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音楽のある人生

小さいころから音楽が周りにあることが当たり前だった。
両親も音楽好きで楽器を演奏しながら口ずさんだり、結構いいコンポを置いたり、コンサートにもよく連れていってくれた。
そんな環境で生活していたからか、学校では当たり前のように音楽関係の部活に入部し大学まで続けていた。
社会人になり、自分で稼いだお金が趣味に使えるようになって曲をよく購入するようになった。
ポチッとすれば簡単に曲を購入できるようになったことも大きい。
本当の音楽好きはレコードやCDを購入して楽しむイメージがあるが、私のは完全にお手軽で口先だけで「音楽好き」と言える程度だ。
それでも音楽がなければ私はどうなっていたんだろうと思う事があるくらい、私の人生にはかかせないものだ。

個人的に「歌詞」よりも「音」を楽しむタイプ(実は最近気づいた)で、試し聴ぎで耳心地がよかったものはすぐ購入していた。
時間さえあればシャッフルで曲を延々聴いて、時には癒され、時には気分を高めてもらえた。
プレイリストを何個も作り、気分によって流す曲を変えた。
あの時期はローテンポでアンニュイな曲ばかり聴いていたなとか、この時間帯はいつもこの曲ながしてノリノリだったなとか、振り返ると自分の感情がわかりやすく影響している。
時には気分を変えるためにあえて気分とは違う曲をかけることもある。
さあ頑張らなくちゃという時にはアップテンポな曲を。
もう寝る準備をしなければという時にはリラックスする曲を。

好きな曲でも気分によっては耳障りになるから不思議だ。
賑やかな曲を聴きたいと思って流したのに、何かしっくりこない。耳がざわついて聴いていられなくて、私はいまそんな気分じゃないんだと気づくことがある。
そういう時は真逆の落ちついた曲や響きが綺麗な曲、インストゥルメンタルやクラシックを聴いて、あ〜これだ、これだったんだと自分の感情に気づくことができる。
私にとって音楽は今の自分の感情を表すものなのかもしれない。

本を読む時も当たり前のように音楽を聴いていたが、知り合いに「本読みながら音楽聴くなんて器用だね」と言われた時はびっくりした。
そう言われると音楽はBGM代わりというか音は聴いているけど歌詞は聞き流していて、音楽にたいして失礼かも?なんて思いが頭をかすめたが、すぐに一蹴した。映画やドラマでも音楽はながれていて、むしろ音楽がないと作品の質は下がると断言できる。耳で目で作品に引き込まれるからだ。
私は読書用の基本のプレイリストも作っているが、小説などを読む時は作品によって聴く曲を変える。読み進めながら場面や気分によって変えるのも楽しい。
そのおかげで、シャッフルで流れた曲を聴いて、あ〜あの本がまた読みたいなとしみじみと作品を思い出したりもする。読む間にずっと聴いていたので勝手にテーマソングになっていく。


そんな生活をしている私は無音が無音に聞こえない。
(実際本当の無音の状態になったことがないかもしれないが)

あまりにもイヤホンばかりは耳によくないし、かといってイヤホンなしで曲を聴くのは近所迷惑だからと何も聴かない時間を作ることもある。
ベッドに横になり目を閉じて、じっとしている。
すると今まで耳に入っていなかったいろんな音が聞こえてくる。

冷蔵庫が出すぼおおーんぶるるんという低い小さな音。
配管を水が伝う音(これは住まいが古いから)
風が窓を揺らす音。
そして自らが呼吸する音に気づいた頃には、指先から、腕から血管がどくどくと脈打っている感覚が伝わってきて、体ってすごいなあと思いながら音を子守唄に眠りについてしまう。

こういった身近にある音もじっと聞いていると、ひとつの音楽になっている。外に出るともっと地球の音を感じることができる。
いいなあ。やっぱり人生に音楽は必要だなあ。と音楽を聴いていなくても感じることができる。


年齢を重ねて、もしも本の文字が見えにくなって本から離れたとしても(できれば天寿を全うするまで本とは友達でいたいけれども!!!)、たぶん音楽は大丈夫。耳が遠くなったとしてもイヤホンがあれば聴けるはず。

いつまでもいつまでも音楽を楽しめる私でいたい。

そのために、おばあちゃんになっても音楽の再生機器だけは操作できるように頑張らねば。


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