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夢の賞味期限

こちらの記事は、「#かなえたい夢」応募記事になります。
「夢」って言葉に、アレルギーのある方、いませんか。
自分には関係ないって思ってる方。そういうのは口に出さない方がいいんだよって方も。そして、すべての中高年に捧ぐ。



「かなえたい夢は何ですか」

 もしそんな質問をするインタビュアーが街角にいたら…そのマイクを向けた相手って、どんな人だと思いますか?

 子ども?学生さん?会社員のお兄さん?
 元気そうな人?野心あふれる感じ?

 もし仮に、あなたのご近所に住む初老の白髪混じりのおばさんが、
「私ね、叶えたい夢があるのよ」って言ったらどう思うでしょう?
「あぁ、死ぬ前に叶えたい〇個の夢みたいなやつかな?」って、そう感じるかもしれません。

 いやもちろん、それもあるとおもうけれど。
今日、ここに書きたいことは、すこし(いやかなり)違うこと。
端的に言えば、「こっからがイイトコなのよ!」。
さて、しばしお付き合いくださいませ。


~正直ちびりそうなほど~

 さて、現代の平均寿命は随分と延びまして…と書くとまぁ、明るいニュースのような不安材料のような微妙なニュアンスではあります。健康の問題、お金の問題、いろいろありますものね。
 でも私が感じる一番の問題は、「そこに夢はあるのか?」ということ。挑戦、と言い換えてもいいでしょう。身体も頭もまだ動くし、要領よく時間を使う技術もある。それなのに「夢なんて今更ね…」なんて勿体なさすぎると思うのです。

「大人になりたくないんです」ってこぼした若い友達がいました。
人生折り返しの年代の私にとって、それは首に切っ先を当てられたような言葉です。だからつい「大人になったって、いろいろ楽しいことたくさんあるんだよ、生涯青春だよ」なんて薄っぺらい返事をしてしまった…。

 一言、「なんでそう思うの?」って、私、聞けませんでした。

 まだ人生折り返し地点じゃぁ!なんて息巻いている私ですら…可能性も、夢も、希望も、自由も、若い頃より随分と目減りしている…そんな風に心のどこかで思っている…。妙に、ドキドキしてしまったのを覚えています。

 年を重ねて、なお「夢を持つ」というのは…きっとね、きっと… 想像するよりもずっと、勇気が必要なことなんじゃないかなって思いました。どうでしょう?


~先生は、死んだ~

 高校2年生の時に、「漫画家になりたいんです」と専門学校への進学を希望したところ(いわゆる進学校だったので、結構なタブーであった…)、進路指導で先生に言われたことがあります。
「どんなに好きなことでも、仕事にしてしまったらつらくなる。仕事とは別の趣味にしておいた方がいいんだ」
 そう言った先生は、その翌年の初夏、雨の降る日に亡くなりました。

 あの日の彼が正しい指導をしたと言えるかどうかはさておき、当時から30年経ってなお「そんな屁理屈であきらめられるかーい!」って思う気持ちは変わりません。正直「先生、わかってねえな!」っていう苛立ちもありました。

 でもね、当時の先生の年齢すら超えた今、思うことがあります。
 先生、もしかして「先生になる」って夢を叶えた上での言葉だったのかな。叶って、こんなことなら叶えなければよかったと思ったのかな…。想像の域をでませんが…。
 もし…もしそうだったのだとしても。いえ、もしそうだったのだとしたら尚更、私も叶えたい。

 「夢を叶えなければよかった」なんて、夢を叶えた人にしか言えない言葉だもの。


~さざ波で殴る~

 だれかが夢を口にした時、その発言を中心に、様々な感情が渦を巻きます。感嘆や賞賛、応援、共感…。そして、嘲笑や、嫉妬、失望なんてものまで。

発言した本人にとって、ネガティブな反応は勇気を挫き、希望を凍えさせる障害とも言えるものです。だからこそ、それを恐れて夢を口にすることを躊躇います。

 しかし、私は敢えて、「本気の夢は、口にしようよ」って言います。それは…大変申し訳ないけれど、ご本人のためばかりではなくて…。

「だれかの夢」の存在に触れた人は、大なり小なり、その心にさざ波を立てます。ざわ、ざわと、心を揺らすさざ波…もしそのさざ波を100人が体験したら…、そのうちの一人くらいは「俺の夢は、本当はこれでさ…」と、さざ波を立てる側になるかもしれない。さらにそのさざ波で揺らされた人がまた、他の誰かを揺らして…そうして続いていくかもしれないのです。

 本気の夢を口にすることって、本当に、本当に勇気がいることなんです。どの夢も最初は必ず孤独です。
 夢を叶えた人は、きっと誰かのさざ波に殴られたことから走り始めたんじゃないかって、思っているんです。


~夢は、かなえるものじゃなくて~

 前述しましたが、私の夢は、漫画を描くこと。正確にはそれで商業的にもう一度対価を得る事です。目標は、還暦までに。

 その昔、小さな案件では漫画のお仕事もいくつかもらっていました。挿絵的な4コママンガや、体験マンガみたいなもの、マンガで読む◯◯的なものなどです。
 しかし目指していたのはストーリー漫画。さぁいざ、大本命の某K社!と未完成原稿を持ち込み、アドバイスくださった編集者の方に担当についてもらい… というところまで行ったにも関わらず、作品を完成させる事ができず投げだしました。その時28歳。痛恨の記憶…。

 あれから20年。結局イラストやキャラデザイン、雑誌・広告関係と…平面に描く世界にいながら「漫画、描けない…描けない…」とずっと引き摺っていました。(まるでこじらせた恋愛…)

 でもふと、45歳の時に、思いました。
「描けないまま死んだら、後悔する」

 そんなに甘くない
 年齢で劣化した脳やしぼんだ情熱で太刀打ちできるわけない
 若手群雄割拠の世界で担当者より高齢なんて…

 うまくいかない理由はいくらだってあるし、本当のところ、自信なんて鼻毛の毛根ほどもありません。でも気づいてしまったんですよね…。

「あ、夢を“かなえること”が私のしあわせの条件じゃないんだ。」

 しあわせの形は十人十色。
私は目標に向かって進み、自分を見失ったり見つけたり、全身の毛穴で感情を呼吸するような、そんな状況の後の、「もう、これ以上は今、出せません~~~~」っていう、その状態に、快楽を感じるタイプの人間です。
 「空腹の後のご馳走」「待ちに待ったデート」「買いたかったギアのモデル選び」そんな感じで、“喜び”と“溜め”がいつもセットの私にとって、夢はもはや「追いかけてる時からおいしいは始まってる」事なんです。その“溜め”も含めて、私は、「かなえたい夢」を、楽しみたいと思います。
 この年齢だからこそ、怖がらずに。

 人生の、後半だからこそ。痛みに慣れてる年代だからこそ、リーチできる場所があります。
「困難?そんなもん、蹴散らしてやんよ!」ってね。

        了

#かなえたい夢


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