コピー

 今となってはパソコンやインターネットなしには1ミリも仕事が進まないが、私ぐらいの世代(50歳前後)はまだ、どちらもなかった時代を経験している。しかし、コピーがなかった時代にどうやって仕事してたのかとなると、ちょっと想像しづらい。社会人になった時点で会社にコピー機は普通にあったし、仕事に欠かせないものだった。
 ビジュアル誌の場合、レイアウトが上がってくると、まずコピーして、そこに赤ペンでどの原稿がどこに入るかの指示を書き込む。本割(レイアウトの原版)は写真やイラストと一緒に分解・製版へ、コピーのほうは文字原稿を付けて写植屋へ、というのがザックリした入稿の流れ。一括して印刷所に入れる場合もあるし、細かいことを言うといろいろあって、文字主体の雑誌や単行本ではまた事情が違うが、とにかくコピーは必需品だった。

 A4判の雑誌だと、見開きでA3。枠外のトンボ(印刷の位置合わせのためのマーク)まで含めてコピーするにはB3サイズが必要だが、私が勤めていた中堅出版社にはB3コピーのできる機械がなく、B4で片ページずつコピーしたものを貼り合わせていた。この貼り合わせには、一枚の紙かと思うぐらいピタッと合わせられる秘技があるのだが、何十ページ分もやってると、それだけで1時間以上かかってしまう。のちにフリーになってSPA!編集部に出入りするようになったとき、B3どころかA2までコピーできる大型マシンがあって驚愕。しかも、A3までの普通サイズのコピー機のほうにはソーター機能が付いていて、「文明開化!」と感嘆したのを覚えている。
 作家の先生から手書きの原稿をもらったときも、まずコピー。当時はオートドキュメントフィーダーがなかった(あってもオプションで高かった)から、一枚一枚コピーする。原版はそのまま控えとして保管しておいて、コピーのほうに赤入れ(読みにくい部分の書き直しや写植の指示)するわけだ。ところが、文学館などで昔の作家の原稿を見ると、生原稿に直で赤入れしてあったりする。乱暴だなーと思うけど、コピーがなかった時代はそれが当たり前というか、そうするしかなかったのだろう。

 現在のような普通紙コピーは、1959年にゼロックスが開発した。同社が特許を独占していたこともあり、アメリカではゼロックスがコピーの代名詞に。日本でも富士フイルムとゼロックスの合弁会社・富士ゼロックスが販売したため、島耕作ぐらいの世代だとコピーを取ることを「ゼロックスする」と言いがちだ。
 それ以前はジアゾ式(いわゆる青焼き)コピーが主流だった。55年にリコーが発売した「リコピー101」が卓上型で露光・現像一体型の画期的マシンとして、OA化の先駆けになったと言われている(2012年に機械遺産に認定)。そこから〈「複写する」という代わりに「リコピーする」という言葉が産まれ、複写の代名詞として広く普及していきました〉(リコー公式サイト「リコーの歩み」より)というのだが、これはさすがに私の年代では聞いたことがない。
 70年にキヤノンが独自の技術で日本初の普通紙コピー機を発売。以降、徐々にオフィスに普及していく。適当な統計データが見つからなかったが、80年代初めぐらいには街の不動産屋とかにもコピー機があった(1枚40円ぐらいでコピーサービスもやってた)ので、その頃には大部分の会社が導入していたのではないか。コピーの必要性の高い出版社なら、なおさら導入は早かっただろう(ちなみにキヤノンの家庭用コピー機「ファミリーコピア」の発売は86年)。

 編集仕事においては、レイアウトや原稿、あるいは企画書などをコピーするだけがコピー機の使い道ではない。【写植】の項で〈写植を打ち直す時間も予算もない場合、修正のないページの版下から使える文字を探してきて、それを切り貼りすることもよくあった〉と書いたが、もっとひどいときはコピーした文字を切り貼りすることもあった。
 一時期ちょっとしたデザイン仕事もやっていたので、写真やロゴを何度も拡大/縮小コピーしてわざと荒らしてみたり、コピーしてる途中で原稿を動かしてブレ効果を出したりといった使い方もした。デジタルコピーになると拡大/縮小しても荒れた味が出なくなってしまったが、そのかわりモノクロページの小さい書影や新聞記事のコラージュとかなら、わざわざ写真撮影しなくてもコピーで十分間に合ってしまう。

 88年に「モノ・マガジン」でカード特集をやったときは、その頃まだ珍しかったカラーコピーを使って表紙撮影用の素材を作った。アメックスほか各社のサンプルカードをカラーで拡大コピーして切り抜き、6穴パンチで穴開けて、当時の最新流行アイテムだったシステム手帳のリフィルに見立てたのだ。もちろん編集部にカラーコピー機などないので、キヤノンかどこかがやってたコピーサービスセンターに行ってコピーしてきた。はっきり覚えてないが、1枚コピーするのに数百円かかったような気がする。

 複合機が一般的となった今、オフィスどころか家庭でもカラーコピー(スキャン&プリント)できるのは当たり前。モノクロページの最終校正用に使われていた青焼きも、DTP化で製版フィルムの必要性がなくなったことで、最近はとんと見なくなった。
 まあ、青焼きに関しては、どう考えても扱いづらかったので、なくなっても全然惜しくない。今はウチの仕事場にもリースの複合機があるが、コピーとしてはあんまり使うことはなく、スキャナー、プリンターとしての使用がほとんどだ。まあ、そもそもスキャンとプリントを同時にやるのがコピーなわけだが、同じ書類が複数必要なら複数プリントすればいいわけだし、仕事の進め方として「紙の書類をその場で複製する」という必要性があまりなくなってきているということか。

【参考サイト】
リコーの歩み
http://www.ricoh.com/ja/company/history/2000/ricopy101.html
コピー(複写機)の歴史
http://www.tanken.com/copy.html

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新保信長

流しの編集&ライターです。「南信長」名義でマンガ解説も。企画・編集を担当した『文藝別冊・五十嵐大介』、西原理恵子『できるかなゴーゴー!』絶賛発売中。南信長名義の新刊『マンガの食卓』も絶賛発売中です! http://www.amazon.co.jp/dp/4757143168/

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