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コノコネコノコ

 中学一年生の時に、僕はその子猫と出会った。小学生の頃から友人の中田さんという女の子が近所で拾った捨て猫だ。彼女は動物病院の娘なのに猫アレルギーだった。

 最初、その猫は、僕と同じマンションに住む佐野君が引き取る予定だった。彼はたびたび猫よりも犬が好きだと言っていたので、猫を譲り受けるという話を聞いた時には意外な気がしたのだけど。
 しばらくして、佐野君のお母さんが猫を飼うことに強く反対しているという話を耳にした。それはとてもシンプルな好みの問題だった。結局、一週間ほど彼の家に滞在した後、子猫は僕が譲り受ける事になった。

 僕の家族は皆そろって動物が好きだった。僕が生まれる前には和歌山で犬を飼っていたし、僕が小学校低学年の頃には、やはり大阪で猫を飼っていた。
 僕はあまり正確なところを知らないけれど、和歌山で飼っていた犬は、踏み切りで電車に轢かれて死んだらしい。大阪の猫はというと、あるとき急に体調を崩し、心配した僕の母に自転車で病院へ運ばれている途中、後部座席の荷台にくくりつけられたダンボール箱から逃げていなくなってしまった。箱の側面にある指を差し入れるための穴を、内側から爪で広げて無理やり抜け出したのだ。
「こんな小さな穴やったのに」と、家族を前に母は親指と人差し指で示して言った。けれど、僕にはそれは猫が身体を通すのに十分な大きさに思えた。「猫って、髭の先っぽが当たる感触で、その穴の幅を自分が通過できるかどうか確認するらしいよ」と、当時神童と呼ばれた僕は豆知識を披露してみたけれど、誰も反応しなかった。父と母はまだ逃げ出した猫の心情に納得がいかない様子でぶつぶつと呟き、姉は台所のテーブルで交換日記を読んでいた。確かに、僕はただその知識を口に出してみたかっただけだ。多くの場合、神童は場の空気までは読めない。
 その話の最後に父は、「逃げる力があったって事は、どこかで元気にやっていくって事やろう」と言った。短絡かつ楽観、と僕は思ったけれど、口には出さなかった。

 中田さんと佐野君から譲り受けた子猫は、お腹だけが白く、他は黒と灰色の、ずいぶんいい加減な模様の雄だった。ちょうど、キャンバスに色を置く前にパレットに絵の具を重ねて、これからの方向を見定める時のような、雑然とした混ざり具合いだ。毛は柔らかく、目は凛としていた。わりと高い頻度で面白い冗談を述べそうな引き締まった口元をしていた。

 母の日が近づいていたので、僕と姉は母を驚かせる事を思いついた。子猫を引き取ったその日、僕たちは二人で手ごろな大きさの箱を用意して、母の帰りを待った。日が暮れて、マンションの廊下から聞き慣れた足音が聞こえると、僕たちは急いで子猫を箱の中に入れ、軽くリボンの付いたフタをした。フタをする時に僕は、この箱には穴がないんだな、と思った。

 ドアを開けて「ただいま」と言った母は、廊下で待っていた僕たちを見て少し怪訝な顔をした。けれど、僕と姉が差し出した小さな紺色の箱に目を落とすと、だいたいの察しがついたようで、「なにその箱」と笑った。母は、中田さんが猫を拾い、貰い手を捜していて、佐野君の家では飼えそうにないという辺りまでは事情を知っていたし、そのフタの閉じられた箱は、時折、弱弱しい声でミャーと鳴いたのだ。

 一週間ほどが過ぎて、子猫はユキという名前になった。僕が名づけた。しばらくは「ユキ」と呼んでも近づいては来なかったけれど、代わりに、呼ばなくても勝手に近づいてきて、誰かの足元にその柔らかい頭を摺り寄せた。僕は中学生向けの簡単な本を読み、猫の視覚と味覚について学んだ。

