2023.06.01〜放浪 アメリカ、カナダ

6月が始まる。アメリカのジープでの放浪も終盤になってきた。ジープもいろいろな事があった。それでもめげることなくとても活躍してくれている。
カナダはジープがいないので車中泊に慣れてしまっているのでどうなるのだろう。
前回の空港でのチケットのトラブルがトラウマになっている。カナダに行けるかもとても心配だ。

アメリカのジープでの放浪はとてもラッキーで、たくさんのパートナーに恵まれて楽しかった。いろいろなエリアに行けた。これぞアメリカのジープでの放浪だと感じた。
英語は話せないけれど、リスニングはやや聴き取れる様になってきた様に思う。

先ずはカナダへ行ける様にやれる事はやってみる!でも無理はしない!だな。だな。

仙台の相方が「家族から遊んでばかりいる。」と言われたと言っていた。その相方と一緒にクライミングをしている自分も家族からは遊んでばかりいると思われているのかもしれない。たぶん、思われているのだろう。
孫がなんで「ジージーとピーちゃん(宮城の方言で祖母。)は働かなくてイイの?」と小学校に通い出した時に聞かれた。「たくさん勉強をして、たくさん働いたから!」と一応答えた。

今回の放浪を「英語の留学、アメリカとカナダと日本の親善活動、ボケ抑制の療法」とはみてくれない様だ。山岳信仰の修行ともみてくれない。
自分は山岳信仰を仕事もだけれど、自分を磨いてくれる大切な活動だと思う。山岳信仰は身体も精神も研磨してくれる。

自分は中学校の教師と言うブラックもブラックな仕事をしていた。ブラックな仕事で研磨され過ぎた。
江戸の人が精米を食べてカッケになった様に、自分の心にひび割れが出来そうだった。身の方は給食が守ってくれた。給食のお陰で身体が丈夫になり、心もその恩恵に預かったのかもしれない。

自分が教師を始めた頃は今よりもっともっとブラックだった。土曜日にも半日の勤務があった。午後は法律的には勤務ではないが、当然の如く弁当を持参して部活をやらされていた。今は部活手当の様なものもあるが、その頃は手当はなかった。むしろ、他校の遠征に行く時などはガソリン代も出ないのは勿論、帰りにラーメンなどを部員に食べさせてあげる事もあった。試合では保護者もやって来るので、授業参観みたいに感じる時もあった。教師は部活の種類は選べない。部活の中で特別な役職のある人はその部活になれる。その他の教師は部活を選べない。

クライミングのベストシーズンの中総体の頃は日曜日も部活をしていた。平日も普段は18:00が部活の終了なのだが、中総体の頃は特別に19:00に延長していた。部活が終了してから、雑務をして帰宅が出来る。最後になると戸締まりも大変だ。
朝練もしていた。
ブラックもブラックに感じた。
クライミングにハマり込んでガラスを拭く仕事に転職する人たちが自分の周りにいた。
お金を貯めてはシャモニーやヨセミテになどに遠征していた。バブルの絶頂期だ。公務員になる人は少なかった。
自分も転職をしようと思ったがせっかく中学から大学を卒業するまで努力に努力をしてようやっとたどり着いた道。その努力を考えるとその道を外す事は出来なかった。住宅ローンと言う債務もあったし、家族もいた。
自分は山岳を信仰する宗教に入信したが、出家まではしなかった。在家者としてクライミング教を信仰する事にした。
自分がクライミング教をしだした頃はジムがなかった。東北は関東の様に冬にもフリークライミングが出来るエリアはなかった。冬はカジタのアイゼンとバイルにプレートアブミの世界しかなかった。なので、春から秋までにようやっと育てた指力が冬にほとんど消えてしまう。春になるとまたゼロからの繰り返しだった。そんな環境の冬が東北にあった。東北のそんな環境でフリークライミングをやり続ける人は少なかった。この環境で残った人たちは不思議な人たちしかいなかった。東北でフリークライミングをしている人はみんな知り合いだった。
11月3日に明神にその人たちは集まってフリークライミングを名残りを惜しんで宴会をしていた時もあった。宴会での楽しい思い出が数多くあった。

山形に紅花国体が開かれた。なんとクライミング専用の壁が体育館の施設の内部に作られた。今でもその壁にドラム缶を半分に切って作ったハリボテがあったのが印象的に思い出される。ホールドも化学薬品を調合して誰かが自作していた。
その頃からフリークライミングが東北にも広まりだした。黒伏と鎌倉しかなかった東北に丸森や山寺や三崎や大日や龍泉洞や青葉がドンドンと開拓されていった。
手打ちからボッシュが出てハンガーボルトになった頃だ。

そして何故か「クライミングジャーナル」が閉刊し、「岩と雪」も閉刊していった。

国体が宮城県にもやって来た。ベニバナ国体の室内の壁を知っているのでワクワクと期待した。
しかし、しかし、宮城県山岳協会の運営に絶望した。国体を成功させる事しか考えていなかった。国体の事や国体で良い成績を残す事しか考えていない運営をしていった。いわゆる箱物作りだった。
白石城への屋外の建設、国体選手だけしか利用が出来ない青少年自然の家の体育館の人口壁の建設、果てはセントメリースキー場への屋外への人工壁の建設。どれもどれもなんの連絡も無く秘密に進められていた。あまりに酷いので、「岳人」にその辺の事を暴露した投稿をした。
宮城県山岳連盟の
会議に乗り込んで直訴もした。宮城県山岳連盟は国体には規則がある。その規則に従わないとならないとの事で殆ど取り扱ってくれなかった。
今は日本山岳教会ではなく、日本山岳スポーツ連盟に名前を変えている。オリンピックや国体への取り組みに名前も変更して、競技大会に特化してこうとしている。
八王子の国際大会では何千万もの赤字を出してもなんとも無い様に運営を続けている。
公益社団法人なのに大会ばかりに力を注いでいる。
大会で億のお金を動かしている。
70年代に打たれたボルトがそのままの状態なのにリボルトへの取り組みは全くしていない。その赤字とリボルトに対して意見をメールしてみたがのれんに腕押しだった。「検討する」しかの返答しかなかった。
「岳人」に投稿してみたが「岳人」も体制が変化したのか取り上げてくれなかった。「ロック&スノー」も取り上げてくれなかった。
宮城県の国体の時も、八王子の国際大会の時も、仙台山岳会のルールも、誰もなんの反応を示さない無反応な社会がとても不思議に感じる。

自分が学生だった時に大学内に車で入るには許可証が必要になる規則が出た。学生が豊かになり車を持つ者も出てきて大学校内にも車が多くなった。その規則がなんの連絡もなく大学側から提出された。大学内の体育会や文化祭や寮などのいろいろな団体がそれに対して反対する為に集まった。大学祭の前だったので学生会館の前にはバンドが演奏するステージが設置されていた。自分もそのステージに上がってマイクで訴えたり、学食のテーブルにビラを配ったりした。集団で学生課に問題を訴えに行った事もした。
その頃は問題を投げ掛けるにはそんな手段しかなかった。
そんな全共闘の最後の最後の方を少しだけれど、大学でかじってきた自分には問題に対して無反応な今の社会がとても不思議で怖さも感じる。

全共闘の頃と今とでは国民のお上に対する姿勢がかなり違うのを感じる。こんなにSNSが普及しているのに大きなウネリはあまり起こらない。
軍事費は増加している。
福島原発も殆ど忘れ去られている。
政治は世襲議員の自民党による政策が続けられている。財界と政治が密になってそこに割り込めない。

全共闘も今のロシアや中国を考えると共産主義にはムリがある様に感じる。
自分が若かった時の共産主義に系統している何人かの人たちがお上に対して、なんらかの方法で問題を提議してくれていた。それに対しマスメディアには上げられないお上に対する疑惑の様な事にその人たちに関心を持ち、物事を別な視点から考える事が出来た。
その疑惑や不安が全共闘や暴走族や校内暴力などの社会現象に現れていたのかもしれない。その人たちはその辺を教えてくれた。

