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生体エネルギーが見えるようになると起こる3つのメリット

空を飛んでいるプラーナ

わたしはごりごりの”無”霊能者です。霊が見えた的な体験などは一切ございません。

でも生体エネルギー(プラーナ)は誰でも見れると思っています。なぜならそれは既に目の前に存在しているものだからです。わたしもほんの簡単な努力で見れるようになりました。

7~8年前の、第一次スピリチュアルブーム(わたしのです…)のときに、まずその機会は訪れました。本か誰かのブログで、晴天の空をバックに、焦点を30センチ奥に合わせると、プラーナが空を飛んでいるのが見えると、書いてありました。

もちろん半信半疑ですが、2~3分やっているうちに、何やら光の粒がたくさん飛んでいるのが見えました。

「お~これがプラーナというものか!!!」

ちょっと感動して、周りの同僚にも教えてみました。みんな簡単に見ることができました。(これは本当に簡単です)

ただ、ネットで調べてみると、それは網膜に反射したなんちゃらかんちゃらでプラーナではない、みたいな記事が上がっていて、私のテンションは逆にだだ下がりになって終わりました。

身体から出ているプラーナ

そして時は流れ2年ほど前。新幹線に乗っているときに、暇を持て余し過ぎて、手の周りを飛んでいる生体エネルギーを見てみようという実験をしてみました。

これには伏線があります。大阪の北新地に、オーナーが前世とかオーラとかを見てくれるバーがあります。その人いわく、

「こんなことは誰でもできるよ~」

とのこと。そのための3回レッスンというのがあるのですが、1回目のレッスンにだけ出たことがある友人は、手の周りのエネルギーを見るレッスンをさせられたと話していました。

「へぇ~それが見えることとどういうつながりがあるんやろ~」と当時は思っていたくらいでしたが、そのことがずっと頭にこびりついていました。

たぶん、オーラっぽい層みたいのが見えるんだろうな~と想像して、一生懸命、焦点を手の周りの何もない空間に合わせます。

この本当に空をつかむような行為が、この事実をある程度信用していないと続けることができないかも知れません。「自分なにしてるんだろ~」って本気でなります(笑)

バックが白だと見にくいな~とか、色々試行錯誤しながら30分くらい格闘すると、何やらうごめく光の点がたくさん飛んでいるのが見えました。


「うわっ、見えた!!」
「えっ、これなん?!」
「想像していたのと違う!」

想像していたのは層みたいなものでしたが、実際は点の集まりでした。

「なるほど!!だから焦点が合いにくかったんだ!しかも昔お空で見たプラーナと見えてるもんが一緒だ。やっぱりプラーナはホントだったんだ!」こう思いました。

立体視のように、一度焦点が合うと、次からは簡単に見えるようになります。始めは面白いので、何度も焦点を合わせて遊んでいました。

生体エネルギーが見えると起こるメリット①

そして、新幹線が京都駅に着き、降りたときです。

「えっ、なんやこの光は~!!!」
「めちゃくちゃ美しいやないか~!!!」

ってなったんです。
周りに見える光、特に車のヘッドライトと街灯の光がやばいくらい美しいんです。余りの神々しさに、しばらくほれぼれと見入ってしまいました。見てるだけで何とも言えない恍惚感に浸れます。

「なんでなんやろ~」

たぶん、嗅覚とかと一緒で、その微細な生体エネルギーの光を感じれる受容体みたいなののスイッチが、体の中でONになったのかと思います。

インドの聖者などは、植物とか岩石とかすべてのものに脈々と流れているプラーナが見えると言います。それは本当に美しいと。

聖者に1mmでも近づけたかと思うとちょっと得意気な感じです。

生体エネルギーが見えると起こるメリット②

2つ目のメリットは、

「全てはチューナーを合わせるだけ」

という言葉をようやく体感できて信じることができたこと。霊能者的は良くいいます。

「誰でもできる。ラジオと一緒でその周波数に合わせるだけ」と。

歩いている霊が見える人もいます。実際くっきり見え過ぎて、飲食の受付ができないという人にも合った時があります。
「4名様ですか?」「いいえ、2名です」みたいなことがしょっちゅう起こるようです。

音や声が降りてくる人がいます。この宇宙にはくまなくオームの音が流れていて、それに似せたのがお寺の鐘の音だそうです。

色々と感じれると言う人もいるでしょう。

これらもすべてそこに焦点を合わせるだけです。チューニングさえできれば誰でもできるんだということが体感できました。(出来たら霊は見たくない恐)

生体エネルギーが見えると起こるメリット③

3つ目のメリットは、スピリチュアル的なことをより信じることができるということです。

わたしはゴリゴリの唯物主義、現代科学信奉者だったのが、たくさんの文献を読み、色々な人の話を聞き、自分自身の実験と体験を経て、スピリチュアル的なことはすべて真実だったということを確信しました。

ただ、確信はしていても、その程度には差があります。やはり人間はどこまでいっても見えるものしか100%信じれないのです。全く疑っているわけではなく、存在は信じていても、確信度という深さが変わるんです。

幽体離脱は何回もしたことがあります。龍は見えたことはありません。セレンディピティな体験は、もはや日常になっています。

それでも日常を生きていると、すぐに常識にまみれていってしまいます。それでも良いのでしょうが、時々にはやっぱりこの世の大きな真理を意識して、取り戻す時間が必要だと思っています。

生体エネルギーが見えたことが、とても良い機会になりました。みなさんも簡単ですので、是非チャレンジしてみてください☆

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