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証明写真の〈写真化された自分〉について感想を述べよ

受験票に貼付された証明写真を見つつ〈写真化された自分〉について感想を述べよ。('92年・武蔵野美術大学)

 受験生全員が必ず机の上に提示している受験票を試験の題材に使うとは、なかなかのグッドアイデア。多摩美の問題みたいにコーラやら手袋やら、いちいち配る手間も省けるし。が、受験生たちが一斉に自分の写真とにらめっこしてる図ってのは、ちょっと笑える。
 それに〈写真化された自分〉ってのもナゾ。単に「写真に写った自分」というのとは違うのか。なんか小難しい言い方をして、手抜きをごまかそうとしてないか? しかも「論じよ」ではなく「感想を述べよ」である。証明写真って、たいていブス顔に写るから、素直に感想を書けば「我ながらブサイク」とか、そういうことになっちゃいそうだ。「こんなことなら写真館できれいに撮っとけばよかった」とか。出題者の意図はたぶんそういうことじゃないとは思うけど。

 また、同じ武蔵美の翌年の実技には、「いまあなたが身につけている履物を履いたままの状態でデッサンしなさい」なんて課題も出た。これまた手近なところで済ませて合理的といえば合理的だが、「履いたままの状態でデッサン」ってことは、自分の足元を見ながら絵を描くことになるわけだ。大勢の受験生が揃いも揃ってうつむいて、自分の足元を見つめながら一心不乱に鉛筆を動かしてるところを想像したら、こりゃマヌケというかブキミというか。この課題の出た'93年の視覚デザイン学科の受験者数は1940人。もちろんいくつかの教室に分かれて受験したんだろうけど、もし現場を目撃したら、集団催眠にかかった人たちみたいで結構コワイだろうな……。

(※2005年に某誌より依頼を受けて拙著『笑う入試問題』から抜粋・再構成した記事が先方の都合でボツになりました。そのときの原稿を順次掲載していきます)

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