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死ねるくらいあなたが好きだってどうしても君に言えなかった

ふくろうずが好きです。すでに解散して何年も経つけれど、現在進行形で好きです。時間が経てば経つほど、どんどん好きになります。永遠なんてものはないけれど、そんな夢みたいな言葉をわざわざ使いたくなるくらい、ずっと一番好きでいたいと思っています。

このたび私はこの場を借りて、なぜ私がこんなにふくろうずが好きなのかという思いを、言葉にして綴ってみようと決めました。リリース順に、1曲ごとに1記事書いていこうと思います。時間はかかっても、全曲書くことが目標です。

すべては自分の今の気持ちを忘れないように、あるいは忘れてもすぐに思い出せるようにするためのものですが、あわよくば、これから作成する記事が、今までふくろうずをあまり知らなかった人にとって、彼らの音楽に触れるきっかけになったり、もともと好きでよく聴いていた(今も聴いている)人に、少しでも共感してもらえるところがあれば(なくても、こんな気持ちもあるんだ、と思ってもらえたら)いいなと思います*1 。
なるべく読む人が嫌な気持ちにならないように、高慢と偏見のかたまりみたいな文章にならないように、心がけます。

なお、これから作成する記事はフィクションではありませんが、実在の人物や団体とは一切関係ありません。メンバーのことをなれなれしく「ちゃん」づけなどして呼んでしまうかもしれませんが、それはつまりは好きが溢れたゆえの言動ですので、何卒ご容赦ください。

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ここからは、今までふくろうずが好きということをあまり公に口にしたことがなかった私が、今回このような場を設けたきっかけについての記録です。(ほぼ日記です)

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長すぎた青春の終わりと忘れたくない日々のこと

彼らの解散のコメントにもあったけれど、ふくろうずは私にとっても、青春そのものだった。

解散当初、さてこれから私は、ふくろうずのいない世界を、どうやって生きようか、と考えた。
ふくろうずが解散しても、終わらない今を生きていかなければならない。
このときすでに私は、青年と呼べる年齢はとっくにすぎていて、夫も子どももいた。こんな立場で青春なんて言っていること自体が、我ながら結構ダサかった。
きっとこれ以上続けられない。私の青春もこれで終わりにしよう、と思った。長かった私の青春時代はふくろうずの解散と同時に終わって、これから新たな人生のステージが始まるのだ。そう思った。
けれども、ふくろうずが解散して1か月、半年、1年、と時が流れても、私の生活はなんら変わりはなく、私の青春はいっこうに終わらなかった。楽しい時嬉しい時、悲しい時苦しい時、私のそばには変わらずいつも、ふくろうずがいてくれた。出会えたことが全てだった。
やがて私は、ふくろうずを聴いている限り、私の青春に終わりはこない、ずっと続いていくのだ、などと思うようになっていた。

そんな日々を過ごし、解散から2年半ほど経ったある日、フト気がついた。
ずっと大切に持っていた、ボーカル内田さんの言葉*2 を、いつしか思い出せなくなっていたのだ。

その瞬間、私の青春は終わった。
突然のことだったけれど、ストンと腑に落ちた。
ああ、長い長い青春が今、ようやく終わったんだ。うろたえたり、取り乱したりすることなく、素直に受け止められた。

本当はその少し前から、うすうす気づいていたのだ。
「ループする」を聴いても、もうあの頃のように胸は痛まないこと。「サタデーナイト」の〈どんな歌にも君を探すよ〉と「砂漠の流刑地」の〈神様は君だった〉のフレーズを聴いて必ず思い浮かべる昔の恋人の顔が、だんだんぼんやりしてきていること。

歳を重ね、守りたいものが自分の中で少しずつ変わってきた。
やがて、いつか思い出せなくなるのが怖いと泣いていた日のことも、思い出せなくなっていくのだろう。
それでいい、それが生きていくということなのだと思う。形あるものはいつかはなくなる。変わらないものなんてない。
長い間ありがとう、さようなら、私の青春。

青春が終わったことについては、(もともと終わりにしようと決めていたこともあって)心に波風が立つことはなかったけれど、内田さんの言葉を思い出せなくなってしまったことは、途方もなく悲しくて、胸がつぶれそうなくらい苦しい出来事だった。あんなにも大切にしていた言葉を、やすやすと手放してしまったことへのショックは、あまりにも大きかった。
忘れるわけがないと高を括って、どこにも記録しておかなかった自分に自分で腹が立った。

