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中原中也について

需要はないだろうが、中原中也についてつらつらと。



みなさまご存じ「在りし日の歌」という詩集がある。


在りし日とは現代語だと「あった日」「かつて存在した日」とでもいったところだろうか。

単純な意味での在りし日とは、つまり過ぎし日、過去。


俺も46才。気がつけばずいぶん過去が増えた。


過去が増える。

単純に年月の経過とともに、中也の詩の言葉が新たな意味を持ち、若かったときとは別の場所に響く。

もちろん中也の詩は昔に読んだときと一字一句たりとも、まったく何も変わっていない。



自分が変わったのだ。




初めて中也の詩に触れたとき、北斗神拳伝承者ケンシロウと同じで悲しみを背負っている感じがした。なんとなくだ。


中也の悲しみとはなんなのかは、よくわからない。


若いときはそのよくわからない悲しみに厭世的なにおいを感じて、それがかっこいいような気がしていた。


ここから以下は哲学者の鞍田崇先生が中也について書いた文章を参考、引用、インスパイアさせてもらった上で自分の考えを書く。

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