全共闘と機動隊との攻防もあさま山荘事件で鎮静化していった。
その変化を知りたくて「兵士たちの連合赤軍」や「十六の墓標」などの本を読みあさった。

日本に変化が起こってきた。

日本が経済的には豊かになってきた。そしてGDPが2位にもなった。その経済的な豊かさは続かず、暫くしてバブルがはじけた。競争による高度経済成長がストップして、停滞と言われる失われた20年、30年に突入した。

第一次ベビーブーム、第二次ベビーブームからの競争社会から「少子化」に社会が変化しだした。
インフラがデフレになった。
学校では「少子化」の影響がすぐに現れた。

第二次ベビーブームの頃は校内暴力が華やかだった。高校に入る為に仙台の高校に入れない生徒は古川の高校などに通学していた。それが少子化になって仙台の私立高校が生徒の募集の為にいろいろと入試制度を工夫しだした。高校を選ばなけらば仙台でも地元の高校には入れる様になってきた。
ネットが出てきたのもこの頃だ。校内暴力に代わり、オタクとか引きこもりが出現してきた。
校内暴力は対処方法はある程度は決まっていたが、引きこもりやイジメに対する対応は千差万別なのでとても大変だった。校内暴力の時は生徒と会話が出来た。その行動に対してもなんとか対応が出来た。しかし、引きこもりに関しては会話もままならない。どんな対応をしていいかも判らない事が多々あった。イジメも陰湿になった。イジメをする方も、される方への対応もとてもデリケートにしないとならないなで大変だった。対応の仕方もどこまで表に出していいのかも微妙だった。イジメが浮上してきた時には、そのイジメが闇の中でかなり進んでいる事が多かった。

クライミング教の在家の信者には修行の環境が整えられてきた。
ブラックな教師の環境も隔週の週休2日になったり、部活手当も一日500円が支給される様になった。時給でない。一日500円だ。

仙台にジムも出来てきた。

長期の休みの定番だった谷川にゴンドラが出来た。その為に出合いまで車で行けなくなった。夏に出合いで合宿と言う名のドンチャン騒ぎもなくなった。フリー化の波もやってきた。人工で登っていた雲陵などはフリー化されて、グリズリーと名前が変わった。

谷川は殆ど行かなくて時間が過ぎた。フリー化の波により、ボルトは打たれるどころか抜かれていった。谷川のピトンはサビサビになり、雲陵は自分にはもう登れない。あのピークには立てなくなった。

そんな、こんながある中、自分は在家のままクライミング教に精進して、早く定年の60歳になる事をひたすら望んだ。

終身雇用制度が崩れてきた頃だな。生徒の人数が減っていく。教師の採用数も減らされていった。1学級の人数を減らして、教師の数をそのまま維持する事はなかった。空き教室はパソコン室などの訳の分からない部屋に変えられていった。
生徒よりもパソコンのが大切に扱われている感じがした。

その頃から臨時採用者が学校に配属になってきた。

臨時採用者はさらにブラックもブラックだった。今までの積み重ねもないのに、授業も部活も普通に割り当てられる。採用試験の勉強する時間が取れない。校長などの上司の視線も気にしなければならない。臨時採用はもがけばもがくほど奈落の底に落ちていくアリ地獄の様だった。それで採用されなかったら更なる地獄が待っている。一般の会社はもう雇ってくれない。学歴を活かすにはまた一年間を臨時採用と過ごすか、または教員採用試験の受験勉強に専念するかぐらいしかない。

これは大学を卒業する時に、更に上の大学院に進むかの選択をする時にも通じる。たとえドクターになれたとしてもその先が見えないのが日本の社会だ。
研究に進むか、会社に入るか。研究に進んで芽が出ないと小保方さんの様になってしまうかもしれない。
全ては日本の教育や研究などに対する予算が少ないからだと感じる。
昔はノーベル賞を取った日本人はたくさんいた。このまま教育に対する予算が減らされていったら日本はどうなるのだろう。
イージス艦を持つよりも、原発を再稼働するよりも、海の底の底を潜れる探査船を持って日本の海に眠っている資源を開発した方がイイ。処分方法が確立されていない放射能を作り出し、想定の出来ない津波がきてとんでもない事になった原発を再稼働するよりも、地熱や波や太陽などを利用した方がいい。
時間が掛かるけれど、何世代も先の長い視点で見ればチェリノブイリやスリーマイルを体験した時に、方向を転換すべきだった。
イージス艦で日本を誇示するよりも、ハヤブサの業績を発信する方がはるかに効果があると思う。

そしてなんと言っても、日本はいくら軍隊を強くしても、エネルギーも食料もない日本は海上をブロックされたらお終い。お終いだ。
ブロックされた日本の脆弱さは第二次世界大戦で証明済み。
「欲しがりません、勝つまでは!」よりも、「作りましょう、欲しくなるなる物を!」
ノーベル賞を取れる日本人を育成するには日本の教育予算がとても少ない。
高等教育では院に進んで研究をしたいと思う人がいても、将来を考えると収入を考えるとその研究の道になかなか進めない。

義務教育では教室の中にいる生徒の人数が多過ぎる。

軍事費が上がると教育や福祉の予算が必ず減る。

終身雇用も崩れ、年金制度も崩れ?、一部の能力があり、運のイイ者にお金が集まっていく様に感じた。ベンチャーだな。ホントに冒険だ。失敗したら大変だ。

日本が鎖国をやめた時に、欧米の植民地に成らなかったのは日本人全体の識字率が高かったからだと言われている。一部の者だけでなく国民全体の教養が高い事が国力に繋がる。優れた一部の者に力を集めて、経済発展をする事も大切だけれど、長い目でそれを支えるのは国民の力。その為には教育。
軍事でも、経済でもない。
国民全体の教育、教養を高める事が大切だと思う。今は目先の軍事力や経済にとらわれて、格差が広がっている。格差が広がれば、中間層がいないと経済は衰退する。荒れた社会になっていく。

資源の無い日本は経済ブロックをされたらどうしようもないのは太平洋戦争で明らか。これだけグローバル化された現在で軍事力を増やしていく政策はとても理解出来ない。

今の戦争は最終的には総力戦、核戦争。軍備の増強を望む人は自分が人を殺したり、子どもが殺される事を想像しているのだろうか。

日本に侵略されない様にミサイルや戦車をたくさん増やしても、海上封鎖されたら、日本はどうしようもない。日本に攻めて来なくと日本は飢餓が蔓延する。

時間が掛かるが話し合う事が大切。
中村哲さんは殺されてしまったけれど、憲法9条が自分の活動を守ってくれていると言っていた。世界に誇れる憲法だと思う。世界に誇る為には捻じ曲げて捻じ曲げられた自衛隊の戦力は矛盾でしかない。

時間が掛かるが世界に誇れる技術を伸ばしていける教育が大切。海洋資源の開発をすればエネルギーも資源も自国で産出できるかもしれない。情報産業や先端技術などの研究費にお金を掛ければ、まだまだ日本は技術大国に復活できる素地は残っている。技術は日本の独自の国民性から生まれる物なのだと感じる。

宗教は麻薬だと言われるが、クライミングも麻薬の様な感じがする。
人間は1日を衣食住の為に過ごす。働いて、休んで、寝る。豊かになると余剰が出てくる。余剰により、その日暮らしでなく明日を考える事が出来る様になる。余剰をどの様に利用するかを考える始める。人間は余剰から産まれた豊かさを集めて、貯蓄して、更なる余剰を創り出した。大きな社会を創り出した。明日だけでなく、未来をみる事が出来る様になった。過去と現在と未来という時間を見つけた。

創り出した余剰、見つけ出した時間をどの様に分配したり、貯蓄したり、投資したりして考える事が必要になってきた。過去を見つめ、未来を考えた。その余剰は一部の者にだけ集まっていった。分配される事はなく、地主や領主や貴族や武士や資本家やお寺や教会がその余剰をコントロールした。

日本では天皇や財閥や地主が残っている。戦犯なのに首相になるなどして、いろいろな人たちが政界に残り地主や財閥との関係を戦後もそのまま引き継いでしまった。そして今はその子や孫が世襲議員に普通になっている。長期政権は良くない事を人間は歴史から学んでいる筈なのに、首相についていた長さが国葬をする理由の一因にもなった。

退職した。クライミング教に入信したので、豪華な衣食住よりも、様々なクライミングに精進したい。
と言うよりクライミング以外に身体も精神も満たす事の出来る余暇が見つけられない。クライミングは生産的な活動ではなく、世の中に貢献はしていないのが気に掛かる。遊んでばかりいる様に見られる。