 中田さんからもらった粉ミルクは紫色の缶に入っていた。さらさらとした粉末をお湯で溶かすと、台所にはいつも甘く優しい匂いが広がった。いつしか、スプーンがお皿を打つ音が鳴るだけでユキは台所に近寄り、その白く淡い匂いと同じ性質の声で鳴くようになった。僕はお腹の上に子猫を乗せ、彼が眠るまでその喉と背中を撫でた。先に僕が眠ってしまうことも多かったけれど。

◇◇◇

 七時五分に目が覚めた。いつもより三十分近く遅い。なぜだ。自問自答のうちの自問だけで五分が経過したので、答えを探すことを諦めて僕は布団から出た。平日の僕には、三蔵法師のごとく向かわなければならない場所があったはず。引き出しの中から靴下のパズルを解き明かし、あまり愛着のない携帯電話をポケットに入れた。

 食事を摂っていては間に合わないと思い、ふらついた足取りのまま洗面所に向かった。鏡の向こうには、今にも眠りに落ちそうなまどろんだ男性が立っている。見覚えがない。少なくとも見知った沙悟浄ではない。僕が髭を剃り、顔を洗い、歯を磨いている間、彼は歯を磨き、顔を洗い、髭を剃っていた。

 ネクタイを選び終えて寝室を覗くと、妻も子供たちもまだ寝息を立てて深く眠っていた。娘はクリボーにやられた瞬間のマリオのような姿勢をしていたし、息子はクリボーにやられた瞬間のルイージのような姿勢をしていた。妻はわりと普通の姿勢をしていた。布団の端からは、季節外れの鯉のぼりのように犬の尻尾がだらしなく揺れるのが見えた。眺めていたところで今日の天気がわかるわけでもない。

 カバンに適当な文庫本を二冊放り込むと、傷ついた兵士のように靴箱にもたれて固く冷たい靴を履いた。「……俺は必ず帰ってくる。必ず、だ……」と一人で前線の兵士ごっこを楽しむと、僕は静かに玄関の鍵をかけて、駅までの道を歩き始めた。七時二十五分、いつもの時間だ。

◇◇◇

 ユキがしっかりした足取りで歩くようになると、彼が誤って危ない場所に近づかないよう、僕たちは家中に様々な工夫をした。けれど、彼の驚くべき跳躍力の前に、そうした細工はあまり意味を為さなかった。もし猫が飛びたいと思えば、その猫は飛ぶのだ。どんな困難があっても。

 不思議な発見もあった。猫がマタタビに酔うという話は聞いた事があったけれど、どうやらユキの場合、カイロの匂いを嗅ぐ事で凶暴化するらしい。彼はほとんどの場合、人の言う事を聞くおとなしい性格であったけれど、カイロを見つけた途端、それを口に咥えて唸り、家の中を走り回って辺りに黒い粉を飛び散らせた。年に何度か、彼が凶暴化するたびに、僕は「意味がわからないからカイロを返しなさい」と叱った。

 二年も経つと、ユキは細いベランダの手すりの上を、危なげなく器用に歩くようになった。四階のその手すりから、眼下を横切る片道一車線の道路に目をやり、行き交う自家用車と肌色のバスを眺めるのが昼下がりの彼の日課だった。ゴルフ場の向こうには甲山がのぞいている。日が暮れると、彼はリビングのチェアのうち決まったひとつを占領し、揃えられた前肢に顎を乗せて目を閉じた。そして、家族の誰かが帰宅した時には、ようやく何か面白いことが始まるのだと確信したみたいに、一声だけ鳴いて玄関に駆け寄った。

 中学一年生の頃。夏休みのある日、僕は突発的にベランダでスズメを捕まえてみたくなり、古典的な罠を作ってベランダの床に米粒を撒いた事がある。紐を引っ張ればザルが覆いかぶさる王道のトラップだ。昼下がりに猫と一緒にソファに腰掛け、窓越しにスズメを待つ中学生は、絵画的題材としては興味深いものがあったけれど、狩猟的な期待も知能的な魅力もなかった。

