量子力学は不思議じゃない

なんか最近、量子力学に注目が集まっているみたいですね。量子コンピュータの需要が高まっているからでしょうか?

しかし、注目が集まることによって、非常に大きな問題も広まっています。それは「量子力学は不思議な学問」と誤解されるようになっていることです。

量子テレポーテーション」や「重ね合わせ」、生と死がまじりあった「シュレーディンガーの猫」など、確かに不思議と思うような現象は数多く存在します。

今回は、そんな「不思議な学問」の「誤解」を解いていきたいと思います。


そもそも物理ってなんだろう

量子力学を理解する前に物理とは何かを理解していきましょう。量子力学がなぜ「ヘンテコ」になったかは「物理とはなにか?」を知らないと理解できません。まずは、根本的な「物理学とは何か?」を解説していきます。

物理学とは

物理学とは「自然法則を説明する理論を作り検証する」という学問です。

具体的には、物体の運動を説明する古典力学、電気や磁気による現象を説明する電磁気学、そして微小な物体の動きに特化した量子力学などが存在します。上記に挙げたのは比較的有名なものですが、細かいものを上げればさらに多くの理論が存在します。

では、物理の理論とはどうやって作るのでしょうか。答えは、「原理を決めて説明していく」です。原理とは、理論を構成するうえで必要な「最低限のルール」のことで、ニュートン力学における「ニュートンの三法則」や電磁気学における「マクスウェル方程式」にあたります。

これらは「ルール」であり、証明の必要はありません。実験的な検証も必要ありません。どんだけ滅茶苦茶なことを言っても、「これは原理である」とあなたが言えば、物理学者は受け入れてくれるでしょう。

物理の美しさは原理で決まる

しかし、あなたが作った理論が美しくない場合、どれだけ整った理論であったとしても物理学者は受け入れてくれません。

美しい理論とはどういうものでしょうか。それは、原理が以下のような要素を満たしている理論のことです。

  • 原理が既存の実験結果と矛盾しない。

  • 原理が必要最低限しか存在しない。

  • 原理がシンプルかつ分かりやすい。

  • 原理からの理論展開で非常に広い範囲を説明できる。

上記を見ると、「原理」が「美しさ」と直結していることがわかりますでしょうか?このことを加味すると、物理では「原理の設定」が非常に重要なことがわかります。

ちなみに、非常に美しいとされている理論として有名なのは相対性理論です。相対性理論では、時間が遅く進むなどの摩訶不思議な現象が示唆されていますが、この理論では「特別な空間なんてない」と「光の速度は一定」という2つのシンプルな原理しか設定されていません

ここまでのまとめ

ここまで、いろいろなことを述べてきましたが、覚えてほしいことはたったの2つだけです。

  • 物理とは原理からいろいろなことを説明する学問である。

  • 原理は少なく、かつシンプルであればよい。

これがわかっていれば、「量子力学とはなんなのか?」と「量子力学はなぜヘンテコなのか?」がわかります。

量子力学が不思議になった理由

ここからは本題である、重ね合わせやシュレーディンガーの猫などのような、量子力学における「不思議」の理由を解説していきます。

物質波の発見

量子力学の転換点となったのは、水素原子モデルのパラドックスを解消するためにドブロイが導入した物質波になります。

詳しい話をしてもよくわからないと思うので、ざっくりと説明すると、水素原子は「電子が粒子である」と仮定すると存在しないことがわかっていたのです。

ドブロイは、「じゃあ波として考えればよくね?」と考えて、物質波というものを導入しました。こうすることで、水素原子が安定的に存在できると証明したのです。

実はこれはあんまり不思議じゃない

さて、粒子である電子を波として考えるのは非常に不思議だとは思いますが、これは一部の学者にはすんなりと受け入れられました。理由は2つ存在します。

まず1つ目は、ドブロイが導入する数年前にアインシュタインが波として考えられていた光を粒子として考える理論を導入していたからです。この理論は導入時点では批判の嵐でしたが、この理論を裏付ける実験結果が出たことで、粒子として考えることはある程度浸透し始めてました。

つまり、「波が粒子になるなら粒子が波になる」という希望的観測も相まって、ドブロイの物質波は割と受け入れられたのです。

そして、2つ目の理由は「波と粒子が混在した理論を作るのは直感的には難しくない」ということがあげられます。
例えば、電子は粒子として存在しているが、電磁波などに波乗りしていて、波っぽくふるまっているだけと考えれば、不思議な現象とは思えないですよね?

このように、「波と粒子を混在した理論と考えれば難しくない」ということもあり、ドブロイの物質波は批判もありましたが、割と簡単に受け入れられました。

この波の正体は…?

そして、ドブロイの理論が受け入れられてから、物質波に関する探究がさらに加速しました。

シュレーディンガーは、物質波と形を計算することができるシュレーディンガー方程式を作成し、「物質は波が大きいところに現れやすい」ということを突き止めています。

しかし、物理学者たちはこの物質波が何なのかを突き止められません。正確に言えば、それっぽい理論を作ろうとはしたものの、原理が難解になったり、非常に数が多くなったり、ある程度まとまったとしても非常に限定的な場面しか説明できなかったりと、端的に言えば美しくなかったのです。

そんな状況に終止符を打ったのが、ボーアです。

もう正体突き止めなくてよくね?

