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東洋的感性

今回は「原点」に戻って、皆さんと共に思索していきたいと思います。
調香。この言葉の意味を再考してみましょう・・・。

素敵な香りを創作する。
原料をブレンド(混ぜ合わせる)ことによる香り創作。など、などが言葉の意味として思い浮かぶのではないでしょうか?

言葉とは、実は単なる言葉”ではない。
西洋、東洋、アラブ、などなど世界各地にさまざまな文化・芸術、人々の伝統的な暮らしがあり、社会通念もそれぞれに違います。言葉の中には歴史的背景・時の流れが確実に存在しています。香りの歴史もエジプト、中国、西欧社会、などなど幅広く存在し、それぞれの文化間での交流、混ざり合いにより現在に至っています。上記のことから、「調香」の言葉を探ってみると、不思議な事に気づきます。

調香とは??
現代的に言われる「調香」とは、職人芸的側面・科学的側面からの
ブレンド技術を指し示している場合がほとんど
だと言えるでしょう。
つまり、西洋(西欧)的な感性の調香なのです


これは1つの方向性ではありますが、
私たち日本人(広くは東洋人)は、西洋人とは違った感性”を備えています。
能や、庭園、舞踊にいたるまで、「静」の感性。内なる情熱から成る感性。「間(ま)」の感性がそこにはあります。実際には存在しない時間的な空間、見えないことを感じる繊細な感性がそこにはあり、それらを根底にした美意識が現代においてもあるのです。これは、意識する、しないにかかわらず、遺伝子内に組み込まれた不思議な感性ともいえます。例えば、鈴虫の鳴き声をききなながら、うとうと”と眠ったり。カエルの鳴き声に懐かしさや暖かさを感じたり。・・・などなどです。

西洋的感性、東洋的感性、は調香においてどんな違いを生み出すのでしょう?例を挙げてみましょう。お客様から、私の作品の1つに対して、芳ばしいナッツ(ローストアーモンド?)へーゼルナッツ風ですね。と、ご感想をいただいたことがあります。

実は、種を明かすと、その香りには、アーモンドもナッツも、さらに他のナッツ類も一切含まれていないのです。実は、このことが、「西洋的調香」と「東洋的調香」の違いを如実に表していると言えます。

違いはどこに?

西洋思想は「個人」がベースです。例えると家の中には、個人を意識したプライベートな空間が存在します。一方、四季が豊かで湿度の多い日本においては、伝統的な家族制の文化も含めて、自然と家が一体となった造り、「家の中と外が縁している」ような感じがあります。この空間作りは、風通し”やその他の環境にも影響しています。この「縁」の思想が東洋的調香なのです。

西洋的な調香師の、香り創作の第一歩の心構えは、「完成された香りを造る」・「一級品を造る」といった概念です。そこには、当然、失敗作があり、成功作があります。理想があり、自身が目指すイメージを明確に持たれているのです。香りは、それ自体で完成された芸術作品であり、「個としての存在価値」を持っているのです。

一方、私の心構えは、「どんな縁が生まれるか?」です。原料同士の縁、使う人の体臭との縁、環境との縁などなど・・・縁起”を想定し、創作にかかります。ですので、そこには失敗も成功もありません。もちろん、人々が求めているものや、民族的に好まれる又好まれない香り、時代性、多数派、少数派、などの要素は意識していますが、「個としての存在価値」だけをゴールにはしていないのです。

西洋的視点ではこのことが「向上心のなさ」や「あいまいさ」に、受け取られることが多々あります。しかし、縁起=あいまいさ”とは違います。お互いの個性が出会うことにより、科学反応のような【第三の価値】が生まれるのを、何度も経験しています。それは、物事を「優劣」だけの感覚で捉えないことにより起こりえる「素敵な出来事」といっても過言ではないでしょう。

先のお客様とメールでやりとりした際も、このことが話題の中心になりました。彼女が、こう言ってくれたのです「Nobuyaさん、あなたはすごい!」と。私は素直に喜びました。そう、「自分の生き方が香りに現れた!」と。現代では、ばかにされがち。ともいえる東洋的な生き方。縁に感謝し、「もしこの人がこの世から去ってしまったら?」と常に目の前の生命に感謝して、出会う人を感じる生き方です。

縁に感謝し生きること

※妻とけんかした時、友人とけんかした時、親子げんかしたとき、私は常に、ここに立ち返るようにしています・・・すると素敵な魔法が起こるのです!

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