見出し画像

私がnoteを書きたくなる時って大体感謝の気持ちを伝えたい時

ということで、のーこです。
タイトル通りです。
定期的に「ありがとう」を言いたくなるので、それは伝えにゃ損損というものです。

明日から三月ですね。
私がnoteを再開してからもう少しで一年が経とうとしております。
noteと同じく、Radiotalkに顔を出すようになったのも大体一年くらい前のことです。

この一年でのーこは大きく変わりました。

八年付き合った元カレと別れ、一時的な住処としてとある施設にて四ヶ月ほど過ごし、今は都内で一人暮らしをしています。

その間、私は再会をしたり新しく出会ったり、SNSを通して知り合った人とのコミュニケーションにとても助けられてきました。今現在も。

そんな方達がこの記事を読んでくださっていると思うのですが、改めてお礼を伝えさせてください。
いつも本当に本当にありがとうございます。

こういう記事を書くとどうしても宗教チックになってしまうので、それをなるべく回避しつつ綴っていこうと思います。


何度かnoteに書いていますが、私は元々人と関わることがそんなに好きではありませんでした。
一人が好きだし、色々と面倒だし、ぼっちは楽だし。
今はリアルの友人もいません。

これは言い訳になるのですが、人と関わることにすごく疲れた時期がありました。
20代前半、私が人生で一番葛藤していた頃です。
仕事や家族、尊厳、恋愛・結婚、自分の健康。
人が生きる為に活力になるものが、私の手から次々となくなっていきました。
その中には自業自得のものもあるし、どうにもならないものもありました。

周りの人達、当時のリアルの友人がみんな幸せそうで、もちろん私の知らないところで苦労もしていたんだろうけど。

今は本当に結婚や出産の願望は殆どないけれど、20代前半はまだそれなりにあったんです。
でも過去のことや病気のことで諦めようと決めて。

ただ、当時は適齢期というのもあり、友人達が結婚・出産ラッシュだったんです。
LINEにメッセージが届いて開くと、可愛い赤ちゃんのアイコンが並んでいました。
以前の記事にも書きましたが、友人の赤ちゃんみんなが本当に本当にめちゃくちゃ可愛いんですよ。

でも、どうしても「羨ましい」と思ってしまう自分の嫉妬が本当に醜くくて、更に自分が嫌いになって。

「おめでとう」って言葉では言えるけれど、心の底から素直に言うことはできていませんでした。
私のせめてもの強がりでした。

そして私は自分の心を守る為に、誰にも何も言わずLINEのアカウントを消して逃げました。その中には小さい頃から仲良くしてくれていた友人もいたのに。

比べるものではないと分かっていても、人と自分の幸せをどうしても比べてしまう。
何で自分はこんなんなんだろうってどうしても卑下してしまう。
自分の心が人を傷つけるものになってしまっている。

この時の私は猫の警戒心MAX状態でした。
「うるさいうるさい近寄んなシャー!!」って感じでした。

ヤマアラシのジレンマとは違うけれど、それくらい刺々しかったんですよね、若かりしのーこは。

それでもスーパーウルトラポジティブ人間な元カレと出会ったことで、その棘も徐々に徐々に丸くなっていきました。
ここに関しては元カレに本当に感謝しています。

家族とも友人とも疎遠になり、私が誰かと話すのは元カレだけ。
そんな時間が何年も続きました。

だから私は元カレ以外との人との接し方を忘れていましたし、今更人付き合いなんかできる訳ないって思い込んでいました。

だけど2019年、私はnoteとRadiotalkに出会い、ほんの数ヶ月ですが配信というものをしていました。
noteでは書きたいことを書き、Radiotalkでは話したいことを話し。
発信するものはどれも一方的でしたが、そこにコメントやTwitterに反応をもらえたことがとても嬉しかったことを覚えています。

なんかね、最近忘れがちになるんですけど、反応をもらえることって当たり前ではないんですよね。
どちらも最初は全然反応なかったし、それが寂しかったりしんどいなって思ってました。

