トレスコ

 もともとマニアックなテーマの連載だが、ぼちぼちネタも尽きてきて、さらにマニアックな領域に突入する。今回のネタは、ネット検索してもあんまり情報が出てこない「トレスコ」。正式名称はトレーシングスコープ(だと思う)。知らない人に説明するのは難しいが、イメージ的には超アナログなスキャナ&プリンターと思ってもらえばいい。いや、それより写真の引き伸ばし機のほうが近いか。といっても、引き伸ばし機だって、ある年齢以上のカメラマン(もしくは趣味で写真やってる人)しか知らんわな。
 私も引き伸ばし機は使ったことがないけれど、トレスコはさんざん使った。何に使うかというと、①タイトルロゴや見出し文字などを拡大・縮小する、②写真やイラストのアタリをとる(レイアウト用紙の写真やイラストが入るスペースに絵ヅラの輪郭を描き込んでサイズとトリミングがわかるようにすること)、の2つ。ほかにも使い道はあるかもしれないが、私がやったことのあるのはその2つだ。

 構造としては、まずガラスのテーブルがあり、その下に蛇腹で上下できるレンズが付いている。さらにその下に、原稿を置く台がある。台は中心部がガラス張りで、上からも下からもライトが当てられる仕組み。紙焼きなどの反射原稿は上からのライト、ポジフィルムなどの透過原稿は下からのライトで照らすわけだ。
 上部は暗幕で覆われていて、レンズを通した像がガラステーブルに映し出される。テーブルの左右についたハンドルでレンズを上下させ、像の大きさとピントを調整(自動でできる機種もあった気がするが記憶が定かでない)。アタリをとる場合は、ガラスの上にレイアウト用紙やトレペを置いて、投影された像をなぞればいい。

 ロゴやなんかを拡大・縮小する場合は、サイズとピントを合わせたら一度ライトを切って、像のサイズに合わせてカットした印画紙を置く。このとき、像の投影される位置を覚えておいて、その場所に置かないと端っこが切れたりするので要注意。それから露光時間をセットするのだが、これがなかなか難しい。一応の目安はあるものの、細かい部分がつぶれたりかすれたりしないよう微妙な調整が必要で、結局は経験と勘に頼るしかないのである。
 ともあれ時間をセットしてボタンを押せば、指定の時間だけライトが点灯して消える。そしたら印画紙を現像液につけるわけだが、その時間もまた経験と勘。ほどよい塩梅で取り出して、定着シートと合わせてローラーにかけて圧着。そこでまたほどよい時間待ってから、はがして水洗いして乾かす。それでやっとできあがりだ。

 文字で書くだけでも面倒くさいが、実際にやるともっと面倒くさい。特集ページに通しロゴを入れるとなると、元のロゴを縮小したものを十数点作らねばならない。そういう場合は、まず縮小×2回で小ロゴを2点作る。それを原稿にして等倍で複写。それをまた原稿のほうに回して……というように倍々ゲームで増殖させるのだ。
 そういうのは普通はデザイナーか版下屋の仕事だと思うのだが、私が勤めていた中堅出版社では、それも編集者の仕事だった。上記のようにして作った通しロゴを版下の所定の位置に貼り込むのも、編集者の仕事である。今考えたらいろいろひどい職場(何時間残業しても手当は1日500円とか、社長の飼ってるブルドッグが我が物顔で社内を練り歩いてたりとか)だったが、いろんな経験ができたのはよかったと思う。

 フリーになってしばらくは、トレスコに触れることもなかったが、思わぬところで再会した。SPA!編集部の片隅に、ポツンと置かれていたのである。印画紙や現像液、ローラーなど、紙焼き用の機材はなかったので、おそらくデザイナーがアタリ用に使っていたのだろう。私が編集部に出入りするようになった頃にはもう、ほとんど使われている形跡がなかった。
 ところが、なぜかそれを私が使うことになったのである。96年に西原理恵子さんの『できるかな』の連載(というにはあまりに不定期だが)を始めたら、マンガの中に写真を入れ込むという当時としては斬新な手法を繰り出してきた。本来なら、写真のアタリや文字色指定などはデザイナーに頼むところであるが、何しろ原稿が上がってくるのが遅い。デザイナーに「いつ上がりますから」と約束もできず、深夜に上がった原稿を翌朝までに入稿しなければならないような状況だったため、自分でやるしかなかったのだ。

 しかし、そのトレスコも何年か前に撤去された。西原さんのマンガは今も生原稿だが、写真はデータなので、原稿のほうをスキャンしてPC上でアタリをとっている。最近は原稿が遅れることもほとんどなくなったので、デザイナーに頼んでもいいのだが、なりゆきで自分でやっている。もちろんロゴの紙焼きなんて、まったく使う機会がない。
 作業的には昔より確実にラクになった。活字(活版)と違って、トレスコならではの味わいなんてのも特にない。もう機械自体、ほとんど現存しないのではないか。ただ、あのハンドルをくるくる回してサイズとピントを合わせるのだけは、ゲーム感覚でちょっと面白かった。ゲーセンにあったら、3回ぐらいはやるかもしれない。


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新保信長

出版業界今昔モノ語り

気がつけば編集・ライター生活も世紀をまたいで30年。その間、テクノロジーは大きく進化し、仕事で使う道具や仕事の進め方もずいぶん様変わりしてきた。この連載では、そんな出版業界の仕事環境の変遷を、道具=モノを軸に振り返ってみたい。(※「季刊レポ」のウェブ連載「ヒビレポ」に201...
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