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タロットカードを、カムパネルラと名付けた日。 2024/02/10 -2

水瓶座の新月。今日は、自分が午前中何していたのかいまいち思い出せない。朝、新月点の少し前からスタエフをはじめて、1時間と13分と少しくらい話して、そのあとどうしたんだっけ。朝ごはんは食べてないし、そういえば久しぶりにモーニングに行こうと思って、行きたかったお店が開いているかを検索したら土曜日がお休みの日で、残念と思ったと同時にそういえば土曜日がお休みだったことと、土曜日だと人が多そうだから行きたいけどイマイチだなと思った数分前に居たはずのでもいなかったことにした自分を認識して、少し面白くなったんだった。そこから、何となく何を食べようか悩んで、近所のスーパーマーケットに入っているカフェでそういえばパニーニが食べられるんだった!ということを思い出して食べに行ったのに、現金の持ち合わせが足りなくて、1ドリンク絶対(食事のみはだめ)と言われ、気が付いたらバニララテを飲むことになっている自分がいて何だか虚しかった。しかも、パニーニというのは記憶が間違っていたのか扱われているメニューが変わっていてホットサンドまたはワッフルだった。何だこのだめだめの感じは(苦笑) この変化球みたいな角度を変えてカクカクして謎で突拍子もない着地点にたどり着く感じは水瓶座っぽい(というか天王星っぽい)なと思い、今日は水瓶座の新月だったなと思って何故か納得。さらにこの話にはオチがあって、バニララテを目の前に実はあんまりお腹が空いてなかったことが発覚し、ホットサンドを注文した一瞬前の刹那に「ちょっと多いかな…」と思っていたことをまたもや後から回収し、わたしって全然自分の思ってることわかってないというか、ものすごくスルーしてるなとまた苦笑してしまった。バニララテはシロップの味がすごくしたので残念だがきっともう頼まないだろうなと思った。

変化球はまだまだ続く。このスーパーマーケットには実は本屋さんも入っていて、わたしは本屋さんにも行きたかったのでここに来たんだったということを思い出す。中に入り、雑誌コーナーをチェックして、メイク雑誌が気になる自分からやはりもう季節は春だなぁと感じてみる。欲しいなと思った雑誌が付録付きと付録なしと選べない状態だったので諦める。付録はなくてもいいと思ったが、選べる状態で買いたいくらいには気になったらしい。ちなみにその付録とはリップグロス。

そのあと、新刊コーナー、文庫のテーマ別特集コーナー、ハードカバーコーナー、文庫コーナー、星・占いコーナーといつもの順番で少しずつ眺めたり手に取ったりパラパラしたりしながらさらりと見て回る。ちなみに、雑誌コーナーで元職場の後輩にとても似た人を見かけた(多分本人)のだけど、特に話すこともないし今していることを尋ねられても話したくないなと思ったので、しれっとそのまま立ち去ることにした。こういうときのわたしは驚くほどドライで判断が早いし、罪悪感もほぼない。

そのあと、文庫で何冊か気になるものがあるなぁと思いながらも、決定的にこれというものには出会わないままらさっと回り終えかけた頃。わたしの目はあるタイトルの文庫の前でとても自然に静止した。このnoteエッセイのタイトルから既にお察しの方も多いと思うが、その本のタイトルは宮沢賢治(敬称略)の「銀河鉄道の夜」だった。10代の頃から、ずっと読もう読もうとして手に取っては読まずに(そして買わずに)きたこの本が、今日はこれまでにない引力でわたしのことを引き付けた(気がした)。そこで、少し立ち読みをしてみることにした。・・・また既にお察しの方も多いと思いますが(ええ、そうですとも)、やはり引き込まれた。なんで今まで読まなかったのだろうとまで思ったので、そのまま連れて帰って読むことにした。

とうとう、《カムパネルラ》の謎が溶ける日が来たと思った。なぜなら、わたしのnoteの中には、タロットカードのことを《カムパネルラ》と名付けたマガジンがあるからだ。

この物語が "何を書いているのか" は、読み始めてすぐ、割と最初の段階でわかった。なので、その体でそのまま読み進めた。途中何度も意識が飛んで、読んでるけど読んでない、寝てないけど寝てる、顕在意識と潜在意識の間のような場所で浮遊しながら読んだ。なので、何度も振り返りながら、ページを戻しながら読んだ。そして、とうとう残りが少なくなったときに、わたしは自分がタロットカードのことを《カムパネルラ》と名付けた意味を知ることになった。

「銀河鉄道の夜」を読んだことのない、ジョバンニとカムパネルラの物語だということしか知らなかったわたしが、何故かピンときて付けたこのマガジンのタイトル。言わずもがな、タロットカードがカムパネルラなら、ジョバンニはわたしだった。そういうイメージで付けた。そして、それはわたしが思っていたよりも遥かに深い意味を持って、丸3年と1ヶ月が過ぎた今日、水瓶座新月の日に、わたしのなかに結ばれた。

わたしにとって、タロットカードは本当にそのままカムパネルラだったのである。厳密にはそのまま、というのは違うのかもしれないが、どちらにしろわたしにとっては同じことだからそれでいいことにした。わたしの潜在意識は、最も最適な名前をわたしに選ばせ、名付けさせ、時間を経てその意味を自分に届けるという壮大な計画を、既にあのとき設定していたということになる。わたしは、あのときのわたしからリーディングをしてもらっていたということで、やっと今になって、その意味が結びついたということ。

3年以上かかったけど、やっと意味がわかった。カードがわたしと仲良しな理由もわかったし、わたしがカード(たち)のことを唯一無二の親友みたいな存在と感じているのもそういうことだった。そもそも、そういう風に感じていたから、わたしはタロットカードのことを《カムパネルラ》と名付けたのだから。

おしまい。



2024/02/10 -2 (35/366)


さいごに。

ということで、その理由ですが、長くなるので(すでにとっても長いので)割愛することにしましたた。気になる方は最後にリンクを貼っているnoteを読んでみてください。文章がわかりやすいかはわかりませんが、わたしのことは今よりもわかるかもしれません。
暗いのは覚悟して読んでくださいね(*^^*ゞ
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