 一時間が過ぎ、二時間が過ぎた頃、僕の中である種の疑念が持ち上がりつつあった。「こんな仕掛けで本当にスズメが捕まるのだろうか」と。さらに根源的な疑問は僕を孤独な気持ちにさせた。「だいたい捕まえてどうするのだ」
 集中力を切らせた僕がトイレに行っている間に、ベランダの方で何かが羽ばたく音が聞こえた。まさか、と思い駆け寄ると、ユキが満足気な顔でアブラゼミを咥えていた。「あら、元気なアブラゼミですね」と僕は助産婦の声真似で褒め、続けて「どうすんの、それ」と尋ねた。

◇◇◇

 電車を降りると、仕事場の近くのコンビニエンスストアに立ち寄った。目的ははっきりしている。コーヒーとプリンを購入するのだ。その二つの食品は、阪急十三駅を過ぎた辺りから、有無を言わせぬ圧倒的な存在感で、僕の脳裏を静かに、そして完全に支配していた。

 コーヒーだけでも、プリンだけでもない。ましてやコーヒープリンなどといった妥協の産物でもない。コンビニエンスストアでコーヒーとプリンを各個購入し、店内のテーブル席に腰掛けて口に運ぶ。それは代替のない一つの終着であり、いまや僕の体内を脈打つ一種のロマンでさえあった。

 午前八時三十五分。店内は人で溢れているけれど、彼らの清算は瞬く間に進んでいく。ちょうど数ヶ月前に僕の受信したいい加減な健康診断が、これくらいの処理速度だった。このハードな時間帯に「……すみません、このロッピーの使い方、わかんないんですけど」といった用件で店員を呼び止めたならば、相当嫌な顔をされるだろう。まず第一に、ここはローソンではないからだ。

 僕がテーブルに置いたプリンにバーコード・リーダーを当てたのは、一年くらい前からこの店で顔を見かける女性の店員だった。その仕事は相当手早くて、ミスもない。料金を読み上げた後にずいぶんしっかりと相手の目を確認する表情が印象的だった。
 僕はまっさらな千円札をトレイに置き、ビニール袋に指を通した。彼女は細く微笑み、お釣りを差し出してくれた。余計なことを考えていた僕は、硬貨の何枚かを取りこぼしてしまう。テーブルの上でくるくると回るそれを拾い上げてくれた彼女の左手首に、まだ赤黒いリストカットの跡が四本見えた。

 店内の椅子に腰掛けてしばらくの間、僕は意識的にぼうっとしてみた。時折「ぼうっ」と声に出すのがコツだ。目を閉じると、さっきの傷跡が鮮明にまぶたの裏に浮かんだ。回転する硬貨。音の周期性。僕は落ち着きを取り戻すために、プリンのフタを開けて状況を整理する事にした。

 薄く黄色いつるりとしたその丸い図形に視線を落としながら、「はたして僕はプリンを食べている場合だろうか」と考えた。しかしどう考えてみても僕はプリンを食べている場合だった。三十分くらい前から食べたかったのだし、きちんとお金は払った。フタだって開けた。そして彼女はリストカットをしていた。何度も。

 生きている事の証明が欲しかったのだろうか、と安直に僕は考えた。真新しいプラスチックのスプーンを挿すと、それはわずかな抵抗を残して表面を潜り抜けていく。とても簡単だった。鏡の中に僕は立っている。意味がないじゃないか、とこちら側の僕は思った。一度突き抜けてしまえばスプーンは不思議なくらいどこまでも深く沈む。まどろみの中に僕は立っている。僕は歯を磨いている。どちらが「こちら側」か、僕には証明ができない。僕は意識を集中する。何も傷つける必要なんてない。どちらかの僕は思う。流れる血液を見たいと思った時点で、その思考に辿り着いた時点で、もう生きている事は証明できているじゃないか。テーブルの上に硬貨が回る。誰かがそっと拾い上げるまで硬貨は回り続ける。

 やがて小さな音が指先に伝わり、誰の意思とも無関係にカラメルソースが視界に溢れた。その粘性を持った中立的な液体は、瞬く間に濡れた表面を覆い隠していく。僕は長い間、その色の広がりを見つめていた。