仕事。収入を目的とした活動はもう自分の人生でやり尽くした様に感じる。働く、傍(はた)を楽にするのはやってもイイかと言うよりも、やりたいと思う。

若者だとこの時間の使い方を留学、親善交流など未来の自分への投資、キャリア、勉学と見られる。こんなヨボヨボの爺さんになると、ただの遊びとしか見られない。
今の日本の定年退職後は余生なんだよな。野球の消化試合みたいなものなんだろうな。
隠居して、今までの蓄えや年金で細々と消費してのんびりと過ごしていればイイのかもしれない。その貯蓄や年金も当てにならない時代になっている。
自分にはクライミングと言う蓄積がまだ残っている感じがするし、クライミングをしていると楽しい。日本だとなかなかパートナーが見つからない。なので家でウダウダとネットや絵を描くことが多くなる。ネットをするのは外国でも出来るし、絵を描くのも外国で出来る。アメリカにいると英語が上達してきている感じがする。クライミングも出来て、英会話も出来る。アメリカにいて困るのは今の円安だな。

小川山に行くのに東北道ぐらいしか高速道路がなかった頃、行きも帰りも狭い車で交代交代して遠征に出かけた。その仲間たちは何処で何をしているのだろう。
シャモニーやネパールを目指しているらしい仲間の話を聞くが、昔はもっともっとたくさんの仲間がいた。

頭も体も衰えているのは確かだけれど、快適な衣食住の中での生活ではドキドキ感が得られない。家族や地域や世界に役に立つ生産的な事が出来ればイイのだらうけれど、クライミング教に入信してしまった自分には生産的な活路、はたらく、傍を楽にさせるクライミング以外の楽しい活動が見い出せない。

大乗仏教と小乗仏教の狭間を感じる。

自分が蓄えてきた余剰、資本は数学とクライミングの知識と経験ぐらいしかない。どちらも自分だけの余剰にしか使えない。
数学の余剰はもうゼロになってしまった。
クライミングはかろうじて残っている感じがする。社会に対してそのクライミングの余剰は分配が出来ないが、自分のなかで消費していける。貯蓄を浪費でもない、イイ感じに消費が出来ている様に感じる。消費しながら別な剰余、資本が増えているのも感じる。英語やその国の歴史だな。英語は今更ながらだけれど、自分の生き方にの資産になってきているのを感じる。歳を取って、体も頭も衰えているのだけれど、自分が成長している。とても微々たるものだけれど成長が感じられるのが楽しい。英語はまだまだ話せないけれど、ボキャブラリーは幼稚園よりも少ないが、文章の単語が少しは聴き取れる様になってきている。

伸びる事の幸せを感じる。

伸幸。

2023.06.01
気温は適度。体調も普通。
今日ものんびりと絵を描く。少しずつ上達はしているのだけれど、集中力が続かないで最後が雑になってしまう。色を作るのが難しい。不透明になってしまう。

図書館でネット。

もうすぐ満月になる月がとても明るい。

203.06.02
大きなサンドイッチみたいなのを買う。1人だとコッチのが腐る事に気を使わないでイイし、安い。ココにもトイレがあった。

ジュリエットとスターバックスで会ってエリアに向かう。

☆パインクリーク
みんな仲良しみたいだ。気軽にビレーをしてくれる。一才ぐらいの赤ちゃんもいて、みんなが世話をしていた。常連さんが沢山いて、山寺みたいな雰囲気だ。

マーク チェコスロバキア。みんなに話し掛けている。
ジュリエット
メランダ 赤ちゃん

レイチェル 
マイク

☆5.10下部 クラック
☆長い5.10
☆5.11コーナー落ちた。
☆5.12人工になった。

下痢だ。牛乳かな。
取り付きにまだ雪があった。マークがスコップで足場をつくって登った。滑るとシュルンドに入ってしまうので怖かった。

19:00でも明るい。

駐車場でそのまま車中泊。牛乳が腐っているかもしれないが温めて飲む。サンドイッチみたいなのも問題なさそうなので食べる。ご飯が残っていたので、卵と玉ねぎでピラフにして食べる。

熟睡。満月。

2023.06.03
晴れ。
下痢は治った。のんびりと準備。サンドイッチみたいなのを腐っていそうだが恐る恐る食べる。

☆スラブ5.10
☆スラブからカンテ5.10
☆クラック5.10
☆その隣のクラック 5.11 人工になった。

土曜日なので混んでいた。上の方で登る。今年は雪が多いらしく1ピッチ目のアンカーが目の前にあった。
雪の上でビレーをしていたら滑って、振られて、壁に激突。ATCを使ってきたのでめちゃくちゃ2人とも危なかった。

マイクは明日は仕事。疲れていたので明日はレストにする。露天風呂に行く。前回よりはポピュラーな温泉。それでも、欧米人はほんの10分も温泉に浸かっていないのでのびのびと入れる。自分には適度な温泉の温度も欧米人には熱いらしい。

駐車場で残り物のサンドイッチ。まだ腐ってはいなさそうだ。

2023.06.04
のんびりと朝風呂を浴びて、最後の残り物のサンドイッチを食べて、隣の温泉に向かうが、見つけられなかった。

マモスに向かう。教会に10:00に行ったらミサが終わった所だった。ミサは何時からやるのだろう?コーヒーとケーキを頂いた。教会はミサが終わると施錠をする様だった。

スーパーに行ってのんびり。
ネットをしたいが日曜日なので図書館は休み。なので充電が出来ない。

絵を描く。2枚同時に取り組む。一つはペンで輪郭を入れて、もう一つは鉛筆で下書きを入れる。すぐに集中力が切れてしまうがのんびりと取り組む。

雨が降った。30分ぐいも降った。アメリカに来てこんなに雨が降ったのは初めてだ。レイクタホでは雪が降ったな。月日の速さを感じる。

首が痛い。あの激突かな?

2023.06.05
道が濡れている。マークからもジュリエットからも連絡がない。

2023.06.06
昨晩は少し雨が降ったので土が湿っていたが道路は乾いていた。

のんびり起きる。やや寒い。

ジュリエットは家族と1週間のバカンスらしい。マークとは連絡が取れない。

朝風呂。温泉に浸かる。優雅だ。入れ代わりにアメリカ人が2人だけきた。静かな世界だ。

蚊が出てきた。車に戻ってサンドイッチみたいなのを食べる。

パインクリークに向かう。駐車場に着いたら雨が降り出した。雲ゆきを見てのんびり。何人かがエリアに向かったので、自分も歩き出す。

ワイドに

ダード
ジョン

が取り付いていたのでロープをフィクスしてもらう。

☆ワイド
トップロープソロ。ワイドの技術はあまり使わないでひたすら剥がされない様に登る。

懸垂は80mが必要なので足りない。隣のフィックスを使わせて貰う。

レイチェル
マイク
が声をかけてくれた。気さくな人たちだ。

ビーショップの図書館に行く。WiFiが30分と限られていた。

駐車場で車中泊。トイレがあったが夜間はカギが掛けられていた。ランドリーはWiFiも充電も出来そう。店が閉まると夜間のWiFiは使えなかった。

のんびり。

2023.06.07
スーパーで食事。ステーキにした。美味しい。

ガソリンを入れる。値段はまあまあかな。ガソリンの安い所を探すのも面倒になってきた。なんか頭がボーとしているが身体は元気だ。

パインクリークに行く。

オーエン シャモニー ダッチ
テッド
にロープのフィックスを頼む。
その隣りも移ってフィックス。

☆ハングの下
☆5.9
☆グニャグニャ
☆その隣り
☆右 落ちた。

テッドが自分のトップロープソロのセットが面倒くさそうなので、トップロープをしてくれた。

テッドたちは明日はラスベガスに移動をするので、いらない食材や服などをくれた。なんかみすぼらしく見られるのか。服はボロいし、髪はボサボサでヒゲもはえているし、風貌はヒッピーだな。

街まで行かないで駐車場で車中泊。

2023.06.08
晴れている。半月が白く浮かんでいる。
下にもエリアがある様なのでみんなの様子を見ながら絵を描く。みんなはマルチをする様になので上のエリアで登る事にする。