でも少しずつもらえるようになって、中には真剣に悩みを聞いてくれる人もいたりして。
そんな優しさに救われたことが多々ありました(結局両方辞めてるけど)。

当時の私を知っている数人の方と今でも交流を持てていることも、その方の器の大きさのおかげだと思っています。

これは余談で詳細は書きませんが、いい出会いばかりではなかったです。
私もなんやかんやがあったりしました。
だけどそれも経験の一つと捉えています。悟り。

書くことと話すこと、何かで発信することはわりかし簡単にできます。
何をどう表現するかなんてみんなそれぞれ自由で、その自由があるからこそ人は発信したくなる訳で。

逆にコメントや反応を『する・しない』の自由もあるのですよ。
私は『する・しない』の自由はなくてはならないものだと思っています。

受け取り側の自由も確実に存在しているからこそ、その人から返ってくる言葉や反応に説得力や熱があって、それがすごく尊いもので。

それを当たり前のようにスルッと受け止めてしまう自分が最近はいたりして、これはよろしくないと気を引き締めた次第です。

noteやRadiotalkを再開してからこの一年、たくさんの方と文章や声で言葉を交わしました。
あのヤマアラシのように刺々しかった過去ののーこが驚くほどに。
今ののーこから過去ののーこにこの状況を伝えたとて、到底信じてもらえなかったでしょう。

画面を通して誰かと出会って、顔は見えないけれどお互いちゃんと血が通って生きている人間で。
その人のことをちゃんと理解できているとは思わないけれど、それでも楽しくお話ししてくれることが嬉しいなって思ってます。

私の記事を読んでくれる人。
私の話を聞いてくれる人。
私の名前を呼んでくれる人。
会いたいって言ってくれる人。
そして実際に会ってくれる人。
心配そうに気にかけてくれる人。
言葉にはしないけど寄り添ってくれる人。
オススメの音楽や漫画を教えてくれる人。
ゲームに誘ってくれる人。
楽しそうに笑ってくれる人。
時には厳しい言葉をかけて奮い立たせてくれる人。

みんなから違った形でいつも元気をもらっています。
私が今頑張れているのは、間違いなくその人達の力があってこそです。控えめに言って好きです。

言うてね、私も弱いんですよ。
弱さを出せない強がりなんですよ。
だから時には病むし凹むし落ち込むし。 

でも誰かと話してたらすぐに笑って回復します。
のーこ、めちゃくちゃチョロいです。

だからね、私もみんなには笑っていてほしいのです。

私にとって、みんなと画面越しやリアルで交わしたひと時がどれも大切な思い出です。
めっちゃ大袈裟に思われるのは百も承知。

去年の夏、私が施設で過ごしていて本当にしんどかった時、話し相手になってくれたことで本当に救われました。
だから頑張れました。

私が今元気に生きていけてるのはこれを読んでるあなたのおかげなんだよ。
本当にありがとう。
あなたが幸せならのーこも幸せ。


この一年、のーこは殆ど寂しくありませんでした。寧ろ楽しんでばかりいました。

これは年明けから考えていたことなんですけども。
一月、二月は会える人に会おう。このご時世あれだけども。
楽しめるだけ楽しもう。
そしてそこで一旦、自分の生活を動かす為に一区切りをつけようと決めていました。そんな大した決意とかじゃないんですけど、仰々しく聞こえてしまいますね。

単純に私がどこかで一区切りつけないと、自分の為に頑張れない人間なんですよ。

ありがたいことに何人かの方から会いたいと仰っていただけて、そして実際にお出かけしたりしまして。
本当にめちゃくちゃ楽しい時間を過ごせました。
改めてありがとうございます。ぜひまたお会いしたいです。

そうやってもらった活力を糧に、まずはちゃんと仕事をします。
ブランクが長すぎるので徐々にですが。

きっとね、仕事したら本当にいっぱいいっぱいになるんですよ。
精神的に余裕なくなるのが分かりきっていまして。

だからTwitterとRadiotalkに顔出す頻度は減ります。
noteは多分逆に更新頻度上がります。

でもこれまたありがたいことに、スペース飲みやRadiotalkでのコラボの話が出ていたりもしまして。
「スペース飲み楽しい!行きたい!」って言ってくれるのがすごく嬉しいんですよ。
もちろんコラボも。
なのでそちらは随時やっていきたいなと思ってます。私もやりたいし!やってくれたら行くし!

何かご用がありましたらTwitterのDMやLINE、Skypeまで気軽に連絡してくださいね。
たまには疲れてるのーこと絡んでやってください。元気になります。


と言うことで、今回はこの辺にしておきます。

少しずつ暖かくなってきて、花が咲くように自分も変わらねばと思うこの頃です。

皆さま、どうかお体にお気をつけください。
疲れた時はゆっくり休んで、泣きたい時は泣いて、美味しいもの食べて、楽しいって笑いましょ。
無理なく自分らしく。
のーこもそうやっていきます。

ではまた。




働いて余裕できたらバレエ習いたいなぁ。


生きる糧にさせていただきます。サポートのおかげでご飯が美味しい。