◇◇◇

 僕の姉がピアノ教室を開き、本格的にピアノを教えるようになると、家には小学生から高校生まで、様々な子供たちが出入りするようになった。ちょうど同じマンションで開かれていた別の女性のピアノ教室が閉じられた時期だったため、姉はいきなり二十人近くの生徒を抱える事になったらしい。彼女は忙しくてかなわないと口にしていたけれど、誰がどう見てもその忙しさを楽しんでいる様子だった。

 僕も、部屋越しにメロディを聞けばだいたいどの子が練習しているのかわかるようになった。それはつまり、僕が頻繁に大学をさぼって家にいたからでもある。姉はピアノの授業料で儲けを出そうとはあまり考えていなかったようで、何度か近くのホールで子供たちのためのコンサートを開いた際にも、ほとんどの出費を自分一人で負担していた。

 何年かが過ぎ、結婚とそれに伴う転居のために、彼女もまたピアノ教室を閉じる事になった。最後の冬に催されたコンサートで、生徒たちから大きな花束を贈られ、ステージでぽろぽろと涙を流す彼女を見た時、子供が好きだというのは、音楽が好きだというのと同じくらい貴重な才能かもしれないな、と僕は思った。そしてまた、このコンサートのビデオ撮影を、平日の夕方に普通に頼まれている僕という人間は、一体いつになったらちゃんと大学に行くんだろうと思った。

 ユキはもう堂々とした成猫で、電子レンジで一周半温められたハムを、地上で並ぶもののないゴージャスな食品だと考えているようだった。彼は毎日ブラウン管テレビの上に寝転んで体を温め、日の光を浴びて目一杯ふくらんだバスタオルにくるまった。時々、誰かが扉を閉め忘れたトイレに好奇心のままに忍び込んで、誤ってウォシュレットのボタンを押してしまい、この世の終わりのような声で鳴いた。そしてまた、以前と変わらず、冬が訪れるとカイロをくわえて家中を走り回った。そのたびに僕は「わからない。わからないからカイロを返しなさい」と彼を叱った。

◇◇◇

 金曜日の仕事場では、とても退屈な時間が続いた。まるで誰かが大昔に敷いたレールを山腹から町の入り口まで順に辿って、時折、併設された看板にルビを振っていくような単調な作業だ。漢字が読めれば猿にも出来る。前後左右でキーボードを叩く音が規則的にカタカタと聞こえた。自動運転の空調が風向きを変え、誰もいない机の上に置かれたティッシュペーパーが小刻みに揺れていた。

 そういえば高校三年生の頃、予備校で化学の授業を受けながら、左手の長袖に通したヘッドフォンでこっそり音楽を聞いていた事があったな、と僕は思い出した。どうしてそれほどまでに音楽が聞きたかったのか、今では思い出せない。でも、左耳から微かに聞こえていた曲のイメージは簡単に浮かぶ。ジム・モリソンが難解な詩をつぶやき、ビリー・ジョエルが魔法の旋律を紡いでいる。ジョージ・ハリソンが決して万人受けのしない曲を奏で、スライ &ザ・ファミリー・ストーンが大地を揺らせている。僕は教室にいて、一向に上昇する気配のない化学の点数を見つめている。折れ目のない折れ線グラフを。

 午後八時を回った頃に仕事場を抜けると、今朝立ち寄ったコンビニエンスストアを外から眺めた。当然、彼女は居ない。レジの近くで朝から変わらないのは、電子レンジと募金箱くらいだ。僕は何気なく扉をまたぐと、ヨーグレットを買って足早に店を出た。僕は、もし僕がノーベル賞の選考委員なら明治製菓に平和賞を授与しても良いと考えるくらいにヨーグレットを好んでいるけれど、見知っている範囲ではおそらく僕は選考委員ではない。ヨーグレットの素晴らしい点は、それが一粒ずつ薬のように機能的な包装に納められており、否応なしに子供心をくすぐる点である。なぜ大人の僕がくすぐられているのかに関してはここでは述べない。