☆5.9
ソロで登る。久し振りなのでドキドキ。ボルトが近いし、アンカーもしっかりしている。
隣のアンカーにフィックス。
☆クラック
テンションを掛けないと怖い。
☆クラック
もっと難しい。

ケビンが声を掛けてくれた。ケビンはタホに住んでいるらしい。エルキャピタンは20回ぐらい登っているらしい。

ケビンのソロシステムを見させて貰う。かなり慎重なシステムだ。バックアップだけでなく、ショックアブソーバーもしっかりしている。

なんか疲れている。食事がめちゃくちゃだからか、カナダの入国が心配だからか、長い放浪だからかかな。

夕食はテッドたちから貰ったナンなど。

2023.06.09
絵を描く。構成よりも色を作る事に集中する事にする。それでも
色が濁ってしまう。水彩の透明感を活かすにはどうしたらイイのだろう。

☆クラック
ソロ
☆隣り
トップロープソロ
☆隣り ムリ トップロープソロ

マークが来たがあまり会話が出来なかった。

☆隣り 
ヘリスン
エンディー
にフィックスして貰う。
☆奥 5.11

雨がポツポツ。でも登れた。

ジープに戻ったらジャケットを忘れたのに気付いてまた取り付きまで戻る。ジャケットにカギを入れるのはダメだな。チェストハーネスにしまうのは良さそう。

ケビンが今から登り出すのに出会った。今まで何をしていたのだろう。ココは明るい時間が長い。20:00でも明るい。

駐車場で車中泊。夕食はパスタ。塩と少々の醤油とニンニク。

2023.06.10
空は曇っているが雨ではない。
絵を描いたり、昨晩の残りを食べたりしてウダウダする。体と言うよりも心に元気がない。胃の調子も良くない。

登れそうなのでエリアに向かう。反対側のエリアに行く。ロープのフィックスを頼もうとしたが英語が早過ぎて良く分からない。

☆下部が難しい。
アンカーはまあまあだけれど1本めのボルトが少し遠いい隣のルートでソロをする。難しいので人工で登る。出だしも難しいし、ボルトとボルトの間隔もあるので、カムも使ってようやっとトップロープをフィックス。
トップロープソロでも難しいかった。雨もポツポツ降るし、身体も元気がないのでこれでお終いにする。

温泉に向かう。のんびりしていると雨が降ってきた。ジープの中でポッドキャストを聴いてウダウダする。暫くしてから温泉に入る。土曜日なので混んでいた。
雨が強く降ってきたのでジープてまたウダウダする。パスタやキャベツやマメなどの残り物を煮てラーメンを入れる。不味くはないが美味しくもない。お腹もなんか変だ。外は雨が降ったり、止んだりしていた。温泉には入らないでウダウダしながらそのまま寝る。

2023,06.11
下痢を起こしていた。朝風呂はやめて、やや朝暗い中をレイクタホに向かう。

下痢が治らない。

レイクタホに着いたがまだ早いので絵など描いてのんびりする。パトカーが来て質問をされた。近所の人が不審に思って警察に連絡をしたらしい。警察官は違法な所は何もないので尋問をして、パスポートと免許証を見せたらそのまま帰っていった。

コーリーに会う。トレラーを売る準備をしていた。自分のジープもだが、アメリカ人は業者を通さないで個人と個人で取り引きをしている。その辺のシステムはとてもイイ。

ハンバーグを昼食に作ってくれた。美味しいが少し量が多かった。

ジープを整理する。ジープは良く働いてくれた。暫しのお別れだ。整理が終わり頃に雨が降りだした。タホは雨季らしい。タホは冬も長いし、雨季もあるので大変そうだ。

タイ料理を食べに行く。タイ料理と言うよりもインド料理に感じた。アジア的ではないが美味しかった。しかし、量が多いのでパックを貰って持ち帰りにさせて貰った。
お金を払おうたしたら、前回はおごって貰ったので今回は自分が払うと言って払われてしまった。

雨がシトシトと降っている。

シャワーを浴びさせて貰って、後はのんびり。コーリーはネットフリックスの映画を観ていた。自分は疲れたので寝させて貰った。

2023.06.12
晴れ。

コーリーがコーヒー、バナナを出してくれた。昨日の残りのタイ料理と合わせて食べる。コレからの移動の事で緊張しているが食べる。

コーリーはバイデンを支持しているらしい。コーリーは銃の支持派らしい。アメリカに敵が来たら銃で立ち向かうらしい。
アメリカを攻めに来る国などいるのかな?国ではなくてテロならありえる様にも思う。テロなら情報戦で人を大量に殺す兵器はいらない様にも思う。
トランプは戦争が嫌いらしい。世界の警察にならないでいいとの考えらしい。戦争をしにわざわざ海外に出て行かないでいいとの考えるらしい。トランプは事業家だった。バイデンになって経済がガタ落ちしたのもバイデンを支持しない理由らしい。
この辺のアメリカ人の右寄りの人たちの考え方はアメリカに来て、肌で感じないとなかなか判らない様に感じる。会話が20%ぐらいも理解出来ないけれど、彼らの考え方がなんとなく解る様な気になる。右派も左派もどちらも戦争はしたくない。でも、人間の歴史から戦争が無かった事はない。第一次世界大戦以降は民間人も含めた総力戦でとんでもない事になっている。
更に深い会話が出来ないのが悲しい。

コーリーが仕事をしに行った間に

映画 「後ろの正面だあれ」

を観た。
自分の母よりも10歳くらい若い女の子話。
その頃はお国も大切だったが、家族や親戚との絆も深かった時代に思う。
自分は男だった事もあるが、この映画の様に家族の絆は強くはない育ち方をしてきたと思う。時代も一世代違うし、ウサギ小屋のマイホームの時代だ。テレビと洗濯機と冷蔵庫の時代だ。テレビはカラーになり、洗濯機は干す時にロールに洗濯物を挟んでクルクル回す。それが遠心力でグルグル回るのになった。遠心力は凄いなと感心していた時代だ。お風呂は家の外にあって石炭で沸かしていた。自分は薪を割ったり、お風呂を沸かす手伝いもした。好きな手伝いだった。

東京に住んでいるのに、わざわざ富山を選んだのも、家から出て暮らしたかったのも理由の1つであった。

この映画の時代考証はよく出来ている感じがした。
自分の母から聞いていた戦争中と戦後がとても良く似ている。母も飛行機からの機銃操作を受けたらしい。その時のパイロットの顔も見えたらしい。母は集団疎開をしたらしい。

父とその父の母は父の父親が亡くなったので北海道から東京に来たらしい。その時にヒデコ叔母さんも一緒に付いてきたらしい。ヒデコ叔母さんは近所の人で血筋は無いのに何故か付いてきたのも良く解らない所だ。自分は父の家族の事は良く解らなかった。

母の実家は正月になると親戚一同が集まっていた。お年玉を貰うのも、ご馳走のお寿司を食べるのも嬉しかった。母の兄弟姉妹は5人いて、その子どもも集まるので大変だったと思う。みんなで雑魚寝をした。そのごちゃごちゃがとても楽しかった。

父の母は戦時中に汽車に挟まれて亡くなったらしい。父はなんとか電気の勉強をして電電公社に入ったらしい。大学なのか短大なのか高校なのかは解らない。夜間の私立の大学だった様な。
父は電電公社で働いていたので、戦地には行かないで済んだらしい。伊豆の辺で働いている時に終戦になったらしい。その時にそこにある物は何でも持っていって良いと言われたので、その時はとても効果なテスターを持って、そこから住んでいた中野まで歩いて戻っていたらしい。上官などはトラックを使って高価な物を運んでいったと言っていた。
中野に着いたときはこの映画の様に中野は焼け野原で、父の住んでいた所を見つけるのも大変だったらしい。土の中に埋めていた物もみんな溶けていたらしい。
庭にかなり深い穴を掘って遊んだ時に、空襲で溶けたビンなどが出てきたのを思い出す。

父はトタンなどでバラックを建てて、母と結婚したらしい。その土地は宅地地主の物で、自分は地代を払いに正面の門からでなく、勝手口の方の門から入っていってお金を払いに手伝いをしたのを思い出す。

