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ボールを蹴ることはコーヒーを淹れることと同じ

今回は「ボールを蹴ることはコーヒーを淹れることと同じ」と題して、サッカーというものが僕にとってどういう存在なのかについてサッカー選手としてだけではなく、出来るだけ客観的な視点で書いていく。
あくまでも個人的な見解なので、真っ向から否定してもらって結構です!

目次
1.サッカー選手としてのサッカー
2.サッカー≠人生


1.サッカー選手にとってのサッカー

まずサッカー選手の目線でサッカーとはどういう存在か、ということについて。

少し自分の話になるのだが、サッカーを小学生から始めサッカー一筋15年になる。
小・中学生の時はクラブチームでプレーしていた。
小学生時代はサッカー以外にも水泳やら書道やら習い事をやったり友達と遊んだりしていた。
ただサッカーやってる時が一番楽しかったし幸せな時間だった。

中学生になるともうサッカー以外のことは頭の中にはなかった。
学校が終わると一目散に家に帰ってサッカーの練習に行っていた。クラブチームに所属していたため学校の友達は少なかったし、学校自体全く楽しくなかった。
放課後友達と喋ったり、寄り道したり、デートしたり、そんなものよりひたすらサッカーをやって居たかった。

だから高校はサッカーに没頭できるところに進学した。県内では1、2を争う強豪校だった。練習は本当にハードで周りの選手もレベルが高く、ついていくので必死だったけれど楽しかった。本当にサッカーにしか集中できない環境だったし、サッカーに没頭した3年間だった。

そして大学でもサッカーを続けることを決断した。というよりもサッカーを続ける選択しかなかった。当然のように体育会サッカー部に入部しサッカー漬けの生活を送ることとなった。

サッカー漬けの生活は、楽しいとか幸せとかとは何か違って当たり前の日常。
自分と同じような生き方をしてる仲間ばかりだから話は合うし、大した変化や刺激もないけどそれなりに充実していた。

高い目標を持ってハードな練習をこなし本気で戦っているのだけれど、その世界に慣れているから正直そんなに苦ではない。

だから何となく楽な生き方というか、成長してるようでしてないなあ、と。

サッカーのない生活なんて全く想像できないけど、もしかしたらサッカーより素晴らしいものが世界にはあるのかもしれない、とふと思った。

自分にとってサッカーとは、サッカーを続ける理由とは、何なのか。

「好きだからほかに理由なんているか」という人がいる。

たしかにそうだと思う。
でも好きな理由とか続ける理由は人それぞれあって、それを知ってると強い意志でサッカーに取り組めるような気がする。

そんなこんなで自分にとってサッカーとはどういうものなのかひたすら考えてみた。


2.サッカー≠人生

毎日サッカーの練習をして、
チームの仲間と授業を受け、
チームの仲間と飯を食べ、
チームの仲間とサッカーを観て、
チームの仲間とサッカーの話をする。

まさにサッカーが生活の中心というか、サッカーしかない生活だ。

「サッカーとは人生そのもの」
「サッカーが世界の中心」
「サッカーが世界を動かしている」

実際にこう思っていたし、まるで世の中にはサッカーしかないかのように生きてきた。

でもそう思ってるのは人類のほんの数パーセントの人間だけで、サッカーが好きではない、サッカーの存在すら知らない人だって世界にはたくさんいる。

そう、

「サッカーが人生のすべてではない」し、

「サッカーが世界で一番重要なことでもない」

人生にはサッカーよりも大切なことがあると思う。
それは人それぞれだけど「家族」「友達」「恋人」そういうものだと思う。

だからサッカーよりも大切なものをちゃんと大切にしないといけない。


じゃあ今まで人生で一番大切なものと思っていたサッカーって何なんだ?


自分なりに考えた結果

「サッカーは人生に少しの間時間を忘れさせてくれ、少しだけ喜びを与えてくれるもの」

だと思ってる。

90分間は時間や仕事から解放され、サッカーに没頭する。そして選手、監督、観客、審判その場に関わる人たちに少しだけ喜びをもたらす。
この喜びは人生を豊かにすることに貢献するかもしれないししないかもしれない。

一方で、コーヒーが好きな人は、好みの豆を選び、焙煎し自分の手で挽いて淹れる。
そのときは時間を忘れ、美味しいコーヒーを淹れることに没頭する。
毎朝コーヒーを淹れることで少しの間時間を忘れる。気持ちよく仕事に取り組むため、充実した一日にするために。コーヒーは一日を充実したものにする。

このことから改めて「ボールを蹴ることはコーヒーを淹れることと同じ」というタイトルを考えると、サッカーとコーヒーは全く違うようで実は同じようなものではないかと思えてくる。

そう、つまり

「ボールを蹴ることはコーヒーを淹れることと同じ」

なのだと思う。

このことを理解して初めてサッカーの素晴らしさに気づけると思う。

ここまで書いたことがサッカーを続ける理由。
素晴らしい一日にするために毎朝自分の手でコーヒーを淹れて朝を楽しむように、素晴らしい人生を送るために少しの間、時間も仕事も悩みも忘れさせてくれる、夢中になれるサッカーをこれからも続けていこうと思う。

#大学スポーツ #大学サッカー
#大学アスリート #体育会 #コーヒー



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