 僕は信号が青に変わるのを待った。寒空の下、車のヘッドライトが交差する。まとまりのない多くの物音。そこには彼女の足音はない。多くの足音が響いているようで、じつのところ誰の足音も響いてはいない。口の中で、次第に溶けていく一粒のヨーグレットを転がしながら、僕は空を見上げた。厚い雲に覆われて月が見えないことを、見上げる前から僕は知っていた。

◇◇◇

 ある風の強い日の夕方に、思いがけない事故が起きた。ピアノ教室の生徒のひとりが、家の扉をとても強い勢いで閉めてしまったのが原因だった。僕はそのとき家に居なかったけれど、もし居ればとても嫌な声を耳にしただろうと思う。わずかに開いていた扉の隙間から、ちょうどユキが外へ出ようとしていたところで、彼の尻尾は根元近くで扉に挟まれ、ちぎれてしまったのだ。

 午後六時を回った頃、僕が帰宅した時にもまだ家の中は騒然としていて、母も姉も取り乱していた。やらなければいけない事は概ねわかっているのに、取り掛かるための順序がまるでわからないといった印象だった。父は猫を病院へ連れて行くと言っていつものカゴを探していた。母はビニール袋に入れられたちぎれた尻尾を玄関に立つ僕に見せて、大きな声で「どうしよう、治るやろうか」と言った。尻尾は最後の鍵を握る証拠品のように、 透明な袋の中で力なく弧を描いていた。僕は何も言えずため息をついた。

 僕は不注意で扉を強く閉めた小学生に対して、この怒りを真正面からぶつけたかった。相手が大人であろうが子供であろうが関係ない。たかが小さな生き物を気にかけるくらいの事が、なぜできないのだろう。けれど、自分でも驚くほどに怒りはすぐに冷えて固まってしまった。のちに僕は、冷えた怒りの方が記憶に残ることを知る。

 ユキは洗濯機の上に設置された乾燥機の中に逃げ込んで、恐ろしい声で唸り、震えていた。僕が近づくと、これまでに見たことのない顔で怒り、激しい威嚇の声を上げた。母は僕の両手を強引に引っ張り、「やめなさい、引っかかれて傷だらけになるわ」と言った。僕はその手を振り解き、「引っかかれるより尻尾がちぎれる方が痛いに決まってる」と強い口調で言い返した。比較の仕方が根本的に間違っているな、と自分でも思った。

 よく見れば、乾燥機の中も、その奥にうずくまる猫の体毛も、血まみれだった。僕は精一杯両手を伸ばし、「おいで」と声をかけた。母は何度か僕の手を引き戻そうとしたけれど、僕はそれを振り払った。暗がりの中に薄い緑色の両目が見開かれている。鳴り止まない威嚇の声にかき消されないように、「大丈夫だから、おいで」と僕は繰り返した。それでも緊張が解ける気配はなかったので、僕は思い切って彼の体を抱えるために両手を差し出した。

 安直なアニマル感動系映画であれば、ここで傷ついた猫は心を開き、飼い主に頬を寄せて「ほうら、もう大丈夫だ。あはは」といった台詞がこぼれる場面であるけれど、残念ながら近くにメガホンはなく、ユキにも僕にも出演料は支払われていなかった。BGMが流れていない時点で気づくべきだったのかもしれない。即座に、左手首に二筋、深く鈍い痛みが走る。驚きはなかった。僕は自分の腕に記された直線を目にして、皮膚が破れてから血液が溢れ出すまでにはわりと時間がかかるんだな、と認識した。

 ユキが痛みであらゆる神経を尖らせているのとは反対に、僕の痛覚は極めてゆるやかに反応していた。僕が強引に胸元に抱え込むと、その身体はすぐに抵抗をやめ、おとなしくなった。後足が小刻みに震えているのが伝わった。わかっている、と僕は思った。君には理不尽さに怒り、悲しむ権利がある。彼は目を閉じて、必死に何かを理解しようと努めているようだった。シャツがべったりと体に張り付いて、海辺にいるような匂いがした。