どうして記録しておかなかったんだろう。永遠なんてない、枯れないものはないのに。
そう思ったその時、過去に同じ気持ちになった日のことを思い出した。
解散のあと、オフィシャルサイトもブログも、内田さんのインスタのアカウントも、全部なくなってしまったのを知った、あの日のことだ。

あの時も、いつでも見れるからと思って記録しておかなかったことをひどく後悔して、携帯の昔の保存データから特にお気に入りで保存していたいくつかの写真を引っ張り出してきて、膨大なデータの中に埋もれないように印をつけるなどしたのだった。
印をつけながら私は、戻れない日々に思いを馳せた。

ふくろうずの10年間のバンド活動の歴史において、私が彼らの存在を知って音楽を聴いていた期間は、およそ4年間。その間、諸事情でライブには数えるほどしか行けなかったし、メディア出演を追えていないどころか、持っていないCDもある。
そんな私ごときが、ふくろうずについて語るなんて、100万年早いと思っていた。おこがましくて、ファンだなんて、とてもじゃないけど言えなかった。
けれども、こんなことになるなら、もっと私に出来ることがあったのかもしれない。もしも、もっと早く出会えていたら。もっと沢山ライブに行って物販も沢山買っていたら。もっと彼らの魅力をSNSなどで積極的に発信していたら。
もちろん私1人の力でどうなるわけでもないことはわかっていたけれど、出来なかったことに対する後悔ばかりが、頭に浮かんでは消えたのだった。

これからも私は、色々なことを憶えては忘れていく。
好きなこと、大事なものも、どんどん変わって、大事なものは、大事だったものになって、思い出という過去の中にしまわれて、やがて忘れて、忘れたことも思い出せなくなって、それでも何の不自由もなく、暮らしていけるようになるのだろう。

忘れたくない。
ふくろうずを忘れてしまったら、私が私じゃなくなってしまう。そんなことあるはずがないって、頭ではわかっていても、心が全然追いつかなかった。

ふくろうずにまつわることは、どんな小さなことでも全部が全部大切で、ひとつ残らず手放したくない。ふくろうずの音楽に出会えたことで、過去の私がどれだけ救われたかということ。いくつものつらく苦しい日々を乗り越えられたこと。音楽ひとつでこんなに心が揺さぶられるのだと知ったこと。数えればキリがない。他の人が見たらとるに足らない些細なことでも、絶対にひとつも忘れたくない。

それでも、どんなに強く念じていたって、憶えていられることには限界がある。
このままでは、またいつかきっと大切な何かを失ってしまう。
記録しておかなければ。
今あるうちに。なくしたあとに気づいて後悔する前に。
記録しよう。
いつか読み返した時、未来の私は今の私にきっと感謝する、そういうものを作ろう。
今までみたいに、自分のためだけに、だれにも見せない日記に書いていたのではいけない。ちゃんとだれかの目に触れる場に出そう。
「もっと彼らの魅力をSNSなどで積極的に発信していたら」と悔やんだあの日からずっと行き場なく彷徨ったままの私の生き霊を、成仏させてあげよう。そう思った。

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というわけで、note始めます。
目指せ全曲制覇。

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*1: 私は考察が得意ではないし、もしかしたらとんでもない勘違いをしているかもしれないから、わざわざ言葉にしなくてもいい、と今までは思っていた。というよりも、自意識が過剰な私は、私の勝手な解釈のせいで、知らないうちに誰かを傷つけてしまうのがこわかった。だけど、以前インタビューで内田さんが自分と同じ感性の人にも、逆に受け取ってくれるような人にも、両方に聴いてもらえる曲を書くことが理想と言っていたのをいま改めて読み返して、やっぱり好きなこと言おう、と思った。私がこれから言葉にする思いには愛しかない。愛がすべてだ。そのことが、読んでくれた親愛なる人たちに、どうか伝わりますように。

*2: これは厳密に言うと内田さんの言葉ではないのだけれど、というのも、昔内田さんがFUDGEで連載していた記事の中で、彼女が失恋の曲ばかりを書く理由を、やなせたかしさんの言葉を借りて表現していたことがあって、その言葉がどうしても、思い出せないのです…。
(ご存知の方いらっしゃいましたら、もしくは記憶違いをしているなどのご指摘がありましたら、教えてくださると嬉しいです。よろしくお願いします)


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