神社のお祭りでは自分は氏子でなかったのでお祭りの山車を引けなかったのを思い出す。お祭りの時の夜は暴走族がたむろしていた。テキ屋もたくさん出ていて不思議なお祭りだった。金魚すくいや金魚釣りや型抜きやお好み焼きなどはもちろん、神楽も演舞されていた。同じ中学に地主の友だちがいた。神社に寄付をした人の名前が掲示されていた。灯篭などにも名前が刻まれていた。

八月の最後にあるお祭りだった。宮城県の中学校は8月25日から始まるので中学校の友だちとは疎遠になってしまった。

その神社の近くには調べると解るがかなり大きな部落もあった。立正佼成会やロッテなどの工場もあった。不思議な街だった。
中学校の時のよく遊んだ友だちの家は長屋だった。家の前には共同の井戸があった。友だちの家の玄関と言うよりも入り口は直ぐにお勝手と土間になっていた。入り口に入ると友だちの生活がほとんどまるまる見えた。友だちがその土間にあるガスコンロでミソおにぎりを焼いてくれて、みんなで美味しく食べたのを思い出す。
この中野区立第一中学校は自分の住む中野区立新山小学校と、その不思議な街の中野区立多田小学校から上がってくる生徒で構成されていた。あまりいい噂がない中学校なので、新山小学校からの渋谷区に越境して渋谷区立笹塚中学校にいく友だちも何人かいた。ごちゃごちゃした街だった。ゴチャゴチャした中学校だった。中学校の思い出事件はたくさんある。

父は伊豆から持ってきたテスターで秋葉原からテレビのキットを2台を買った。1台を売って、残りの一台で観た。
自分が中学に入学する頃まで、壊れては直し直ししていた。壊れている間はテレビが観れなかった。それにより、自分はテレビを観る習慣がなくなった。外で真っ暗になるまで遊びまくっていた。親はテレビが無ければ勉強をするかもと期待していた様だがその様にはならなかった。

もっと父や母の生い立ちを正確に聞いておけばよかったと思うが、その母も老いてしまった。
自分も老いている。
戦中、戦後の話をしてくれる人がドンドンといなくなっている。

コーリーが仕事からわざわざ戻ってきてくれて、サウスレイクタホのアムトラックのバス停まで連れていってくれた。

釣りの好きなお爺さんが話し掛けてくれた。釣りの事を話してくれているのは解るが詳しくは解らない。解らない時はジッとしているのがイイ。敢えて反応すると理解している様に取られてしまう。折り紙の犬をくれた。ツルもくれた。なんか折り紙教室の話を伝えようとしているらしかった。
なんか1.25$もくれた。断ったのだけれどくれた。自分が貧しく見えるのかな。

バス停まで歩く。15分くらいの歩きなのだが重たい。みすぼらしい。おまけにヘルメットを被ってヨレヨレのジャケットも着ている。

空港までのバス停も見つけて、バスにも乗れた。細かいお金がギリギリだった。

レイクタホからサクラメント駅へのバスにも
サクラメント駅からサクラメント国際空港へのバス2.25$にも乗れた。

空港に着いて、アメリカン航空会社のカウンターで荷物の重さを計らせて貰った。問題なさそうだ。アメリカはkgでない。kgでない訳の解らない単位で表示された。
アメリカは日本にはB4の紙を使わさなくさせて、A4の紙に無理やり返させた。なのに、自分らはマイルやガロンやフィートを使っている。働いている時に日本はほとんどがB4だったのでA4に移すが大変だった。この辺がアメリカは覇権国だと感じる。

ココは受電にお金が掛かる。でも、探すとコンセントがあった。WiFiは飛んでいる。
のんびりとネットをする。頭がボーとしてきた。

2023.06.13
受け付けをした。預け荷物が2個なのに1個にしてしまったので、30$+40$になった。荷物の保障のチケットが1枚しかないので不安だった。

セキュリティーも通り、今の所はなんとかロサンゼルスに行けそうだ。
アメリカは軍人だといろいろと空港ではスムーズになる様だ。犬も連れていきやすくなっている。

飛行機に乗れた。50人乗りぐらいの小さな飛行機だった。アメリカでは飛行機がとても一般的なのを実感する。
ジュースとクッキーがでた。
荷物を受け取るのに緊張した。飛行機を降りて荷物を受け取る所までシャトルバスに乗るし、何処で受け取れるのかが保障のチケットには書いてない。いろいろと保障のチケットを見せながらなんとか荷物をゲット。荷物に辿り着いた時はもう、自分の荷物ぐらいしかなかった。
インターナショナル デパーチャーまでも遠かった。明日の飛行機が小さい会社のためかカウンターがない。インフォメーションで明日になればあるらしいのを確認するも、カウンターが見当たらないのがとても不安だ。焦っても仕方ない。ネットも充電も出来るのでズーとネット。イスがとても寝にくい。フロアーで寝ている人が誰もいない。頭がボーとする。

2023.06.14
なんとか夜を過ごせた。夜中に大胆にイスを全部どかして、車で掃除をしていた。

心配だった航空会社のカウンターも開いていた。ETAも問題なくチケットが貰えた。荷物検査のチェックも無事に終えた。
荷物検査ではコンピュータを出して再検査された。なんでコンピュータを別にしないとならないのかが疑問に残った。

疲れたが、まだ気は抜けない。カナダの入国が待っている。飛行機は200人ぐらいの大きさで、座席も80%ぐらいは埋まっていた。コロナはほとんど克服された様に感じる。

バンクーバー国際空港に到着。
なんと!荷物がやって来ない。15人ぐらいが係らしい人と交渉していた。どうしようもないのか、みんなが荷物が無くなった事を申請する書類を記入しだした。自分も記入しょうと書類を貰う。みんなは書類を記入するとゲートに向かって文句を言いながら歩いていった。自分はホテルもないし、電話もない。今晩は何処に泊まればイイのかも聞き出せない。頭が混乱しながら書類を記入していた。飛行機から降りてここまでの掛かった時間は2時間ぐらい。頭がオーバーヒートしていた。するとコンベアーから荷物が出てきた。周りには自分ともう1人と係らしき人しかいなかった。自分の荷物もやってきた。安堵。

荷物をカートに載せてホッとしながら入国審査に向かう。全く審査をしないでスルー出来た。
アメリカからカナダへの入国が出来た。カナダとアメリカの親密度を感じた。カナダとアメリカは殆ど検査しない様だ。

荷物を移動しやすい様に整理してトレインに乗る。シニヤ割引きがあった。でも、カナダ人だけみたいで、改札を出る時に請求された。

寝る所を探しながらダウンタウンをウロウロ。サブウェイでホットドッグみたいなのを食べる。美味しい。ウォーターフロントにトイレと水飲み場があるのでそこで寝る事にする。

ベンチものびのびと眠れるし、治安も良さそうなので熟睡。
なんと夜中にスプリンクラーが動き出した。慌てて水の届かないベンチに移動してまた熟睡。

2023.06.15
のんびりし過ぎて時間を忘れてしまった。危うくバスに乗り遅れそうになった。
なんとか間に合った。入国が出来てとたんに気が抜けてしまった様だ。
追加荷物15$。

ゴンドラに着いてネット。カナダに着けた事の報告。

キャンプ場に行って荷物の整理。そのままダウンタウンに向かう。バスだと2$。時間もあるし、座ってばかりいたので歩いてみた。

図書館と屋根の下に向かう。食材を入手してズーとのんびり。食堂ではデイビットや背高ノッポが自分の事を覚えていてくれた。夕食を食べて、シャワーを浴びて洗濯。

熟睡。

2023.06.16
曇り。雨が降り出した。のんびりと起きて食堂で朝食。昨日のパンや果物。

食堂でネットや絵を描く。クライミングはお休み。雨が降って道が濡れている。

元気がでないので、ウロウロせずに今晩も屋根の下に泊まる事にする。

2023.06.17
屋根の下の同室の人が夜中にやたら動きまわっていた。火をたいて訳のわからないおまじないもしていた。トイレもベットもゴミだらけにしている。

バスに乗ってキャンプ場に行くと雨が降り出した。食材をロッカーに置いて、またバスに乗ってダウンタウンに行く事にする。
バスは土曜日、日曜日はタダらしい。

晴れてきた。
ネットをする。このネットで頭がボーとなってしまうのかもしれない。全く何もしないでボーとする事も必要かも。

食材をゲット。たくさんのインド人がサリーを着て街を歩いている。今日はインドのお祭りらしい。インドの金ピカのお寺に行ってみる。お祈りをする様なホールで10人ぐらいが食事を取っていた。手招きをして食べる様に誘われた。ダルーやチャパティーなど懐かしいインド料理が並んでいた。とても美味しかった。なんのお祭りなんだろう。