◇◇◇

 梅田で阪急電車に乗り換え、混雑した車内でヘッドフォンをつけた。再生ボタンを押すとまさかの小沢健二が流れたので、違和感を覚えて曲をスキップすると今度はシェリル・クロウ、その次にTM NETWORKが流れた。もうなんでもいい。

 夜の流れの中に次々と消えていく町の灯を見て、僕は人々の暮らしを想像した。犬の散歩をしている中年の男性。自転車を押して狭い橋を渡ろうとする中学生。美容院の二階には、仕事場に居残ってマネキン相手にカットの練習をしている美容師たちが見えた。ガラス窓には、難しい顔をして『1974』を聞いている僕の姿が見えた。確かにそれは名曲には違いなかった。

 そういえば中学生の頃、塾で隣合わせになった林君と初めて交わした会話は、受講時間後に彼の発した「……ところで、TMのファンなの?」という一言だったのを思い出す。僕がその時、的確に「I wanna see the fantasy.」と答えたか否かは覚えていない。

 階段を上がり、改札を抜けると、僕はコートのポケットに手を突っ込んで足早に歩き始めた。小さな公園を横切り、誰もいない夜の工事現場の横を通り過ぎた。まだ明かりの灯っている焼肉店の駐車場で、若い男女が声を上げていた。一人の男がヘルメットを前後逆さまにかぶり、二人の女がそれを見て笑っている。そんなに面白いだろうか、と僕は思った。僕には彼のユーモアをまっとうに評価することは困難だった。しかしながら、少なくとも僕に言えるのは、いまこの瞬間周辺に世界中の釘がまとめて降ってきたならば、彼だけがかろうじて生き残るだろうという事実だ。

 マンションの階段を上がる頃になって、「……僕の方が先に林君に話しかけたんだっけ」と気になった。ディティールが思い出せない。けれどディティールにもヘルメットの向きにも関係なく、確実に冬の寒さは近づいてきていた。

◇◇◇

 尻尾の切れたユキは、しばらくの間は納得がいかない様子だったけれど、病気を併発することもなく順調に回復した。そして僕たちがその姿に慣れるのと同じだけの時間を要して、徐々に新しい歩き方にも慣れていった。

 僕が結婚して実家を出る頃には、彼もまたずいぶん年を取っていて、尻尾の有る無しに関係なく、堂々とベランダの手すりを歩く姿はほとんど見かけなくなっていた。代わりに、彼は洗面所の引き出しの奥に身体を丸めて一日の大半を過ごすようになっていった。猫には暗闇の恐怖はないのだろうか、と僕はときどき考えた。

 ユキが癌にかかっていることを知らされたのは、晴れた土曜日の朝だった。僕の母が妻にメールを送って伝えたのだ。目が覚めると、妻は僕に携帯電話の液晶画面を向けていた。今にして思えば、彼女はそこに書かれた文章を音として読み上げたくなかったのかもしれない。僕は話の流れがうまく飲み込めず、そのメールを何度か読み返した。幸福な時間の流れが約束されていたはずの土曜日の朝は、今では色合いを失ってどこかへ沈んでいった。「顎のガンでした」とそこには書いてある。余命一ヶ月。

 じきに年の瀬が迫っていて、ダム底の枯葉のように、僕の仕事は宿命的に逃げ場なく積み重なっていった。僕はどうにか週末の時間を用意して、家族で実家を訪れる事にした。そして思ってもいなかった事だけれど、僕はそこで随分ひさしぶりに両親と激しい喧嘩をする事になった。獣医から猫の命が一ヶ月保つか怪しいと告げられた状況下で、彼らが海外旅行へ行くと聞かされたからだ。「もう予約をキャンセルできないから」というのが二人の言い分だった。僕の家族はまだ賃貸マンションに暮らしていて、一時的にであれ猫を預かっておく事はできなかった。「もしアタシ達が留守の間にユキが死んでしまっても、誰にも迷惑はかけないから、そうそう、どこかで一回覗きに来てくれるやろ? その時もし死んでたら、あっちの部屋にでも移しておいてやって。帰ってきてから、ちゃんと後の事はするから。冬に二、三日で腐るわけないわ」と母は言った。
 僕は口の中に不快な苦い味を感じて、何か突発的に声を出し、近くにあった巨大な犬の置物を引きずり倒した。悲しい音を立てて作り物の犬の左耳が砕けたのがわかった。父も母も何も言わなかった。妻も適切な言葉を探すように静かに座っていた。僕は家族に背を向けてリビングを出た。

