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怒りの再現力が高い

過去の怒り狂った話を友人に話したときに言われた言葉。

自分に言われているような気分になって怖いからこっち見ないで話して、とも言われ、目をそらして話をしようものなら説明が難しくなって笑ってしまった。

確かに、話しているときの自分の顔が硬直しているのは感じる。怒り狂うぐらいの事案のため考えを巡らせた期間が計り知れないほど長いため、どれの気持ちをも端折ることはできない。

話し始めるとあのときの気持ちと、それらに付随する景色までが全て記憶の最前線に降りてくる。考えた期間のおそらく1/100ぐらいに圧縮して今この場で話すわけだから言葉にできない分、表情、声、話口調に現れるのかもしれない。

「怒りの再現力が高い」
初めての指摘ではあるが、母も私が怒り出すと顔がすごくなると言っているのを思い出した。

書いていて、もう一つ思い出した。
仲良い友人も怒り事案を説明してくれるときの顔が物凄く怖い人がいる。腹を立てる内容が彼女と私はとても似ていて、浅はかだと感じる言動や、自己欲求のために他人の気持ちを蔑ろにする人に対しての怒り度合いが高い。

腹を立てている感情を話すときの彼女を顔を見ているとき、気持ちは物凄く分かるものの、自分が言われているような気分になったのは確かだった。私に「怒りの再現力が高い」と言っていた友人の気持ちが手に取るようにわかった。逆に、彼女にも私の怒り再現力を発揮していたのかと思うと、同じ気持ちにさせていた可能性が高い。

怒りに関して、ある時期を境に沸点が下がり、爆発的に怒る日々を過ごしてきたことがある。
当時から比べれば半分以下に和らいでいるのだけれど、でもこれを機にもう一度自分の怒りと向き合っていく良いきっかけになったと思っている。

怒りの再現力高い反面、今の感情とは別物。話が終わると、以上です。と説明が完了。すぐに別の話に行ける。

理由ははっきりしてる。
嫌いな存在から、なぜ怒り狂うほどに嫌いなのか、何がどう駄目なのかを考え続けた結果、すでに「いない存在」になっている。だからどれだけ話しても、もう終わっていることなので私に影響を与えない。

でも、もう怒っていないにも関わらず、今でも怒っているよう表情と声で聞かされる人はたまったもんじゃないよな、ととても反省している。

改善していきたい。
私はこれからカウンセリングの勉強をしていく。カウンセラーを目指すかはまだ定かではないが、表情や声はもっとも使う道具だ。

それだけでなく、日々接する母や友人たちにこの癖は迷惑極まりない。

友人が帰り際に「(怒りの再現力が高いから)テレビの再現ビデオとかに出れそうだよね」とか言ってきた。

出ねーよ!
でも、教えてくれてありがとう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。