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テクマクマヤコン テクマクマヤコン 2024/03/23

子どものころ、『ひみつのアッコちゃん』が大好きだった。コンパクトを開いて、鏡に自分を映して、「テクマクマヤコン テクマクマヤコン 〇〇にな~れ!」と魔法の言葉を唱えたら〇〇になれる。魔法を解くときは、「ラミパスラミパス ルルルルル〜」と唱えれば、小学5年生の加賀美あつ子に戻れる。わたしがなぜか買ってもらえたコンパクトは最初の丸いのじゃなくて、2代目の四角いのだった(指輪がついてるやつ)。アッコちゃんと同じようにボタンが押せるように押し方指の動かし方をめちゃくちゃ練習した。特訓したと言ってもいい。人差し指と中指を少しだけタイミングずらして華麗にタッチするその様子に、当事4~5歳だったわたしはとてつもなく心魅かれたのだった。そして、この『ひみつのアッコちゃん』で女の子が変身するストーリーにはまったわたしは、この1〜2年後に『美少女戦士セーラームーン』にドハマリして今に至ることになる。

なぜこのことを書いたのかというと、今わたしは「これまでわたしだと思ってきたわたし」と「そんなわたしがいたなんて聴いてないじゃん!なわたし」との分離と乖離とはじめましてと再開と久しぶりが凄まじい勢いで起こっているからだ。自分が自分のまま自分でゲシュタルト崩壊している。

わたしが知らなかっただけでわたしはわたしだった。そのことはよく知っているから、ちょっとやそっとじゃ動じないわたしだけど、ここ1〜2週間(魚座新月から春分を挟んで天秤座満月までのこの間)に起こっているゲシュタルト崩壊はこれまでに類を見ないもので、何だかもうわたしという概念が根底から書き変わってしまいそうな勢いだし、実際そうなるという確信がある。なぜならもうその片鱗どころかの萌芽は、認めたり形になったのが今なだけでとっくの昔からあったことに気付いたりしているから。

《セルフイメージ》というものは恐ろしく強固なもので、わたしのそれも例に漏れずなぜこんなにもガチガチにしかも何重にもセメントで塗り固めてしまったのかと思うほどに強固にできている。塗り固めて「This is me!」と叫んでいないと崩れてしまうようなわたしがその中にいるんだということに気が付いたのは、ゲシュタルト崩壊が起こり始めたことに無自覚なときだったため防ぐのは不可能だった。だが、果たして最初から自覚できていたとして、わたしはこの変化を止めたかというと答えはきっと「NO」なのだろうという確信がある。そりゃ戸惑ったり一旦否定してみたりなかなか受け取れなかったりということはあるのだろうが、それが自分の本質だとわかってしまう以上、時間を多少かけるくらいのことさえすれば否が応でも腑に落ちてしまうからだ。そもそも、腑に落ちていたからこそ閉じ込めていたわけなので、自我との対話(恐れとの対話と共生)が無理なくできればそれで "受容" くらいはできるはずだ

「テクマクマヤコン テクマクマヤコン 本当のわたしにな〜れ!(できれば受け容れ済みで自己嫌悪感や自己否定の段階は終わって自分であることがよろこびであるところまでset upが済んだ状態で!)」と言ってみたところで、本当のわたしも(             )カッコの中に書いたことも、自分で丁寧に向き合ったり隣に並んだりして時間をかけて/或いは感覚的に受け容れるしかない。だって、それがわたしなのだ。いまここに居る、唯一無二の、他の誰でもないわたしなのだ。わたし以外の何であることもできない許されないがわたしであることだけはできる許されるこの世界で、わたしがわたしであるための道が自分のゲシュタルト崩壊という過程を必要とするのなら、甘んじて受け止めようと思う。



2024/03/23 (84/366)


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