屋根の下で充電と昼食。

公園に行くとフェスティバルでたくさんのインド人がサリーなどを着ていたお祭りを楽しんていた。大人も子どももインド風の服を着ておめかしをしていた。インドのお祭りを楽しんでいた。小学生の子どもが神楽の様な演舞を誇りを持って演じていた。
屋台が並んでいた。みんなタダ。そして美味しかった。アイスクリームもタダ。大好きなラッシーらしき物もあった。ラッシーではなかった。でも、それはそれで美味しかった。食べきれないほとイロイロなのがタダで振る舞われていた。夜もあるかと思って公園で昼寝をしていたら、お祭りはもう終わっていた。屋台はもう片付けを始めていた。

図書館でネット。

スコーミッシユに住んでいる日本人のクライマー2人と会う。公園のベンチでのんびりと会社や仕事やクライミングの話をした。
登山写真家の方は会社がいろいろと大変そうなんだけれど、焦らずにのんびりと生活をしている様だ。日本とはこの辺がとても違う気がする。仕事が大変でも、クライミングなどの自分の中心となる生活を壊さないで楽しむ所は楽しむ様に感じた。自分だったらパニックになってクライミングどころでないかも。
自転車を去年も貸してくれた方は日本に何週間か戻ったらしいが、大阪のゴチャゴチャよりも、カナダの広々しているのが合っているのを再認識したとの事。
その方のパートナーがダウンタウンでお店を開くらしい。ダウンタウンではイロイロな所から来た移民がイロイロなレストランを開いている。日本のラーメン屋さんやお寿司屋さんも何件かあって繁盛している。

自分は教師を辞めて豆腐屋さんをしたくなった事がある。
日本食はヘルシーなので、とても欧米人に人気がある。豆腐は特にヘルシーの代表だ。頂点に位置していると思う。作るのもそれほどの設備はいらない。
豆腐はレパートリーがイロイロと出せる。ニガリを入れる前の豆乳や湯葉やオカラ。ニガリ以外にも豆乳に入れて固ませる事ができる。
自分はご飯に豆乳と醤油をかけて生卵ご飯の様に食べるのが大好きだった。
オカラも欧米人が好むクッキーが作れる。豆腐も揚げると油揚げになって、欧米人が好きそうなステーキの様な食べ方が出来る。
ラーメンは麺を作るのが大変。お寿司はネタを仕入れるのが大変。でも、大豆から作る豆腐はそれほどは大変ではない。更に、イロイロと手を加えることによっていくらでも高級感のある演出が出来る。
自分が仙台に引っ越す前の隣の家が豆腐屋さんだった。その豆腐がとても美味しかった。豆乳もたまに頂いた。
ブラックな中学校教師を辞めて、このアイデアをアメリカで立ち上げたいと何度も何度も思った事か。
アイデアはあった。借金もあった。家族もいた。それらを考えると行動に移せる度胸がなかった。
悶々としながらブラックな仕事を2017年3月までした。

日本人の相方のパートナーはニュージーランドでサーフィンをして、サーフィンのが楽しいらしく、そのままカナダには戻らないで日本に戻ったらしい。そのパートナーは日本の高校を卒業して直ぐにカナダにきたらしい。かなりコッチに住む日本人たちは大胆な生き方をしている。おもいおもいの生活をしている。
自分も日本に戻るよりも、日本にこだわらずに、このまま放浪を続ける方が自分には当っているように感じてきた。海外には様々な人の自分には出来なかった生き方のドラマがある。日本のがんじ絡めの中学校で働いてきた自分にはこの多様性に触れると、コレこそがコペルニクス展開だと感じる。
自分の関西の友人が西洋を旅行して、その時にインドからやって来た若者のインドの話を聴いて、インドに行ってインドにはまった話を聴いた。たぶん、沢木耕太郎の深夜特急便の頃の時代だ。凄い時代だと思う。自分が初めてインドに行った時のインドは凄かったが、それよれも10年か20年も前の話だ。その頃のでもインドはとても凄いと思った。車はあのインド製の全く変化しない車だ。変化しないのでパーツを交換し易いという理由で変化しないらしい。凄い理由だ。
インドにはまって戻って帰って来ないバックパッカーがいた頃の時代だ。関西の友人が戻れたのも運が良かったと言っていた。日本には戻らないと決めてパスポートをざとを捨てたらしい。凄いインドだ。
今の自分はその時の心の変化はそんなまり方には及ばないが、コペルニクスを感じる。相対性理論を感じる。

日本人から借りた自転車で屋根の下に行って泊まる。22時でも泊まれた。

シャワーを浴びて熟睡。

2023.06.18
のんびり。絵を描く。

屋根の下で床屋をして貰った。前回よりも道具が揃っていた。お客さんも10人ぐらいいた。自分の事を覚えていてくれた。

ガスカートリッジを探しに街に行く。ダウンタウンでは見つからず、カナディアンテーラーまで行く。高かった。1本が5.49ca$。

夕食を食べてから、キャンプ場にバスで行く。

テントを張って、夕食。キノコとモヤシが心配だったけれどラーメンに混ぜて食べる。

寒い。完全にシラフに潜り込む。雨がポツリポツリ。

2023.06.19
寒い。
曇りなのでクライミングに行く事にする。
ゴンドラに行ってネットを見るが連絡はなかった。ゴンドラまでは5分ぐらいで着いて、wifeが飛んでいるので便利だ。しかし充電は出来ない。

シェルターで残りの汁の中にラーメンを入れ、腐りそうなのも全部入れて、見た目が美しくないラーメンを食べる。こんなただぶち込んで煮る、茶色い色の汁でグチャぐになった麺を恐る恐る恐る食べる食事をしているからお腹がおかしくなるのかもしれない。

雨が本格的に降って来た。
今日は屋根の下に行く事にする。

自転車で図書館までは30分ぐらい掛かる。
屋根の下で昼食やネットや絵を描く。

夕食を食べてシャワーを浴びて寝る。ココはリラックス出来る。

熟睡。

2023.06.20
曇り。7:00に残り物の朝食を済ませて、キャンプ場に向かう。ジャケットを着ていても寒い。自転車て40分ぐらい掛かる。登りだけれど、大変ではない。テントよりも屋根の下のがリラックス出来る様に感じる。

荷物を整理して
サラを待つ。キャーリーからもメールが来ていた。

Charly 10時 21,22,23,
Sara 日本語
Nan 次の週 25,26,
Nathaniel 2〜3日
Now 21-23

サラが来なかった。ゴンドラでネットをする。結局、サラとは連絡が取れなかった。

ソロをしようかとも思ったが岩も湿っていそうなので、荷物を整理してダウンタウンに向かう。

屋根の下で食事、食材、ネット。
絵を描く。どうしても濁る。水が多いのかも。

なんとスマホを失くしてしまった。精神が落ち着かない。

2023.06.21
曇り。スマホは出てこなかった。

キャンプ場に向かう。
食事をして駐車場で待つがサラは今回もやってこなかった。ゴンドラに行ってネットをするも連絡が取れない。
諦めてトップロープソロも考えたが、前日の雨で乾いてはいなさそうなのでダウンタウンに向かう。
図書館と屋根の下。食材と食事をして、絵を描く。下書きはなんとかなる。集中力が足りない。下塗りをして中断。

ジョニーと

☆nightmare rock

に向かう。ココはトップロープを掛け易いエリアだ。

ジョニーは中国なんだけれど、日本で生まれて高1まで日本で育って、日本がペラペラ。カナダにに渡って英語も大変そうだったが大学も卒業。緊急医療の仕事らしい。ベトナムの方と結婚もされている。とても国際色が豊かな人生を送っている。ココでは凄い人ばかりと出会う。

