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3月27日

今日は旅行から帰って初めてスタバに勉強しに行った。
横には私と同い年くらいの大学生カップルがタブレットを
開いて、談笑しながら作業をしてる。
一緒にカフェで作業できる人がいるのは羨ましいなと思いつつ、今日の勉強に励む。

今日は令和四年度の過去問を解いた。周回しているので、正直答えが どれか覚えそうではあるのだけれど、最後まで文を読んでどこが間違えているか考えながら読んだ。まだ直感で選んでいると:もあるので少しずつ直していきたいと思う。

作業が終わった後、13時から藤井青銅さんの『トークの教室』の読み残しを二時間ほどで読破した。具体的な面白い話の仕方というよりは面白いトークはどんな構造になっているかに重きを置いている本で、具体的な面白いトークの必勝法を書くと自分らしさが出なくなるため、そこは読者の自由な表現方法を大切にしたいという気持ちが伝わってきた。

話にオチはいらない、中身が面白ければそれだけで成り立つ。あと面白いネタ探しに行くものではなく、案外近くに落ちていて自分で気づいていないだけである。0~1に盛るのはダメ、1~5にすべきなど日常生活で意識するだけで話が面白くなりそうでわくわくした。

私は友人が少ないが、人と話すのは好きだ。何ならクラスで目立ちたいタイプの方だ(恥ずかしくて自分からは言えないが)
周りのことを考えない小学生の頃はクラスの中心で話していたと思う。
中学生になって異性や周りの目線を意識して、目立つことは少なくなった。
でも心はかつてのままだと今でも思う。
高校に上がってびっくりしたことは周りの精神年齢がいつの間にか私のものをはるかに上回っていたことである。
落語や漫才のような高度なお笑いは好きだけども、オードリーの春日さんのような分かりやすいお笑いの方が私は好きである。
もっと言えば中学のようなプロレスごっこで意味もなく裸になったり、教室で野球をして窓ガラスを割ってしまったり、そういう分かりやすい面白さが好きだったけれど、高校に入ってそんな低レベルなことで笑う人がいなくなってしまって反省した思い出がある。

あの時意味がないことは、先の人生で大きな武器になる可能性があると本に書いてあった。やっぱり失敗を恐れずにたくさん経験を積めば将来役に立つと思う。

今日も一日頑張った。



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