◇◇◇

 年が明けてしばらくは、何事もなく平穏に過ぎた。町はわざとらしい飾りつけをやめ、落ち着きを取り戻し始めていた。会社を出る時にマフラーを忘れた僕は、首元の寒さを忘れるためにタケカワユキヒデがなぜカタカナ表記なのかをずっと考えていた。

 午後十時を回っていたため、駅からの帰り道では誰ともすれ違わなかった。凍える指先で鍵を回し、玄関をまたいだところで、まだ着替えていない妻が駆け寄ってきた。「茜は寝た?」と尋ねた僕の声に軽く頷くと、彼女はいつになく深刻な表情で「……ユキちゃんが大変だっ て」と、またいつかのように携帯電話をこちらに向けた。そこに映るのは、異常な大きさに顎が腫れ、片目を瞑り、弱々しい声で鳴く猫の動画だった。

 僕はコートからジャンパーに着替えて、彼女に「行ってくる」と告げた。階段を駆け下り、原付にまたがってキーを回す。行ったところで何がどうなるというわけでもない。けれど、このまま何もなかったように家で夕食を摂るわけにはいかなかった。身を切る風の冷たさは、さっきまでとは決定的に異なり、避けようのない陰湿な予言を含んでいるようにも思えた。

 何千回と触れた実家のドアノブを握った時に、この扉が彼の尻尾をちぎったんだ、と僕は思った。今ではその事実に動揺するほどの衝撃はない。ただ、それはちょうど静電気のように、忘れかけた頃に決まって皮膚を伝わるひとつの信号として機能していた。

 扉を開け、まっすぐリビングに向かった。両親が驚いた様子で僕を見ている。ソファの上には座布団とタオルが敷かれていて、その上に不思議な格好で横になっている猫の姿があった。もううまく背中を丸める事ができないのだ。「ユキ」と僕は声に出して呼んだ。駐輪場からここまでのほんの短い間に、少し息が上がっていた。フローリングの床が僕の周囲から沈み込んでいくような錯覚。「ユキ」ともう一度僕は呼んだ。蛍光灯の光が、部屋中にいつもと違う色合いを満たしていた。僕はソファの傍らに膝をつき、彼の身体を撫でた。最初、その感触に違和感があるのは、僕の指先の冷たさのせいなのかと疑った。けれどそうじゃない。目の前にあるのは、死を目前にした生き物の具現だった。毛はごわごわと固く、口元は血と唾液で固まっていた。溢れ出た目脂で瞳の光はほとんど確認できなかった。筋肉は主の意思に応じることをほとんど放棄しかけていた。鼻先からは傷んだ内臓の匂いがした。

 母はキッチンのカウンター越しに、ここに至る状況のようなものを説明していたけれど、僕の耳にはそれらの言葉は何も届かなかった。僕はじっと猫の背中を撫で続けていた。こんな時に冗談が言えるといいんだけど、と僕は考える。もちろん何も思い浮かばない。冗談を言えない僕になんの価値があるだろう。そう僕は考える。

 突然、なんの予告もなく、ユキはがたがたと震える右手だけで身体を持ち上げ、しゃがれた大きな声で鳴いた。それからまるで何かの儀式のように、僕の手元に弱々しく顎をすり寄せると、また気怠そうに身体を横たえた。受話器を持ち上げていた母は「ちょっと、嘘でしょ」と大きな声を出した。「夕方から、もう何を話しかけても動かなかったんよ」と彼女は言う。「わかったから静かにしとけよ」と父がたしなめた。

