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当たり前のことを、当たり前にやる。


中学2年生になったタイミングで、野球部の顧問が替わった(仮にその顧問をOと呼ぶ)。それまでの顧問の離任による交代だった。

先に言ってしまうと、ぼくたちはOのことが嫌いだった。

弱小だった前任のチームを、県大会の常連へ押し上げた実績を引っさげやってきたO。6月に「本番」である中総体を控える春先、赴任したばかりのOはぼくたちを「自分のチーム」にすべく、急ピッチで練習を指導した。大らかで優しかった前任者とは違い、厳しい言葉で叱責するタイプのO。また、その手腕で得た(であろう)自慢の“ツテ”をフル活用し、毎週土日に練習試合を行なっていた。

しかし、県大会とは無縁だったぼくたちはというと、練習メニューや雰囲気の変化に嫌気がさしていた。罵倒されると、シンプルにOを嫌いになった。あとは練習試合。毎週の試合なんて初めてで心身ともに疲弊し、また夕方試合から学校に帰ってきて、そこから練習なんてこともあった。「練習試合から帰ってくる=解散」だと思い込んでいたぼくたちは、半ばやさぐれながら白球を追いかけた。

そんなOの口癖が、「当たり前のことを、当たり前にやる」だった。

Oの目指していた野球は、相手から1点をもぎ取り“守り勝つ野球”。攻撃ではランナーが出たら盗塁やバント、エンドランで進塁させ、3塁にランナー置いてからのスクイズを狙う。守備ではピッチャーを中心に、ゴロやフライでアウトを重ねる。

チームとしての“当たり前”を正確にこなしていけば確実に勝利することができる、という意味だったのだと思う。当時のぼくは「よく聞く言葉だなあ、相変わらずうるさいなあ」などと思っていた。


しかし今、10年以上の時を経て、その言葉がぼくの中で大きくなっている。

「当たり前のことを、当たり前にやる」は、当時の野球に限らず、人として大切な話だということに気がついてしまったからだ。社会人になった今、より実感している。Oは野球を通じて、大切なことを教えてくれようとしていた。

というか、結果的に教えてくれた。


罪悪感と羞恥心。もうOに会うことはないと思うけれども、もし会えたら、あの頃のお詫びとともにお礼を言いたいと思っている。



いつもいつもありがとうございます〜。