5.7
5.9
5.10 最後がムズい。

ゴンドラまで送って貰ってネット。誰からも連絡はないのでダウンタウンに向かう。
屋根の下で食材と食事とシャワー。

2023.06.22
寒い。
キャンプ場に向かう。
残り物の果物とパンをお腹に詰め込む。
クライミングの準備をしてゲートで待つ。
ジョニーが時間どおりにやってきた。

☆Angells Crest

に向かう。
エリアのパーキングも示してくれるアプリを持っていた。
エリアに到着。なんとプレートが貼ってあった。

1ピッチはスラブ的でとても難しい。こんなのが続くのかと思うと少し焦る。
2ピッチもスラブで難しい。しかしボルトが近いのでややホットする。
3ピッチは楽しいクラック。
4ピッチ。ボルトまでが遠い。クラックから登る。
少し歩く。
ココで後からきたパーティーと合流。彼らは上手いので自分と一緒に登って抜いて行った。
歩き。少し行き過ぎてルートを探しに戻る。
5ピッチ。簡単なんだけれど、トラバースを何処まで行けば良いのか少し不安になる。プロテクションが取れないリッジを渡って行く。裏側に懸垂のボルトがあった。ロープの流れが悪くなった。
6ピッチは懸垂。
7ピッチ右にも行けそうだが左の優しめの方が正解。
8ピッチ。出だしがムズい。この辺から疲れを感じる。記憶もハッキリしていない。
9ピッチ。木登りをして木でビレー。
10ピッチ。真っ直ぐに登らないでトラバース。
11ピッチ。5.10には行かない。ワイドでザックをゴリゴリしてしまった。
トップアウト。
疲れた。
太陽がもう少しで稜線に沈む。
チーフのピークから降る。下りがとても長く感じる。こなに登ったのかと感じながらハイキングコースを降りて行く。
キャンプ場に到着。
7時頃に車に到着。新月が浮かんでいるがまだまだ明るい。
自分がお世話になっているのだから、自分かおごるべきなのに缶ジュースをくれた。
ゴンドラまで送って貰う。
ゴンドラのwifeはもう飛んでいなかった。この頃から暗くなってきた。
暗い中でラーメンを食べる。
もう11時だ。疲れた。
テントも張らないで寝る。

2023.06.23
蚊が少しうるさかった。
寒い。疲れていてのんびり。

昨日の残り物を食べる。

★smoke bluffs

にジョニーと行く。

5.8
5.10 リードではムリなスラブ。
5.8
5.10d 落ちた。

ジョニーとはコレでお別れ。

屋根の下に行く。
食事、ネット、シャワー、熟睡。

2023.06.24
曇り。
のんびりとネットをしてモバイル店に行く。セイブオンの近くのお店はキャリアだけらしい。ウエルマートで売っている事を教えてくれた。
タイヤのお店のある街に行ったら、土曜日は2軒とも休みだった。
ウエルマートにはあった。moto gだと安いらしい。200$ぐらいだ。今回はウインドショッピングにしてダウンタウンに戻る。

絵を描く。人に観られるのが恥ずかしくなる。自分の下手さを自覚する。

屋根の下で食材と食事。

明日の連絡が来ない。シャワーを浴びて熟睡。

2023.06.25
曇り。
夜中に起き出してネットを見る。明日は登れそうだ。

キャンプ場に向かう。まだ寒い。ダウンを着る。

キャンプ場は混んでいた。

朝食は野菜鍋。スープがイマイチ。

ゴンドラに行ったり、キャンプ場に行ったりしたが、なんとは連絡が取れない。

今日はレストになった。

スマホを買いに行くが、プリペイドのスマホは防水がないので、SIMカードだけを買う。1ヶ月35$。取り敢えず2ヶ月だけ買う。

ダウンタウンに行って絵を描く。

なんと充電器を忘れてきた。ホントにボケボケだ。
キャンプ場にバスで向かう。

キャンプ場でのんびり。明日もパートナーがみつからなかった。

雨が時々ポツリポツリ。

SIMカードはしっかりと働いている。

2023.06.26
寒い。
テントでのんびり。

食事をスラックラインでして、ゴンドラでネットをして、橋を渡ったエリアでトップロープソロ。

★malamute★
★starr wall
5.10を4本
風が強くて寒かった。
サンダルを落としてしまう。気を付けているのだがとてもミスが多い。ボケボケだ。

ウエルマートでサンダルとメイプルシロップと醤油を買う。スマホのSIMカードを買った時に25$のカードを貰ったのでそれも使えた。

屋根の下で夕食、シャワー、ネット。

2023.06.27
今日はレスト。
のんびりと起きて、絵を描く。集中力が足りなくて、仕上げで雑になってしまう。

2023.06.28
寒い。ダウンが朝は必要。

キャンプ場に向かう。シェルターでたまご焼きとパンを食べる。

自転車を借りている相方にキャンプ場のゲートで会って、車に乗せて貰って

☆マリンエリア☆

に行く。ウイスラーに住む相方と合流。北海道の出身でBCカントーリーをしているらしい。ココでもパウダーを楽しんでいるらしい。氷河もやるらしい。凄い人がたくさんココにはいる。

ダイさん ウイスラー
ナオさん

★Woodstockエリア★
☆Weathermen 5.9
☆yasgurs farm 5.9
でアップ。
ガイドをしていると思っていたスコーミッシュでは有名なバリバリの相方も合流。後ほどの会話でガイドではなくレストランで働いていたいる方でガイドではないのが判った。しかし、とても凄い登りをする方なので、スコーミッシュでは有名な日本人であるのは確かだと納得した。

☆white rabbit ki 5.10
相方がスイスイと簡単に登るのであまりオブザベをしないで登ったら下部がムズかった。

移動してトラッドに向かう。

Up among the firs
★wicker cranium 5.9
★ alittle testis 5.10c
どちらも楽しかった。

相方は裏側のクラックを登る。あまり登られていない様でナッツキーで掃除をしながら登っていった。
クラックが埋まっていて、掃除をしてもカムが取りにくいらしくかなり屈曲して登っていった。フリクションは大丈夫?と声を掛けるともうエクステンションはムリと言いながらクラックを掘り起こしながら屈曲したクラックを登っていった。なんとかアンカーに到着。クラックを掃除しながら写真を撮って降りていた。Facebookに載せてこのルートをみんなに紹介するんだと言っていた。

★??★

コケコケのエリア。
登れそうだだけれど蜘蛛の巣がいたる所に張られていた。苔はさほどではないがスナスナな感じで無理はしないでこのエリアはパス。
前回はコケコケで、更に濡れ濡れだったので敗退したと凄い相方が言っていたルートを、今回は濡れ濡れでないので登れそうだと言って凄い相方がコケコケのルートを登っていった。クラックがコケで埋まっているので、ジャムがフアフアして気持ちがイイと言っていた。コケがひどい所はカムが決まってもコケが剥がれて滑ると思うので、敢えてカムを決めないで登っていったと言っていた。ビレーをしていた相方も落ちたらと考えると怖かったと言っていた。なんとか上のコケがなさそうな所までいけた。凄い相方はそこでボールナッツと言う自分は知らないナッツを決めたらしい。もしかしたら、単なるシュリンゲを結び目にした奴なのかな?
自分以外の相方たちもココは登らずに凄い相方の登りを見ただけで移動。
凄い相方は素晴らしいルートなので、facebookにココもまたアップしてみんなに登って欲しい様な事を言っていた。

☆初心者が多いエリア☆
に移動。

☆ボルトルート
相方はボルトルートから更にその上にある浅いクラックを繋げて登っていった。
自分はトップロープで登ったのでフェースもクラックも楽しかった。
☆ボルトルート
相方は自分は5.11と5.10の差がよく判らないと言っていた。自分がトップロープで登った。明らかに5.10でないのは明瞭だった。自分にはカチでは体を引き上げるどころか耐えるのがやっとだった。とても繋がりそうもないので人工。5.10ではないな。

コレでお終い。凄い相方の有名な事が解った。元気がいっぱいの方だ。
後の会話では冬もかなりな登りをしているのを知る。スコーミッシュでは氷河もあるのを知った。冬にも来たくなる。カナダに住みたくなる。

