見出し画像

ゆたかさってなんだろう

ゆたかさって限られた一部の人にむけられた言葉であると思っている。自分にはないもので、求めないと得られない、とても高い位置にある空気。

特別な人達が吸うことを許された空気。私が存在している層には、もっと多くの人達がいて、ゆたかさの層がすっている空気とは透明度、匂いも異なる。

天井を見上げると届かない位置に’あるその空気は、当たり前にありそうで、見えるのに、届かない。

ゆたかさってなんだろう。本当は、その空気をすいたのに、自分には無理だと思ってしまうほど、遠く、儚い。

日々のことに感謝しましょう、私達の日常にあふれるゆたかさに目を向けましょうってキャッチフレーズに飽き飽きしている。

何度も、その日常を見つめるための努力や日々に感謝することに努力してきたつもりだけど、本当は心からの感謝は難しくて、その上の空気が羨ましくて、たまらない自分もいる。

何の道を進めば、私はそっちへ近づけたのかな、生まれの問題でもうそこへたどり着くことは不可能なのかと感じたりもする。

以前、とても豊かな人の動画を見たときに、戦略的とは言い難いほど、ゆったりと天然でその状況を達した様子だった。ただただ、自分の完成にまっすぐに。子供のようにふわりとした雰囲気をまとって。

それもセンスなのか、私は眉間にシワを寄せながら、その空気へ近づこうとしているのに、何食わぬ顔で、笑いながら、馬鹿だと見下していた人たちがどんどん前にすすんでいく。私の横をすり抜けていく。

ゆたかさってなんだろう。追いかけることに疲れた私は、諦めの気持ちでまたあるき始める。自分が今までしてこなかったことに目を向ける。避けてきたことに手を出してみる。

もう追っても届かない空気に近づくのをやめる。

振り返ると、いつものように笑っている主人がそこにいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?