 僕はそこにある自分の手をじっと見つめた。
 その手の甲に伝えられた温もりを意識する。こぼれ落ちた硬貨を優しく拾い上げる彼女の左手を意識する。そこには傷跡がある。強烈な血の匂い。暗闇の奥で二つの瞳が光っている。誰かが僕の両手を引き戻そうとする。けれど僕は自らの意思でその暗闇に手を伸ばす。そこには激しい恐怖と憎悪がある。僕の腕にはいつの間にか真新しい傷口が開いている。僕は自分の身体に記された痛みの予感を受け入れる。鏡の中の僕は既に答えを見つけている。回転する硬貨の残影。傷口から血が流れ出すまでには少し時間がかかる。表面はゆっくりとカラメルソースに覆われていく。

 ユキは、身体中を内側から突き刺す容赦ない痛みに耐えるように、小さな唸り声で苦痛を漏らし続けていた。僕は自分の両目から涙がこぼれていることを自覚した。それから、撫で続けていた彼の身体にゆっくりと顔をうずめた。そこには十七年前に嗅いだ甘いミルクの匂いはなかったけれど、代わりにもっと親密な匂いがした。

 僕は他の誰にも聞こえない小さな声で「もういいよ」と呟く。「もう死んでもいいよ。精一杯生きたんだから」と僕は声に出して言う。僕自身の嗚咽がその言葉の最後を飲み込んでしまう。なぜ僕の声は大事な時に決まって震えてしまうんだろう。僕の指はそこに残された体温を辿る。彼と形作った記憶の輪郭をなぞる。何も消えていったりはしない。何も闇に沈んだりはしない。僕のなかの何かが勝手に消えてしまうことを、僕は認めない。もし君が暗闇に呑まれるのなら、と僕は思う。僕は手を伸ばす。たとえBGMが流れなくても。

 おやすみ、と僕はそのちいさな耳に唇を寄せて言った。授業の合間に、子供たちが秘密の場所をそっと教えあうみたいに。

 両親は何かを言い残して、日付が変わる頃に眠った。僕は午前四時過ぎに実家を出た。薄暗い駐輪場で、原付のミラーに映った僕の両目はひどく充血していた。世界中の誰もが眠っているような灰色の世界で、ささやかな異議を唱えるように遠くで一度だけカラスが鳴く。

 坂道を下り、ゆるやかなカーブに差し掛かった時、頬に冷たいものを感じて僕はエンジンを止めた。住宅街の路肩に原付を止め、手のひらにそれを受け止めて思わず微笑む。雪だ。

◇◇◇

「どうしてユウちゃん、今日は一緒に寝てくれないんやろう」と茜は言った。「茜の寝返りが怖いんだと思うよ。わりとすごい寝相だから」と僕は娘に言い聞かせる。彼女は不満げな顔をして布団の中に潜り込むと、すぐにまたこらえるのを失敗したような笑顔で飛び出てくる。名指しされた犬は、僕は待ち合わせがあるので、といった足取りでリビングへ逃げていった。「湊は先に寝ることにします」と言い残すと、息子は真ん中の布団に肩まで潜り込んで、ぎゅっと目を閉じた。出会って三年目にして、未だに謎多きそのキャラクタ。状況に応じて敬語を使うあたりからしてまず信用ならない。喜怒哀楽の激しさが君に似ている、と機嫌が良いときの妻に言うと、「私はあんなに単純じゃありません」と言って彼女は怒る。とても似ている。

 宣言通りに眠ってしまった息子の隣で、僕は反対側に眠る娘の手を握っていた。そのとき唐突に、「ユウちゃんは、茜がお母さんになるまで生きてるの?」と彼女は質問した。不意を突かれた僕は少し驚き、彼女の横顔を見た。そこには真面目に眼を閉じて、早く眠ろうとしている五歳の女の子がいる。

 僕は微笑んで、「生きている」と返事をした。それから優しく彼女の胸元に布団をかけなおし、おやすみ、と言った。誰かの手のひらで解ける雪のように、静かに。

(2010年)


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