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弓矢

 僕が子供の頃、家の近くに平和台球場という野球場があった。
 結局、一度も中に入る事はできなかったけれど、外から僅かに覗く事のできる、ゲートで区切られた四角の中に見える絵画的な芝生は、いつだってとても青々しく綺麗だった。風が吹くと光そのものが揺れているのがわかる。
 球場の近くには、小学生の手には負えないくらいの広大な公園があって、どんな季節でも、僕たちは日が暮れるまで辺りで遊びまわっていた。樹木と昆虫が多くて、厚かましくない程度にきちんと手を入れられた素敵な公園だ。そこでは夕立さえ僕たちの味方だった。

 僕は小学五年生から六年生にかけて、友人の花野君と共に、好奇心をそのまま具現化する作業に没頭した。ある時には石器を作った。黒くて硬い手ごろな大きさの石を見つけ、昼休みの時間を使って学校の観察池の水で磨く。なぜ観察池の水だったのか、よくわからない。せっかくの昼休みに、じめじめとした校舎の裏側で池のほとりに腰掛けて石器を磨いている人間は、後にも先にも僕たち二人だけだったと思う。特に石器だけにこだわっていたわけではない。僕と花野君は来るべき戦いのために武器を持つ必要があったのだ。

 平和台球場の近くの公園に、ごく当然の事として僕たちは基地を作った。他よりも枝の生い茂った頑丈そうな樹を見つけると、登るための足場を確かめ、幹の枝分かれした揺れの少ない部分にダンボールでベンチを作った。たぶん高さにして地上三、四メートルくらいだったと思う。

 僕たちはその場所に、お互いの石器を隠した。それから花野君は、竹を曲げて作ったわりと本格的な弓矢を隠した(彼は火を当てて竹をゆっくりと曲げるのが抜群に巧かった)。ブーメランと弓矢とパチンコと石器とコロコロコミックで完全武装した花野君を目にするたび、僕は「この人はいざという時にはどの武器から使うんだろうか」と不思議に思い、わくわくした。

 僕たちは樹上の基地に腰掛けて、葉の茂みの向こうに人影を見つけるたびに、「……敵発見! しかしこちらにはまだ気づいていない模様!」などと小さな声で叫んだ。でも今考えてみると、通りがかりの一般の方々は、ごく普通に僕たちの存在に気づいていたと思う。それなりに近い距離で、葉の茂った大きな樹が明らかに胡散臭い揺れ方をしていたら、誰だって気づく。樹の下にはっきりとリュックサックを置いていたのが致命的だ。
 大きな枝に腰掛けて頬に受けるやわらかな風には、他の誰にも汚されていない誇りのようなものが感じられた。僕たちの時間は、そこに流れる風と同じように無限に続くものと思われた。絶え間なく聞こえる鳥の歌声と、上空に横たわるおだやかな雲が、それを保証していた。

 僕たちが、例えばあと二、三年歳をとっていれば、基地にはもしもの時のために特別に厳選された成人向け雑誌が置かれただろうと思う。けれど実際には僕たちは十一歳で、女性の裸を想像する以上にやらなければいけない事が無数にあった。僕たちは鳥の飛び方で天気を予想し、草花の匂いで季節を感じる事ができた。空高くに飛行機を見つけては、二人で交代しながら弓矢を構える練習をした。

 僕は花野君の教えに従い、隣国の騎馬隊の襲来を警戒するため、時々地面にぴったりと耳をつけてその音を聞いた。「騎馬隊が接近してきたら、ドドド……って低い音が聞こえるはずだ」と花野君は言う。「聞き分けられるのは限られた人間だけなんだ」
 基地に集まる仲間はいつしか四人、五人と増えていった。僕たちは基地を拠点として、釣りに出かけた。石垣を登る訓練をした。切手を買うためにコインショップに出向いた。魔法で野良犬にされてしまった王女を探した。とにかくそんな風にして時間は流れた。ずいぶん簡単な言い方だけど、とにかくそんな風にして、僕たちの時間は流れた。
 小学六年生も終わりに近づくと、僕たちは次第に公園に寄らなくなっていった。たぶん、それまで保留とされていた幾つものやっかいな選択が一気に押し寄せる時期だったのだと思う。赤坂のどの交差点にも「次の中から間違っているものを二つ選べ」と書かれているように思えた。ややこしい問題は毎日増え続けていった。たとえば、僕は不器用な恋をしていたのかもしれない。

 僕は、小学校を卒業すると同時に、約三年ぶりに関西に戻る事になった。父も母もずいぶん喜んでいた。でも僕はどうすれば良いのかわからなかった。もちろん関西には再会したい友人が何人かいたし、福岡という土地に五十年先まで住んでいるという想定は、僕の中にはないはずだった。けれど、実際にそのリミットが半年先、三ヶ月先に迫ってくると、この土地を離れるという決定の不可逆性が、徐々に僕の中に浸透していくのがわかった。一度この町を出たら、僕はもう二度とこの町に入れないのかもしれない。