ボーアが考えたのは、「物質波の正体を突き止めるのをあきらめる」ということでした。

ボーアが考えた理論はこんな感じです。この波は「物質の存在確率」を表しており、波が大きいところに粒子が出現する確率が高くなり、小さいところには粒子が出現する確率が低くなります。そして、波を人が観測すると、電子は波から粒子に収束し、出現確率に則って出現するという理論です。

要するに、観測前に何が起きているかを考えるのをあきらめた形になっているのが、ボーアの理論の特徴になっています。

なぜこのようにしたかと言えば、こうすることで「理論が美しくなる」からです。これまでは、粒子が波に乗っているなどといった仮説を原理にしていましたが、そのような直感的な原理をあきらめ、粒子は観測前は波で観測後に粒子になるという、不思議ながらシンプルな原理を導入することで、理論が非常に美しくまとまるのです。

ここまでのまとめ

いったん話を整理しましょう。これまでの話を整理すると、以下のような形になります。

  • ドブロイによって物質波が導入され、一部の学者がそれを発展させた。

  • 物質波を実在すると考えて作った理論は美しくなかった。

  • ボーアが作成した、実在性などを放棄した理論は非常に美しかった。

ここまで聞くと、重ね合わせやシュレーディンガーの猫などは、理論の美しさを突き詰めていった結果現れたものであり、実際にそうなっているかと言えば「わからん!」が正解であることがわかります。


なぜこんな理論が受け入れられたのか?

ここまで、量子力学が美しさを追求した結果、出来上がった理論であると述べました。しかし、「そんなんでいいのか?」と思う人も多いでしょう。ここからは、量子力学を受け入れられなかった人たちや、受け入れた人たちの話をしていきます。

もちろん受け入れられない人もいた。

受け入れられなかった人の代表としては、シュレーディンガーやアインシュタインが存在します。

シュレーディンガーは、「観測前は波になっている」ということが受け入れられず、「シュレーディンガーの猫」という思考実験を提唱しています。

この思考実験の内容をかみ砕くと、以下のような形になります。
まず、箱の中に電子を入れて閉じます。この時、電子は観測前の状態になるので、中では波になっているはずです。

次に、中を見ないように箱のセンサーを取り付けます。このセンサーは、箱の左半分に電子が存在する場合に、別の箱の中に猛毒ガスを噴射します。この毒ガスが噴射される箱の中には猫がいます。もちろん中は見えません。

この時、電子は波になっているので、猫の生死も波になっています。このような、意味不明な論理が成り立つのはおかしいというのが、シュレーディンガーの主張です。

アインシュタインも、似たような意味不明な論理が成り立つ思考実験も提唱しています。これは少し難しいの割愛させていただきます。

宗教的にも受け入れられない理論

そして、この理論は宗教、特にキリスト教の教義的にも受け入れられない理論でした。

キリスト教では運命論が教義になっています。つまり、「神はすべてを知っている」ということです。一方で、量子力学では「世の中の根本は確率である」という形になっています。

つまり、量子力学はキリスト教の教義と真っ向から対立する理論でもあるわけです。アインシュタインが言った「神はサイコロを振らない」という言葉は、量子力学と宗教の対立を端的に表していると、個人的には考えています。

その有用さを認める人は多かった

一方で、量子力学自体の美しさや理論としての有用さは、上記の二人を含め多くの人が認めています。

個人としてはハイゼンベルクでしょうか。実は、ハイゼンベルクは確率解釈を最も広めた人物の一人であり、根本的な解釈としてボーアと対立があったものの、現代の量子力学の解釈はハイゼンベルクが広めたものといっても過言ではありません。

また、ハイゼンベルクはボーアよりもさらに前に、確率を端的に表せる行列力学なんてものも作っています。こうしてみると、現代の量子力学の基礎はハイゼンベルクが作ったといっても過言ではありませんね。

物性との相性は今までの理論とは段違いである

そして、量子力学は物性、つまり物の性質を扱う学問との相性が抜群であったことも、受け入れられた理由になると考えています。

あまり知られていないですが、物理において物性を求める際には、「統計学」を使用します。

物質において、電子や原子核は山のように存在しており、それら1つ1つの動きを完璧に予測しするのは非常に困難です。そのため、物質の持つ性質を計算する際には、電子や原子核の状態を統計的に計算し、全体としてどのような性質を持つかを計算します。これが統計力学です。

統計的に計算をする際には、それぞれの細かい動きはそこまで重要ではなく、「確率的にどのような動きが非常に重要」になります。

それまでの統計力学は、わざわざそれぞれの電子が確率的にどうなるかを計算していましたが、量子力学では確率そのものが出てくるため、統計力学との親和性が非常に強かったのです。

学生時代、教授は「量子力学の真価は統計力学で発揮される」と言っていましたが、これを見るとその通りであることがわかります。

まとめ

ここまでの議論をまとめると、以下ような形になります。

  1. 量子力学とは波の正体をあきらめた結果できた理論である。

  2. 結果として、不思議な現象が予測されるようになってしまった。

  3. しかし、それらの不思議な現象が実際に起きているかは誰も知らない。

  4. だが、理論としては有用なので今でも広く使われている。

なお、ここで述べたことは私が個人的に調べたものであり、情報としての信憑性は低いです。特に歴史の部分に関しては、間違っているところもあると思います。ご容赦ください。

しかし、一番重要な、「不思議とされている現象は予期されているだけであって、本当にそうなっているかは誰も知らない」という点は事実だと思ってもらっていいです。
多くの物理学者は、量子力学について「理論としての有用性や美しさを求めた結果そうなっただけで、本当にそうなっているかははっきり言えばどうでもいい」と考えています。

皆さんも、量子力学を不思議な学問と述べる似非科学者に騙されず、有用性などを突き付けた結果生まれた、非常にリアリスティックな学問であることを忘れないようにしてください。

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