見出し画像

君が思い出になる前に・高校最後の夏のこと(後編)

スピッツファンの友人Nくんに誘われて始まったスピッツコピーバンド『スパッツ』。前編ではスピッツとの出会いからバンド結成、そしてメンバーの脱退までの話を書きました。

「体力ありそうだから」という理由でドラマーとして採用された私でしたが、勉強や部活という学内の生活とはまた違ったバンド活動に徐々にハマっていき、メンバーとの親交も深くなってライブの話も出てきた矢先、メンバーの1人が脱退。さて、スパッツの運命は如何に。

後編です。



新メンバー加入

Nくんはライブ実現に向けて新たなメンバーを探した。スピッツのコピーバンドで名前が「スパッツ」なんてバンドに参加してくれるベーシストなんてすぐには見つからないだろう。。。そう思っていたけど、意外にもメンバーはすぐに決まった。それは脱退したKくんと同じ陸上部で、文化祭などのイベントで決まって仮面を被った姿で登場する校内きっての人気者、Aくんだった。明るくて全校生から慕われるAくんが入ってくれるの?マジで?私はとても嬉しかった。なぜなら、Aくんとは1年生の時に同じクラスで、部活は違えど、とても仲良くしていた友人の1人だったからだ。Aくんの加入でスパッツの結束は強まった。Aくんの人脈により、同じ高校内のバンド活動をしている友人たちとの交流も始まり、スパッツも学内のバンドとして認知されるようになった。学内のバンドの中にはには、「受験勉強があるから辞めたい」といっていたスパッツの元ベーシストKくんが別なバンドで活動しているのを発見してしまったが、それについて私たちは特になんとも思わなかった。それぐらい、Aくんが加入した後のスパッツの結束は強かったということだろう。

そして高校3年生になったばかりの春、高校生活最後の夏休み中の8月に市内の小さなライブハウスでのライブ(対バン)が決まったのだった。


初ライブに向けて

高校3年生になった私は、6月に開催されるインターハイ予選に向けてバスケの練習に没頭していたが、6月の大会で敗退した後の2カ月間は、受験生という立場にもかかわらず勉強そっちのけでドラム練習をがんばった。ギターやベースは自分の楽器で自宅練習が可能だが、さすがにドラムは家に無い。私は漫画雑誌やタウンページをドラム代わりにしてスティックを振り続けた。通学中の電車でも人差し指をスティック代わりに、授業中もペンをスティック代わりにしてイメトレ(←勉強しなさい)。

ライブの1か月前からは毎週スタジオで練習。夏休みに入りライブが近づいても、私は自分の演奏に大きな不安を抱えたままだった。でも、やるって決めたからには他のメンバーにも迷惑はかけられないし、来てくれる友人たちにも楽しんでもらいたい。私はライブで演奏する曲を聴きまくり、曲のテンポと雰囲気を崩さないようにするということだけに集中することにした。技術的に難しい部分は捨てる。とにかくシンプルにリズムを刻むだけ。ライブ直前、スタジオでの最後の練習を終えた時、私は「これならなんとかなるだろう」という自分なりの手ごたえを得ることができた。他のメンバーも、たぶん同じような気持ちだったと思う。その時点では何が自分たちのライブの『成功』なのかは分からなかったが、私たちは一つの目標に向かって同じ歩調で進んでいることだけは実感できていた。後は、本番で演奏するだけだ。


ライブ当日

ライブは駅から少し離れた小さなライブハウスで行われた。ライブ当日は他のバンドの演奏もあったので、スパッツは確か2番目の登場だったと思う。バンド活動の事務的な部分は全てNくんにお任せにしていたので、私は当日のタイムスケジュールをほとんど分かっていなかった。指定された時間にライブハウス前に集合し、軽く打ち合わせをしてひとつ前のバンドの演奏が終わる少し前に会場入り。前のバンドの演奏が終わって入れ替えの時間があった。スパッツのメンバーは、それぞれ楽器のセッティングに入る。しばらくするとお客さんが入ってきた。親交がある人、そうでない人、いろんな人が入ってくる。もちろん全然知らない人もいた。でも、お客さんの大半は同じ高校の友人たちだった。

そしていよいよスパッツの演奏開始時間。

オープニング曲はたしか、アルバム『インディゴ地平線』に収録されていた『バニーガール』だった気がする。正直、何をどんな順番で演奏したかはほとんど記憶にないが、当日の演奏曲は『バニーガール』、『青い車』、『空も飛べるはず』、『ロビンソン』、『涙がキラリ☆』、『トンガリ′95』、『スパイダー』、『チェリー』だったと思う。

リーダーであるNくんが軽く挨拶。私のカウントで演奏が開始された。

思いの外スポットライトが眩しいな、と思いながらも淡々とリズムを刻む。始まってから数曲は自分の事で精一杯で周りが見えていなかったが、中盤、ゆったりとしたリズムの『涙がキラリ☆』の演奏時、ちょっとだけ余裕が出て会場を見渡すことができた。そして『トンガリ′95』の演奏が始まると、会場のテンションはピークに達した。お客さんが同じ高校(男子校)の身内ばかりということもあったけど、私が想像していた以上の盛り上がりに私も含めたメンバーの表情は笑顔で溢れ、お客さんとの一体感を感じることができた。最後の曲『チェリー』の演奏を終える頃、私は安堵感と共に、ライブが終わることに寂しさも感じていた。

そして無事ライブは終了。お客さんの拍手に送られ、スパッツのメンバーは会場を後にした。


ライブを終えて

会場の外では、友人たちが私たちの演奏を称えてくれた。とても嬉しかったことはだけは覚えているのだが、私はライブを終えた後の高揚感の中にいて、詳細は覚えていない。でも、その時、私はたまたまバッグの中に使い捨てカメラを入れていて、友人に記念撮影をしてもらった。数か月後に現像したその写真には、一つの目標を達成し、充実感に満ちたスパッツメンバーが写っていた。その写真を見た時、私はスパッツの活動の最終目的は、この写真を撮るためにあったのではないかと思った。実際、ライブをやりきったスパッツはこれを機に解散し、以降、受験勉強に入った私たちは集まって演奏することもないまま高校を卒業することとなった。


終わりに

以上が私が経験した最初で最後のバンド活動、高校最後の夏の思い出です。もう20年以上前のことで、私自身も今となっては夢の中の話のように思います。でも、当時撮ったライブ後の写真は今も私の手元にあり、夢じゃなかったことの証明になってます。歳を取った今も当時と同じような気持ちだと思いたいものですが、当時の写真を見てしまうと、やっぱり20歳前後の期間というは、人生で一番瑞々しい時期であり、季節で言えば初夏の頃、その輝きは二度と取り戻せないものだと改めて自覚しました。

だからといって、人生の盛夏を過ぎた今現在が淋しい季節だとは全く思わない。秋には秋の、冬には冬の美しさがあり、楽しみ方がある。そう自分に言い聞かせながら、これからの人生を充実させていきたいと思います。


おわり

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。