くに3

少年の国 第一話国民学校

第一章 戦時中の記憶


●国民学校と戦火の中

その日、僕の足取りは少し緊張していた。国民学校(小学校)の入学式に向かっていたからだ。初めての体験はだれでも緊張する。同時にどこかわくわくする気持ちにもなるはずだ。それが、緊張感が先にくるのには理由がある。それは今日から僕の名前が変わるせいだ。

それまでは「岩田」という日本ではごく普通の名前だったが、学校では「金」と名乗るように父から命じられていた。それがなぜだか当時の僕にはわからなかった。

「お前の本当の名前は『金』というんだ。学校に行ったら、この名前で堂々とふるまえ」

父の表情はどこか緊張していた。だから、これが大事なことなのはわかる。でもわかったのはそれだけだ。

「じゃあ、今までの『岩田』というのは、ウソの名前?」

「岩田は通称といって本名じゃない、お前の本当の名前は金海守(きむへーす)だ。」

そう言われても実感はない。

後で知ったことだが、当時の日本政府(朝鮮半島においては朝鮮総督府)は公民化政策と称して、すべての朝鮮人に大日本帝国の民となって天皇陛下に忠誠を尽くすよう進めてきた。そして、その一環として朝鮮式の姓名はあくまでも民籍(戸籍)だけとし新たに作った日本式の姓名を名乗らせることを強要した。これが創氏改名と呼ばれるものである。

実施されたのは、僕が生まれて一年後の昭和十五年のことだ。政府(朝鮮総督府)の見解では、あくまでも強制ではなく、朝鮮人自身の要望によるものとしていた。ところが当初届け出たものは全戸数の三・九パーセントにすぎず、その後創氏しないものへの就職差別や子弟への嫌がらせ、非国民扱いというあらゆる手を通じて強要した結果、ほぼ八十パーセントが日本式の姓名を役所へ届ける(設定創氏)を行ったという記録もある。また届け出をしなかった二十パーセントの者は、役所が氏を決める(法定創氏)が行われそのまま朝鮮式の姓名が使われた。

そんな最中に、これまで日本式の名前で暮らしていた僕を国民学校入学時に『金』を名のらせたところをみると、父は当時『設定創氏』を行っていなかったようだ。よほどの強い思いがあったのだろう。ただ、両親ともこの世を去った今ではその真偽を確かめる術はない。


入学式をすませ新しい教室へ入ると、早速教師が出席をとりはじめた、

「青木、上田、木下…」そこで教師は出席簿から目を離し一瞬僕の方を見た。

「次だ」僕は緊張しながら教師の顔を見た。

やがて教師は出席簿に目を移すと「金」と、僕の名前を呼んだ。

その直後、静まり返っていた教室の中がざわつき始めた。周りの生徒たちが一斉に僕のことを見ている。僕はわけがわからずあたりをキョロキョロ見回した。

その日はそれだけで、何事もなく無事に家に帰った。緊張感のせいか、ひどく疲れた覚えがある。

問題は翌日から起こった。休み時間、級友の一人が声をあげた。

「あいつ、金って名前だったよな。だったら朝鮮人だぞ」

すると、何人かの同級生がそれに応えるように、

「そうだ朝鮮人だ」と大声をあげた。

「朝鮮人! 朝鮮人!」囃し立てるのは四、五人だが、僕には周りの同級生がすべて声をあげているように思えた。僕はわけがわからず首をかしげた。

「やーい、朝鮮人!…」

「朝鮮人はかわいそう、震災のときに豚しょって逃げたー、はははは」

同級生は奇妙な歌を歌いながら僕の周りではやし立てる。

(なんで?)

僕は意地悪い顔の同級生たちに囲まれながら思った。

(僕は日本で生まれて、日本で育ったのに『金』と名乗っただけで、何でこんなふうに、バカにされなきゃならないんだ?)

心の叫びは言葉にならず、僕はただ下を向いて涙をこらえていた。

 父と母が朝鮮半島から日本に来たことは知っていた。したがって、僕はいわゆる在日二世ということになる。日本で生まれたわけだから、もちろん日本語しか知らない。それもあって、なぜ自分がこんなふうにいじめられるのかも分からなかった。

続き、第二話 国民学校Ⅱはこちら↓

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