方の純粋さがそのままに、蘇ることを願って。



2024/02/28 (61/366)

さいごに。冒頭に紹介した台詞はわたしの気付きのきっかけになったものであり、台詞を含めドラマのシーンはとても美しく、純粋なものであると感じたことを書き添えておきます。

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