カメラ

 88年初めから91年秋まで、編プロと中堅出版社でビジュアル誌の編集をやっていた。当然、いろんな撮影の仕事がある。89年に腕時計のムックを作ったときには、巻頭数十ページ分のブツ撮りが大変だった。午前中にメーカーやショップから商品を借り出し、午後から夜遅くまでカメラマンのスタジオで撮影、深夜に会社に戻って昼間できなかった仕事をしてから少し寝て、翌日午前中に商品の返却と借り出し、そしてまた午後から夜まで撮影……の繰り返し。腕時計のような“光りもの”の撮影はなかなか難しく、ブツ撮り界ではトップクラスのカメラマンのこだわりもあり最初のカットの照明が決まるまで数時間かかったが、それまでにない質感が出せたので、駆け出し編集者としてはとても貴重な経験となった。

 そういう撮影で使われるのが4×5インチフィルムの大判カメラ、いわゆる「シノゴ」というやつだ。昭和に育った人なら、遠足や入学式などの学校行事で集合写真を撮るときに業者のおじさんが使っていた蛇腹式のデカいカメラを見たことがあるだろう。スタジオのブツ撮りで使うのはアレとはちょっと違うのだが、イメージとしてはあんな感じ(記念写真のやつはさらに大きい8×10インチの「バイテン」だったかもしれない)。今のデジカメの液晶画面に当たる部分にピントグラスと呼ばれる擦りガラスがあり、そこに映った像を見ながら構図や照明などを調整する。細かいピントはルーペで確認。一応OKとなったら、インスタントフィルムの入ったホルダーを装着して試し撮りをする。
 その試し撮り作業を俗に「ポラを切る」というが、昔の家庭用ポラロイドとか最近のチェキみたいに表面に画像が浮き出てくるやつではなく、保険会社とかから送られてくるハガキみたいに2枚貼り合わさってるのを剥がす方式。剥がすのが早すぎるとダメで、画像が定着するまでしばらく待たねばならない。その間、手ではさんで軽くこすってみたり、ピラピラ振ったりする人が多かったが、たぶんそれで定着が早くなるわけではなく、おまじないみたいなもんだろう。

 スタジオではなくロケ取材では、だいたい35ミリフィルムの一眼レフ。場合によってはブローニー判カメラのこともある。そこでもタレント取材などの場合は「ポラを切る」という工程があった。そういう余裕のないドキュメンタリー的な取材の場合は、とにかく数多くシャッターを切るだけだ。プロのカメラマンなら撮影時点である程度の手応えはつかんでいるだろうが、本当の結果は現像してみるまでわからない。
 カラーなら現像されたポジフィルムの入ったスリーブをライトボックスの上に置いて、ルーペで見ながら使用カットを選び、ダーマト(プラスチックやガラスにも書ける色鉛筆みたいなやつ)でスリーブの上から印をつけ、ハサミで切り出すという作業があった。モノクロならベタ焼き(コンタクトシート=フィルム原寸のまま印画紙に焼き付けたもの)をチェックして選んだコマを引き伸ばしプリントする。撮影したすべてのコマから編集者が選ぶ場合もあれば、カメラマンが事前に粗選りしておく場合もある。暗室を持ってるカメラマンでも、作品的な写真ではなく雑誌仕事なら現像はプロラボ(プロ向けの現像屋)に出すのが普通だったと思う。

 しかし、デジカメが普及して、いろんなことが大きく変わった。
 まず、撮った画面をその場で確認できるので、ポラを切る必要がない。フィルム代や現像代がかからないしフィルム交換の手間もないので、バシャバシャ枚数撮れる。多少の不備があっても、あとでフォトショップとかで修正できてしまう。現像の時間がない分、スケジュールも詰められる。仕上がり写真の受け渡しもネット上で済ませられる。ルーペもダーマトもライトテーブルも、めっきり使わなくなった。
 編集者からすれば時間と手間と経費が節約できて、いいことずくめ。が、カメラマンにとっては、便利になった面もある一方、困った事態も発生した。アナログ時代は現場での撮影が終われば基本的に仕事終了だったのに、デジタル化以後は候補カット選びやデータ加工など、納品までの作業負担が増加。ギャラの安さをフィルム代などの経費上乗せで補填することもできなくなった。フォトショップ作業代を請求して編集部が払ってくれればいいが、このご時世、それもなかなか難しい。
 そして何より問題なのは、素人でもそれなりの写真が撮れるようになってしまったということだ。もちろん、ここぞという大事な写真、撮影条件が厳しく技術を要する写真はプロに頼むにしても、ちょっとしたインタビューカットとか、お店の外観、イメージ写真ぐらいなら、今はライターや編集者がわりと自分で撮ってしまう(致命的にヘタな人を除く)。なので、カメラマンに依頼される仕事の総量は間違いなく減った。自分なりの表現世界を持ってる人はいいが、そうでないカメラマンには厳しい時代である。