ダウンタウンでみんなで夕食会をする事になった。スコーミッシュに住む山岳写真家もやって来るとの事。
キャンプ場で合流してダウンタウンへ。自分はお泊まり用のザックを相方の車に載せて貰って自転車で行く。
もう、20時を過ぎていたのでほとんどのお店は閉まり出していた。インドの高級なお店になった。店員さんの雰囲気はインド的だった。その店の子どもがお店のカウンターで寝っ転がっていた。
料理は美味しい。しかし、日本のお寿司がアメリカンロールとして出される様な欧米的な感じのインド料理だった。手で食べたくなる様なインド料理ではなかった。お金もチップなども入れると25$。2800円安ぐらいかな。
円安が更に加速している感じを受ける。
今後の日本は大丈夫なのかとアメリカやカナダで生活をしているととても心配になってしまう。

店を出ると辺りは暗く鳴りだしてお店の外のテーブルではファイヤーがたかれて、いい感じのレストランの雰囲気を出していた。

十三夜の月が浮かんでいた。

屋根の下に泊まってシャワーを浴びて熟睡。

シリアルキラー
すたーちっく

2023.06.29
晴れ。
疲れていた。
今日はレストだな。
絵を描いたり、ネット。

なんか眠れない。

2023.06.30
晴れ。
キャンプ場に向かう。

シェルターで食事。

★Malamuteエリア★
でトップロープソロ。

★grub street 5.11
★sodbuster 5.10
☆moe 5.8
お昼寝
★neighbourhood billy 5.11
★lemming condition 5.10

シェルターで夕食。

☆☆☆☆☆☆☆☆
カナダの歴史
カナダの歴史が少し解ってきた。
始めはフランスとイギリスなどがアメリカと同じ様に先住民を迫害して土地を奪っていった。
フランスは国土が肥沃な土地なのでカナダでは農業よりも商業をした。イギリスは国土が貧しい土地なのでココでは農業をした。農業は広い面積を使うので、イギリスは先住民との争いがかなりあったらしい。
フランスは貿易をして、市場を作り、先住民と毛皮などの取り引きをした。イギリスの様に先住民の土地を奪う事もなく、商業をして市場を作っていったので、フランスは先住民と友好的な関係を少しは作れたらしい。

1763年
カナダは、北アメリカ大陸においてイギリスの植民地だった。
カナダは、17世紀末にフランスの植民地として始まり、パリ条約により、フランスは北アメリカから撤退。領土はイギリスの支配下に入った。

1754年〜1763年
フレンチ・インディアン戦争

1775年〜1783年
アメリカの独立戦争
1783年
アメリカとイギリスの間で独立条約が締結され、アメリカは独立。

1841年
イギリスは、アッパー・カナダとローワー・カナダの統合を通じて地域間の対立解消と統一を目指したが、統一は最終的には実現されなかった。代わりに、両地域は合併し、一つの地域としてのカナダが創設

1867年7月1日
自治領としてのカナダは、に「英連邦基本法(British North America Act)」によって構成され、公式に独立した国家としてのカナダが誕生。

アメリカの南北戦争が起こる。イギリスが応援していた南が負けて、イギリスはアメリカから敗退する。
カナダはイギリスとフランスの植民地だったので、アメリカよりはフランスの影響が濃くアメリカとは異なった体制を選んだ。
しかし、その時の国旗にはユニオンジャックが残っていてフランスからの移民の人たちは不満を抱えていた。

1982年
今のあのかっこいいカエデの国旗になったり、今の憲法になってイギリスから更に独立。

カナダは英語とフランス語が公用語だし、医療負担はゼロだし、アメリカと似ているようで違いもかなりあるのが解った。

アメリカとカナダはイイ感じにやっていると思う。日本の隣の国の中国や韓国や朝鮮やロシアよりはいい感じにやっている様に思う。
隣国と仲良くして無駄な争いをなくしたい。無駄どころか害のある人を殺す為だけの軍備はいらない。
個人と個人だと仲良く出来るのに、何で国と国だと争いが起こるのだろう。

子孫を残すのが生き物の性だからなのか?????

働き始めた始めの頃は力でなんとかしようとした事もあった。しかし、力では長くは続かないのを体感した。
戦争して勝ったとしても暴力で押さえ続けるとムリが出てくる。

歴史が教えてくれる。
諸行無常。

資本主義は資本から作る生産手段の独占。そこから得られる余剰の蓄積による大型の生産手段の発展。個人の工場が会社になるなど、会社が吸収合併されていく。国が関与のする一兆円どころでない溶鉱炉や造船所が作られる。そして国と国との対立が生まれて戦争になる。
帝国主義。
資本家と労働者の格差の拡大。
大量生産と大量消費による競走と支配。
拡大しないと吸収されてしまう雪だるま経済。
市場と資源を求めての植民地の奪い合い。
そして新植民地化。

共産主義では一党独裁による暴力と汚職。切磋琢磨の無い社会の無気力化。

暴力の支配では限界があるので、道徳や倫理や宗教による教育による支配。

人間は産まれる前から平等ではないし、自由でもない。人間は人と人の間で生きていかざるを得ない。

人間はその自由と平等の二元論の狭間で苦悩する。

6月が終わる。イロイロなミスがたくさんあった。有り過ぎた。それでもなんとかやってきている。なかなか頭も体も心も思うように動かせない。動かない。どうしてもミスをしてしてしまう。ミスをミスとして頭に刻みながら、そしてミスをしない様に少しだけ頑張って、しかし頑張り過ぎもしない様にこの放浪を楽しんでいこう。

ウルトラマリン、ターコイズブルー、マゼンタ、ローアンバー、ふーかずぐりーん、クリムソンイエロー

0.5ピグマ

るろーにけんしん

ファッカー電撃隊
薔薇の名前

ワイド
Hypertension
Split Beaver
Scimitar
Pipeline

大量生産 大量消費
大衆
民主党
共和党 勝つ
大企業優先
1920年 1924年 不況
第一次世界大戦に参戦して民主党負ける。
インフレ 景気の悪化 消費をさせない

アメリカ が債権国
イギリス
工業
赤字 債務 農業

家電 女性進出 中間層 教師
生活必需品以外も買う
購買力を持つ中間層
明治は格差
富農 資本
貧農 工場に行く

総合職
総力戦 大企業
部品の企画
ベルトコンベア
無線機 受信機 ラジオ
生活と労働の分離
資本 経営者
労働者 仕事が単純 娯楽が必要

経済の発達
労働力の売買
町会費
プロパガンダ
テレビ ラジオ 封建 国語 公共 ファシズム
ネット 双方向 民主主義
ローン
不動産 金融 メディチ家
アメリカ 第一次世界大戦
借りて返せる 中間層 公務員 大企業
活版印刷
写本 教会
1927年 飛行機 大西洋横断
アメリカ独立戦争 フランスを応援 共和制 自由の女神
サラダボール 2世代
こうがいに家 中間層 父は出勤 都市は貧乏 自動車 核家族 自立
工業 人口 価値のある情報 ロイター
利益 を 金融 高層ビル

移民 資本主義 国民国家
小学校 階級 平民 能力
労働力を安く買う
金儲けで移民 と
国民国家 生活習慣 トラブル
機械化 人手足りない
移民 経済的目的

国民の形成
プロテスタント wasp 個人主義 選挙権 蓄財
カソリック イタリア 昼休み ヤクザ 在日 マフィア
裁判 警察
反社会
同郷
ジャズ
KKK 中間層 ナチス ファシズム 日本 戦前の教師 が共産を嫌う
総力戦 選挙
禁酒 大麻 密売 税金 常習 質
弊害
傭兵 国民軍

共産国家
スパルタ
通貨ない 家族ない 7歳から集団生活
メインの食事
ソ連 離婚 7割 女性の独立 家庭の役割 少ない
キリスト 家族が大切
勝共
フランス 政教分離 共和国
ユダヤ人
軍隊 宗教を大切
天皇 と 政治
創価学会
人民公社 1958年 生産性が落ちる
民主社会主義 病院 バカンス
都市の結集
自民党と宗教の癒着

土地を持つか、どんな教育を受けるか
貴族 生まれ流れに権力がある 勉強しない
華僑 貴族を排除 忠実
封建 身分
能力主義
階級の流動

社会を知る。

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