「幸せに生きる」には、両輪を回す。
人間って、答えを1つにしたがる癖があるんですね。
その癖が、「幸せに生きる」のを邪魔している可能性がある、というお話です。
例えば、何か事故があったとします。
そうすると、「〇〇のせい」という、唯一解を人間は探してしまいがちなのです。
実際は、誰のせいでもなかったり、ヒューマンエラーを想定していないシステムのせいだったり、関係者みんなに1:3:6とか、ある程度の割合の帰責性があったりするのにです。
それと同じように、人間は、自己の認識を、1つに従る傾向があります。
例えば、「素晴らしい人間」と思いたいか、「ダメな人間」と思いたいか。
「優しい」と思うか、「冷たい」と思うか。
「優秀」と思いたいか、「無能」と思いたいか。
などです。
これって、まず、現実を表していなんですよね。
詳細を分析していくと、
数字は優秀、英語は苦手、運動は普通、と言ったように、人間が色々な強み、弱みが合わさって一つの人間を形成しているので、たった一言で表すことなんてそもそもできないというのが一つ。
人間には優秀な部分もあれば、ダメな部分もあり、優しい面もあれば、冷たい面もあるんです。
それを理解した上で、では、強引に、自分のこと全体について、どう思うかって考えるときに、わたしは、両輪を回すのが大切と思っています。
すなわち、「素晴らしく」もあり、「ダメ」でもある。という感じです。
自分のことは「素晴らしい」と思うのはとても大切です。
魂自身はみな崇高な愛で溢れていますし、みんな上を目指して様々な経験を積んでいますので、それだけでとても尊く素晴らしいこと。
その一方で、素晴らしいだけで終わると成長が止まってしまうので、「私はダメ」とういタイヤも回しながら、ダメな部分を改善していこうという、成長意欲につなげていきます。
この両輪を回していくのが、トータル的にバランスが良いのかなと思っています。
どちらかだけだと思ってしまうと、逆の自分が現象として現れたときに、そのギャップに苦しんでしまいますので、どちらも自分と思えた方が、すべてを受け止めやすく、穏やかに、より幸せに生きることができます。
「はは~、それもわたしだね~!」(さわやか)
という感じです。
自分が愛のある人だと思いながら、時には愛のない行為をすることもきっちり許容してあげる。それも自分です。
この両輪で考えるというのは色々な場面に応用できて、
例えば、人間関係も、「好きな人だけと会う」という片輪と、「苦手な人とも会って器を広げる」という片輪の、両方をバランスよく持つことも大切だと思います。
ビジネスも、「短期的な利益」と、「長期的な利益」の両輪を追うことがとても大切です。
子育ても、「子供の幸せ」と、「私の幸せ」の両方をバランスよく回す方が無理がありません。
より幸せに生きるためには、「両輪を回す」という思考は、とても有効だと思います。
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