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引き算の美学

今日は週末に参加をした、華道家山崎繭加さん主催のIKERUワークショップで感じたことを。

華道をワークショップという形で体験できるIKERU。

もちろん華道という名から想像が付く通り、本来色々な流派があり、流派があるからには、型やお約束があるのだけれど、IKERUでは、本当に最低限だけ教えてもらい、あとは花との対話と流れに任せる方式。

初めて参加をしたときは、それでも教えてもらった基本的な型に捕われ、剣山が見えないように・・・とえっさほいさと葉っぱを沢山敷き占め、隠そうと必死すぎ、なんてひと目で分かるような感じで、むむっ流れって難しい・・・という感想だった。

そのときの作品がこちら。剣山を見せない必死さから全体的にものすごく低い笑

それからちょうど一年。だけど、実は三回目の参加、ということで、生花経験値としてはそんなに積めていないのだけれど、今回は、基本の型も最初に言うのやーめたっ!という繭加さんの思い切りに助けられた面もあって、一つの枝を眺め、お前さんはどっちに流れて行きたいのかい?と話し、その流れに沿わない葉っぱは、パチッと切り落とし、次の枝に問いかける。

枝と、花と会話をしながら、近づけて見たり遠ざけて見たりと色んな風に見て、きれいな流れが出来てるかなと思ったら剣山に生けてみる。いつの間にか、他のことは頭からすっかりなくなって、気がついたら枝と、花との一対一の純粋な会話に。

そして生まれた今回の作品はこちら。

ドウダンツツジってこんなに葉っぱなかったっけ!?ってなるぐらいシュッとスマートになったんだけれど、見ていても、あ、生きてるな。と感じられる。

当然自然の中では葉が生い茂っている状態が”生きている”状態であり、それが美しいのだけれど、流れを意識して人の手を加えるとき、沢山詰め込んで華やかにするだけではなくて、あえて切り落とすことで、そこにある”流れ”が生きる。

眺めていて大きな違和感を感じないこの感じ、むしろ枝と花の意識が見えるような気がするこの感じがきっと引き算の美学なんだ、と少しわかった気になった、そんな一日でしたとさ。

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