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なぜ私が教育に関わる会社を立ち上げたのか_ウィーシュタインズ設立の経緯(1)

こんにちは。ウィーシュタインズ株式会社の代表・赤司展子と申します。

ウィーシュタインズは、子どもたちが従来の教育の「枠」を超えて、それぞれの彩りを発揮できる環境づくりを目指し色々な取り組みを行っています。また並行して、様々な学校法人の経営管理の仕組みづくりや働き方改革のアドバイザーとして、既存の教育現場のサポートも行なっています。

と、「教育」に深く関わらせていただいてるのですが、実はもともと教育とは全く関係のない仕事をしていました。

私のキャリアを簡単にいえば…、1998年に新卒で「三井物産株式会社」に入社した後、インテリアメーカー「アルフレックス ジャパン」へ転職。さらに、UBS証券に在籍時に米国公認会計士の資格を取得し、2007年、イギリス発祥の大手会計事務所「PwC Japan」に入社。

全く教育には関係ない経歴です。そんな私が、なぜウィーシュタインズを立ち上げるに至ったのか。

とても長い話にはなるのですが、私たちの取り組みにご協力いただいてる方、興味を持ってくださる方々に一度しっかりと知っていただきたいという思いで、今回このnoteにまとめてみることにしました。

これから4回に分けて更新していきます。

(1)事業コンサルティングとしてのキャリア
(2)プライベートな転機 
(3)東日本大震災復興支援事業での教育との出会い
(4)ウィーシュタインズ設立からパイロットテスト、そしてこれから

まずは(1)の事業コンサルティングとしてのキャリアについてお話いたします。

三井物産株式会社_世界の波に鍛えられた4年間

早稲田大学商学部を卒業後、商社への就職を希望していた私は、三井物産株式会社に就職をしました。この進路を選んだのは、子どもの頃から友人の親御さんに商社で働いている方が多く、また商社で楽しそうに働いている大学の先輩たちの存在が大きなきっかけとなりました。

「せっかく商社に入るからには、大きいプロジェクトをやりたい!」と希望した通り、配属されたのはアジア、南アメリカ、アフリカなど、世界の途上国で、電話やインターネットを通す基地局など通信機器を輸出する部署。私はその中でもアジアの担当で、営業アシスタントをしていました。

初めての就職。社会人としての基礎は全てここで学びました。さらに、留学経験などのない私でしたが、英語を使わなければいけない環境で自然と語学も学ぶことができました。

そしてこの頃に起こっていたのが「アジア通貨危機」です。私がいた部署でもタイでのプロジェクトのリスケ(債権繰り延べ)会議が連日のように行われていました。また、日本国内でも金融機関の連鎖的な破綻が毎日ニュースを騒がせていました。そんな激動の時代ではありましたが、この時だからこそたくさんの学びがあり、本当に貴重な経験をたくさん積むことができました。

しかし、私はこの会社を4年で去ることになるのです。

なぜなら、当時の私にとってあまりに全ての規模が大きすぎたのです。自ら希望した「大きなプロジェクト」ではありましたが、それは学生が思い描いていたものよりもはるかに大きかった。全体を通すと10年20年かけて達成するこのプロジェクトが完了した頃、私は一体何をしているのだろうか……。

4年間夢中で働きましたが、あまりに壮大なプロジェクトを前に、一度ここを飛び出してみようと考えるようになっていました。

アルフレックス ジャパン_新規事業立ち上げからブランド売却までを経験

ちょうどその頃に、イタリアの「B&B Italia」というメーカーが日本進出をするにあたり、同じくイタリア家具のメーカー「alflex」を日本で展開するアルフレックス ジャパンと包括契約を結び、スタッフを募集していました。

もともと、趣味ではありますがインテリアや建築が好きで、かつ輸出入や事業計画を作る仕事という商社での経験を活かせるまたとないチャンスだと考え、応募し採用されました。

しかし、ここも同じように4年で去ることになってしまうのです。

というのも、時はITバブル絶頂期。いわゆるヒルズ族のような方々が、こぞってイタリアの高級家具を買われていた時代。「B&B Italia」もアルフレックス ジャパンのイチ事業部としては対処しきれないほどの需要を抱えていました。そこで、「B&B Italia」事業部は別の企業へ移ることとなってしまったのです。

つまりは4年という短い時間で、私は海外ブランドの販売部署立ち上げから撤退までを行うというエキサイティングで貴重な体験をすることになってしまったのです。

米国公認会計士・U.S. CPAを受験_思わずして人事の仕事も経験

事業部が別の企業へ移り、合わせて販売スタッフなども異動することになったのですが、私はアルフレックスに残り事業部長と共にさまざまな後処理をすることになりました。

そんな事業移管の処理をする中で、商学部を出ているとはいえ専門的な知識もないままに、新しい会社や本国の財務の方々とやりとりをしなくてはならず、自分の力不足を何度も感じました。

仕事自体は本当に楽しかったので続けたい。そうであれば、一度財務や会計を体系的に勉強しなおそう。

そこで、私はアメリカの公認会計士の資格「U.S.CPA」を取ろうと思い立ちます。なぜ、日本の会計士ではなく、U.S.CPAを選んだのか。

日本の会計士の試験は覚えなくてはいけないことが非常に多く、会計士になりたいわけではない私にとっては、あまりに高いハードルでした。一方、U.S.CPAは、会計士になる資質があるかの確認と、基本的なフレームワークがわかっているかを確かめる試験です。資格取得後に実績を積んで初めて会計士になるというスタンス。ですから、概念を学びたい私には、ちょうど良かったのです。

勉強をしながら働くために、アルフレックス ジャパンを退職し、時間に融通のきく派遣社員として「UBS証券」の人事部で働くことになりました。しかし、入ってすぐにポジションが空き、正社員になることとなりました。偶然とはいえ、この期間に人事という立場で様々な方の人生に向き合うことができたことは、私の財産となっています。

そして、なんとか目標としていた約1年でU.S.CPAの試験をパスすることができました。

グローバル企業PwC_事業再生の道へ

晴れて財務関連の仕事をしようと入社したのは「PwC」という会社です。日本ではあまり馴染みのない名前かもしれませんが、イギリス発祥で世界158ヶ国に事務所があり、20万人以上のスタッフが働いているとても大きな企業の集合体です。「会計」「税務」、そして経営やITなどの「コンサルティング」など各専門家を擁するグループ会社により構成されています。

私はもちろん「会計」の部署へ入社をしたのですが、しばらくしてから「事業再生」のコンサルティングを行なっている部署に異動を申し出ることにしました。

というのも、三井物産ではアジア通過危機、アルフレックスでは事業の立ち上げからクロージングまでを短期間で経験。環境の変化であり方を変えざるをえなくなってしまった組織をどうすればベストな状態で立て直すことができるのか。そういったことに大きなやりがいを感じていたので「事業再生」の部署で働きたいと思ったのです。そして希望通り転属することができました。

事業再生は、経営難となった企業や病院にヒアリングをして課題を洗い出して、作成した計画をどう実行に移すか、を一緒に考えていくという地道な仕事。大変ではありましたが、毎日夢中で取り組んでいました。

そして、2011年3月。東日本大震災が起こります。さらにこの2年後、私は復興支援事業に関わることになり、その経験がウィーシュタインズ設立の大きなきっかけとなるのです。

それはまた次の記事で。

(このnoteは、ライターの馬居優子さんに聴き書きいただきました。)

ウィーシュタインズ設立の経緯(2)
ウィーシュタインズ設立の経緯(3)
ウィーシュタインズ設立の経緯(4)


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