 私の場合はずっと予算の厳しいところで仕事をしてきたせいで、自分でできることは自分でやる習慣があり、アナログ時代から自分で写真を撮ることが結構あった。一眼レフのほかに愛用していたのは、コニカのビッグミニだ。タイアップ記事を作ったときにサンプルでもらったのを、そのまま長いこと使っていた。西原理恵子『できるかなリターンズ』収録のサハリン紀行(98年取材)で鴨志田さん(西原さんの元夫・2007年死去)が写っているカットはそれで撮ったものだ。
 06年に西原さんと行ったゴビ砂漠恐竜化石発掘取材(『できるかなクアトロ』収録)ではコンパクトデジカメとビッグミニを併用した。当時使っていたデジカメは電池の持ちが悪く、砂漠のテント生活で充電できるかどうかわからなかったのでビッグミニも持っていったのだが、この取材中にビッグミニはとうとう動かなくなりお役御免。
 以降、完全にデジタル化して、現在はニコンD5500(一眼レフ)、ニコン1 V2(ミラーレス一眼)、カシオEX-H15(充電の持ちがいいコンデジ)、リコーWG-50(完全防水)を状況により使い分けている。

 今でこそ、フィルムカメラと同等もしくはそれ以上の性能を備えているデジカメだが、初期の製品はひどかった。75年にコダックが開発した世界初のデジカメが100×100ピクセルしかなかったというのはご愛嬌としても、95年発売で大ヒットしたカシオQV-10もわずか25万画素。当時としては小型・軽量、世界初の背面液晶モニターを搭載という画期的仕様だったが、印刷媒体にはとても使えない。
 プロ仕様の一眼レフでは、同じ頃すでに600万画素のキヤノンEOS DCS1が発売されているが、1枚撮影して記録するのに1秒以上かかったという。しかも値段が360万円! そんなもん税金対策でもなければ買わないだろう。
 実際に雑誌の現場でデジカメが使われるようになってきたのは2000年頃だったと思う。前年に発売されたニコンD1が性能と価格の両面で普及のきっかけになったらしい。私の周りでは2001年頃はフィルムの人もデジタルの人もいたが、2003年頃にはもうほとんどのカメラマンがデジタルになっていた。それは印刷工程のDTP化ともリンクしていて、要はポジやプリントよりデジタルデータのほうが歓迎されるようになってきたのだ。

 前述のブツ撮りなんかも、今はほとんどデジカメだという(最近その手の仕事やってないので聞いた話)。ところが、先日取材を受けた「AERA」の「働く夫婦カンケイ」というコーナーのカメラマンさんがフィルムカメラを使っていてびっくりした。なんかジーコジーコ音がするなあと思ったら、フィルムを巻き上げる音だったのだ。あまりに久しぶりに聞いたので、最初は何の音かわからなかったぐらい。しかも、老巨匠とかではなく、たぶんまだ30代半ばの若い人だ。名前を「キッチンミノル」という。いろいろ変だが、こういう人がいると、ちょっとうれしくなるのであった。

【参考サイト】
デジタルカメラの歴史
http://www.at-digicame.com/01/001.html
デジカメ歴史館
http://www.digicamezine.com/digicame/makermatrix.htm
デジタル一眼レフの歴史
http://www.dcm99.com/slr/history_1995_2000.html

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新保信長

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気がつけば編集・ライター生活も世紀をまたいで30年。その間、テクノロジーは大きく進化し、仕事で使う道具や仕事の進め方もずいぶん様変わりしてきた。この連載では、そんな出版業界の仕事環境の変遷を、道具=モノを軸に振り返ってみたい。(※「季刊レポ」のウェブ連載「ヒビレポ」に201...
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