日本人が抱いている「言語」に対する幻想

「英語を話せるようになりたい!!!」
とか、
「第三外国語をうまく話せるようになりたい!!!」
っていうフレーズをよく聞くのだけど、実際にそのレベルから言語を習得して使いこなせるようになった人をあまり知りません。
先日、僕のイタリア人の友達が
「日本に来る前は、日本ってテクノロジーがすごいイメージで、教育もしっかりしてると思っていて、80%くらいの人が英語を話すと思っていたけど、全然でびっくりしたよ!!!」と言っていました。
今の僕たち日本人は中学校から英語を習い始め、
学校のテストで好成績を出す人もいるし、巷には英会話教室や、英語を習得するための本が溢れてます。
しかし、それにもかかわらず英語を話す日本人は全体数から見るとごく少数なのが現状。

どうしてでしょう???

日本人の強烈な間違った思い込み

まず、特に多いのが日本人のメンタリティ的な側面からきている問題。
僕が感じたのは日本人は自他共に完璧を求める傾向が強く、
コミュニケーションにおいて”その言語を上手に話せないと恥ずかしい”と思い込んでいるところにあるということです。
テレビなどで日本語の言い回しや、発音などを間違える外国人を笑ったりするのがいい例じゃないでしょうか。

では、なぜそうなるのでしょう?

それは日本という島国で育った僕たち日本人特有の現象。

僕が思うに、”日本は他の欧米諸国に比べ、他の国に侵略されたりする体験がなく、移民がすごく少ないから”ここにあると思います。

理由はすごくシンプルで、鎖国などで諸外国との貿易規制をかなり強くしていた歴史や島国という国土的理由から、外国の人が日本という国に昔から極端に少なく、小さい頃から日本人ばかりと共に生活し、(外国人が来たとしても、当時は国のお偉いさんが来るくらいで、それに対応していたのも日本人のお偉いさんだったので、一般市民が外国の人と関わる手段もなかったし、顔つき、体つきも違うことから外国人を同じ人間と思っていなかったんじゃないかと想像します)
日本にいる人間は日本語でしっかりとコミュニケーションを取れるのが当たり前の環境で育ったことから、”言語を話せる=もちろんその言語をきれいに話せる”という解釈になります。
そして、日本に住んでいる=日本語が話せるが大前提なので、同じ日本人との人間関係構築の際に日本語をきれいに話せる能力(語順や単語選び)が、ある程度の知能だったり賢さ、そして話し相手の日本語の話し方でその人がどんな人物かを判断するものさしだったのだと想像できます。
なので、簡単にいうと
僕たち日本人は”話す日本語が上手できれいなバカ”に出会った体験がほぼ皆無なのです。
なので、外国人と話す時にもこの歴史的背景からくる概念を持ち続け、その国の言葉を完璧に話せないと恥ずかしいと思い込んだり、日本語を上手に話せない人をバカだと思ってしまうのだと思います。
その思い込みが、日本語を間違える外国人をバカにする事にもつながっているのでしょう。

じゃあ欧米諸国はどうなっているのか?

反対に欧米諸国は、大陸内に国がいくつも存在し、国境はあるものの、陸続きのため移動しやすく、他の国に簡単に行けます。
そして、歴史上たくさんの戦争や、領土侵略などを繰り返し、文化が入り混じり、自国に自国人以外の人種が当たり前のように存在するんです。
この環境が当たり前の中で生まれ育つと、
当然その国に住んではいるけど、”その国で生まれ育っていない人”や、
”全く人種の違う人”たちとも共に暮らすようになります。というより共に暮らさなければなりませんでした。
その中には、たとえその国の言語を話せなくても賢い人は無数に存在していたことでしょうし、そのような他人種と共存しコミュニケーションを取ることで生きてきたので”その国の言語が上手に話せるバカ””その国の言語がうまく話せないけど、能力のあるやつ”の両方が存在している環境で育ったのです。
なぜ、その両者が存在するのかというと
”その国の言語が上手に話せるバカ”の場合、国を移る時に能力がない分、語学を習得することにフォーカスしないと生き残れなかった人々であり、
”その国の言語がうまく話せないけど、能力のあるやつ”の場合、能力があるので語学を習得することにそこまで重点を置かなかった人々だったのです。
そのような両者が同時に同じ国内に存在すれば相手の話している言葉の文法がどうとかはあまり関係が無くなってきます。
このような歴史的背景から、
欧米人は”その国の言語が上手なバカ”と”その国の言語がうまく話せない能力のあるやつ”の両方のパターンとコミュニケーションを取り、人を見極め生きていかなければなければなりませんでした。
なので欧米諸国の人は人間関係構築で相手を見極めるために、相手の言語能力や話し方よりも相手の人間性やアイディア、考えていることなどの核となる部分を引き出すような会話をし、その中で相手を判断するという傾向、概念があり、たとえ話し相手が間違えたりきれいにその言語を話さなくてもそんなに気にせず、逆にこちらの言うことをよく聞いて理解しようとしてくれるのです。
そのため、相手が何を言いたいのか、自分が言ったことを理解しているのかが確認できれば問題はなかったのです。


彼らにとって、相手がきれいに話すことよりも大事なことは?


”どう話すか”ではなく、”何を話すか”なのだと思います。
上に挙げた歴史的背景などから、”言語を話す=その言語を上手に話せるということとイコールではない”ことを先祖代々の経験をもとに自然と理解しているので、少しその言語を話せて、相手のいうことを理解でき、コミュニケーションが成立すれば
”その言語を話す”と彼らは解釈するんですね。
要はニュアンスを理解し、それに対して自分なりの反応を起こし、コミュニケーションが成立すればOKということです。
なので、自分がしっかりした文法で話せているか?なんて考えなくていいのです。しかも僕たちはネイティブスピーカーではないことを相手も知っているので、相手が何を言いたいのかに意識を集中してくれます。
外国人が話すときに相手の文法や、話し方を気にして話しを聞いている人なんてほとんどいません。
彼らはきれいな英語が聞きたいのではなく、
”あなた”を知りたいのです。
上でも書きましたが
”どう話すか”ではなく、”何を話すか”そしてあと一つ、”あなたは誰なのか”です。

じゃあどうやって言語を学べばいいのか?

まず、僕が一番重要だと感じるのは、相手の言っていることを聞き取り、
理解すること
(ヒアリング)で、その次に自分の考えが言えること。
なので、語学を勉強する時にはまずその言語を浴びるほど聞きましょう
(始めはわからなくてもいいです。)
やることは地味ですが、確実に分かってきます。
そして、自分の意見を言えるようにすることは、日記を勉強中の言語で書いてみたり(文法ミスはあまり気にしない)、
1日の最後に鏡の前に立ってその日を振り返るスピーチを1分間その言語でしてみたりすると、自分の中にあるものや自分の考えを勉強中の言語でアウトプットする作業になるのでとても効果的です。
そうやって身につけた言語はまさに対人での外国語でのコミュニケーションの実践でとても活きてきます。
ちょっとした思い込みから不自由になることってとても多いんですよね。
「文法とか、言い方が合ってるかな・・・?」
なんて小さいこと気にせずに、どんどん感じたことを言ってみてはいかがでしょうか?
それで間違っていた場合、彼らは丁寧に教えてくれます!
「外国語を上達させたい!」
又は、
「外国人とのコミュニケーション能力を上達させたい!」
という方は今日から実践してみてください!








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