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高齢の母と私との体の差について

「やりたいことがいっぱいあるに」と、さっき母がそう言ってた。

「やりたいことがいっぱいあるに」って凄く良い!って思ったけど、それが徐々にできなくなるときの失望感を考えてしまう。

だいぶ良くなったとはいえ、さっき近くのコンビニへ母と一緒に散歩に行こうとしたが、数メートル歩いただけで足が痛くなってしまい戻ってきた。部屋の中であればだいぶ歩けるようになってきたから大丈夫かと思ったけれど、部屋の床とコンクリートでは体に受ける衝撃は全く違うようだ。

高齢者の母を一緒に暮らすようになって40代の私と顕著に異なるのが体に受ける影響。ほんの小さな段差で躓く回数、階段の上り下り、数十分歩いただけで疲れてしまうこと、倒れたら簡単に起き上がれないこと。

試しに母が履いていたサンダルでコンクリートの上を歩いたあとに、家の中を歩いてみたけれど、全く差を感じなかった。けれど、母は全くその状況と異なる。

そんなのを感じる生活を日々していたら、街中で出会う高齢の人を見ると、特に満員電車のなかで高齢の方が立って乗っているのを見るとどれだけの振動を体の受けているんだろうかと思わざるを得ない。席を譲りたくても私も立っているので譲れない。昔は優先席が空いていても座ることがなかったのだけれど、いつでも譲れるように空いてたら座ることにしているのだが、そうは見られないだろうなとも思ってドキドキしながら座っている。

もっと知ったほうが良いと思うんだ。高齢の人がどれだけ重い体を背負っているか。うちの母はどの先生にあっても「体が大きいので」と言われるので、すべての高齢者が同じではないだろうけど確実に言えるのは自分とは絶対に違うということ。身体的に自分が優位になるのであればできる限り配慮して生活をできたらと日々思う。

病院の先生って「太ってる」は禁止ワードなのかな。救急隊の人も病院の先生も口を揃えて母のことを「体が大きい」というので言われる度にちょっと笑ってしまう。

やりたいことがいっぱいある

掃除や洗濯、ご飯を作ったり仏壇の周りをキレイにしたり、外に散歩にできかけたり。それらができるようにサポートしていきたい。


最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。