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いまならば見せずにすむもの 2024/05/08

引き続き、「東京タワー」を読んでいる。タイトルにした文章を読んで心が掴まってしまい、このまま読み進むめるのが難しくなったのでnoteを書くことにした(@神戸空港)。

 高校時代の友人は──そう親しくなかったやつも含めて──、大学に入って出会った友人と、あきらかに違うと耕二は思う。いまならば見せずにすむものを、隠しきれなかったというような。いやおうなく日々一緒にいたような。

「東京タワー」江國香織


いまならば、見せずにすむもの。

それはたぶん、「そのときどきのみっともない自分」だろうなと思った。

今、やっと素直に出てきたけど、はじめてこの言葉に出逢ってから言葉にするまでざっと2時間くらいはかかっている。つまり、電車に乗ってすぐにこの言葉に捕まってしまったのでその先を読み進めることが出来ないまま、音楽を聴きながら(「ライラック」)ぼーっと意識の焦点を合わせないところに合わせながら乗り換えてきて、チェックインも搭乗手続きも保安検査場も通って椅子に座り、さて続きを書くかとなってサムネイル画像を選び、書き始めてやっと、という感じだった。

本当のことは、瞬時に出てこなかった場合は時間がかかる。だから、いつの頃からか瞬時に出てこなかったときは変に追求せず(何もせず)、そのままにする。つまり潜在意識にお任せしている。

いまならば見せずにすむもの。

逆もあるのかもしれない。あの頃は見せることのできなかった自分(見せてもいいと思えなかった・・・というか、そんな自分がいることを自分ですら知らないことにしていた自分)を、今は見せられるようになったと思う。だから、必死にそういう自分を隠している自分とか、必死にカッコつけたり取り繕っている自分とか。"必死に"って自然につけてしまうほど、わたしはそれを"必死に"していたようだ。文字通り「必死」だったのだね。そのラインを崩すことは。かつてのわたしにとってそれは致死行為だったのだ。自分でも知らないところで、自分の想像を遥かに超えてギリギリのところで踏みとどまっていたから、そこに自分の思う「自分」を形作っていたから、そんなことは思えるはずもなかったんだよね。

そうか。今のわたしにはそのサバイバル感はないなぁ。日常という空間の中では皆無といってもいいかもしれない。無論、そういうところは部分的には出現するのだろうし(確信)、そのときは(本っっっっっっっ当に嫌だけど)目の前の状況にで飛び込むしかないと思っている。

なんだ、わたしはもう決めていた。「見せずにすむもの」は、もしかしたら「見てほしいもの」かもしれない。わたしの知っている感覚で名前をつけるならそれは『無防備』ということだ。その自分でいることに全く違和感がないくらい、そこにとけてしまうことが、わたしの本当の望みかもしれない。誰にでも見せられるものから、誰かにしか見せられないものまで、幅広く。

さすがは感覚のupdateの牡牛座新月。これまでの自分だったら出てこなかったのが出てきたなぁと、他人事のようにじわじわ観察してみる新月点前。え?何でって?それは各自、考えてみてください。



2024/05/07 (124/366)


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