 その頃の僕にはもう、これはゲームではないんだ、とわかっていた。このラインを超えたらやり直しはきかない。予備の弾もない。1UPキノコもない。一度前へ進んでしまったら戻る事はできない。立ち止まる事さえ難しいかもしれない。そもそも僕は本当に進まなければいけないのだろうか。前へ進む事で初めて見えてくる、今とは違った貴重な物事があるのだろうか。僕が最優先すべきなのは、何に対するかけがえのなさだろう。僕は混乱し、疲れていた。迫り来る様々な出来事を整理する必要があった。
 卒業式の日は、ドラマの撮影のために用意されたような見事な快晴だった。練習の時には身に覚えのない歌詞に思われた歌も、実際に本番で皆で声を揃えてみると、メロディに寄り添う深い意味を持っているように感じられた。
 僕は式の間、時間を持て余すと体育館の天井を見上げた。この高さで雨漏りのしずくを受け止めるとしたらなかなか難しいだろうなと思った。それから不意に、平和台公園に置き去りにされた基地を思い出した。僕たちがそこを訪れなくなってから、何回くらい雨が降っただろう。石器は盗まれていないだろうか。弓矢はまだ使えるだろうか。

 日当たりの良い渡り廊下を歩いて教室に戻り、担任の先生から話を聞いた。天野先生は、記憶している中では、僕が一番はじめに尊敬した他人だ。他のどの先生よりも格好良かった。人を笑わせるのが上手かったし、人を怒るのが上手かった。先生の言葉のなかで僕が一番気に入った台詞は、「馬鹿なことをする時には真剣にやりなさい」というやつだった。こんなのは小学校の先生が教えるべき科目にはない。けれど理屈抜きに頷き、姿勢を正すべき言葉だ。僕は今でもその教えを守っている。

 最後のホームルームは、とても静かだった。天野先生の話し方にはいつもよりも空白の間が多かった。まるでカーテンの揺れが収まるまで次の話題に入るのを待っているみたいに。数人の女子がハンカチを手に持ち、赤い目をしていた。
 僕は、先生の祝福と別れの言葉に真剣に聞き入っていたはずだけど、今となってみるとその内容をほとんど思い出せない。たぶん気持ちが追いついていなかったのだろうと思う。僕は父親の仕事の都合で、それまでにも何度か引越しを経験していた。でも、こんな風に取り返しのつかない別れを経験するのは始めての事だった。頭の中に誰も立ち入る事のできない空洞ができたみたいだった。

 教室を出て花野君と樋口君と一緒に階段を降りていたとき、急に両目から涙が溢れて動けなくなった。僕は顔を見られたくなくて手で覆った。でも泣き声を押し止める事はどうしてもできなかった。通りがかった何人かの女子が、心配して僕の背中に手を置き、声をかけてくれるのがわかった。ちいさくて温かい手の平だった。僕はどうして泣かなくてはいけないのか、よりによって階段の踊り場で女子に囲まれて泣かなくてはいけないのか、さっぱりわからなかった。

 花束を手に、皆で校舎の前で写真を撮った。きっとどの写真を見ても僕は屈託なく笑っている。そろそろ物事に優先順位をつけなくてはいけない時期だった。僕はその事を強く意識して笑っていたのだ。誰かに説明するつもりもなかった。
 花野君は別れ際に、「いつでも戻って来いな」と、彼にしては極めてまともな台詞を言った。どこかで練習してきたのだろう。彼は付け加えるように「たぶん何も変わっとらんよ」と言った。僕はただ黙って頷いた。

 花野君の予測は間違っていた。
 数年後に、平和台球場は役目を終えて閉鎖された。突如見つかった遺跡の発掘作業のため、基地があった公園も撤去された。そして僕たちと一緒に漫画を描いていたツカサ君が死んだ。やはり僕たちは、あのとき後戻りできないラインを超えてしまったのだ。そして、それはきっとどうにもならない選択だったのだろう。選択肢の形をした決定事項の通知、というものが世の中には実にたくさんある。

 そして正しい予測もあった。あれ以来、僕は一度も福岡を訪れていない。象徴的な意味でも文学的な意味でもなく、物理的かつ経済的な意味で。

 雨雲が空に重くのしかかる深い夜に、僕は枕をわきにどけて、布団にぴったりと自分の耳をつけてみる。そしてゆっくりと時間をかけて、意識をそこに集中する。目を閉じて余計な情報の入力を遮断する。息を潜めて自分の気配を殺す。じっと心を澄ませる。

 すると、やがてそれが耳元に聞こえてくる。不吉な振動。彼方に騎馬隊が駆けている。敵だ。まっすぐにこちらに向かっている。その大軍は誰にも統率されていない。動きに秩序がないし、ここまでの距離を走るのに計算された速度でもない。
 でも、だからこそ僕はその低い音の響きを恐れる。これが夢であればいいのにと思う。それと同時に僕にはわかっている。いや、これは夢じゃない。目を開けて部屋の明かりを点け、好みの音楽を流せば消えてしまうような種類の出来事ではない。敵の大軍は本当にこちらに向かっている。圧倒的な数で。考えられないようなスピードで。

 花野君、弓を構えて、と僕は言う。
 その時が来たのだ。僕たちは守るべきものを守らなくてはいけない。守るべき時には真剣に守りなさい、と天野先生が言う。花野君が自信あり気にニヤリと笑って頷き、弓に矢をつがえる。それを見て僕は恐怖を克服する。何かを恐れるための涙なら、僕は階段の踊り場で全て流し切った。その事に思い至る。だから僕は微笑む。

 僕は右手の中の石器を強く握り締める。その硬く親密なぬくもりを信じる。僕たちは樹の上に立ち、基地の存在を信じる。何者も僕たちを傷つける事はできないと信じる。樹上に吹く風の答えを信じる。そこにある可能性を信じる。その先にある未来を信じる。

 たとえばそんなやり方で、僕たちは前に進む事ができる。

(2011年6月)

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