新宿二丁目、または写真史が横たわる場所

新宿二丁目といえば、世界に名だたるゲイタウンで、仲通りに一歩足を踏み入れると、そこかしこにゲイバーやレズビアンバーの看板がひしめきあっています。こうした飲み屋は、とうぜん性的少数者のコミュニティとして機能しているため、入口に「会員制」と掲示された店も多く見受けられます。

そんな土地柄を反映しているのでしょう、すぐ近くにある新宿マルイメンでは、LGBTの象徴であり、社会の多様性をあらわすレインボーフラッグが掲げられています。ウェブサイトにはこんなメッセージがありました。

新宿マルイメン
すべてのお客さまが ありのままの自分で
楽しく 豊かな ライフスタイルをおくる
そんなお手伝いができる お店をめざしていきます
We strive to support all customers
an enjoyable and luxurious lifestyle,
just as you are.

せっかくですから、ついでに「丸井グループの共創理念体系」なるものをみてみると、「グループ行動規範」のひとつに「人権の尊重」という項目があり、そこには「人種・国籍・宗教・思想・性別・年齢・身体的特徴・性自認・性的指向などによる差別は行いません」とある。

つまりあのレインボーフラッグは、性的少数者にかぎった話ではなく、「年代や性別に関係なく高齢者の方、障がいのある方、外国人やLGBTの方など、すべてのお客さま」を迎え入れる姿勢をしめしたものだったのです。

スタッフの意識や接客だけでなく、設備を整えていることにも感心しました。具体的には、補助犬への対応、筆談ボードの用意、車椅子や子連れ、男性・女性・無性だれでも利用できる「みんなのトイレ」、電動車椅子用の充電コンセント設置などなど。

なんというか、おちゃらけ野郎の丸井くんが、よろよろ乗車してきたお年寄りに気づいて、すばやく立ちあがり、ごくあたりまえのこととして席を譲っている——そんな場面に出くわしたような気分になりました。「丸井くん、見た目はちゃらちゃらしているけど、じつはいい奴じゃん!」みたいな。

さて、新宿二丁目がLGBTの街であることはたしかですが、昼日中に仲通りを散策すると、時計屋や蕎麦屋が十年一日といった風情でのどかに商売をしていたり、なぜかおなじ区域に床屋が3軒もかたまっていたり、あるいはアナキストと数匹の猫が共同運営(?)するカフェや、それとは対照的にサードウェーブコーヒー系らしき小洒落た珈琲屋があったりもして、歓楽街とはおもえないほどのんびりとした情景がみえてきます。

その一角に写真ギャラリー「photographers’ gallery」があることもまた、あまり知られてはいないでしょう。ここに集うのは、自ら思い定めた主題にしたがい、それぞれの信念と方法論にもとづいて、表現としての写真を掘りさげるインディペンデントな写真家ばかりです。

いってみれば一種の求道者であり、ことばを裏返すと写真に殉ずる狂信者でもあるわけで、小説にたとえるなら気軽に読めるエンタテインメントではなく、ごりごりの純文学、マンガにたとえるなら「週刊少年ジャンプ」ではなく、いまはなき「ガロ」という印象です。彼ら彼女らは作家性が強く、そのぶん、だれになんといわれようとも、自分自身にとって嘘や誤魔化しのない写真を撮りつづけています。

日本の写真史をひもとくと、1974年、東松照明さんが飯田橋に「WORK SHOP・寫真學校」を開いたことが、転換点のひとつになっていることがわかります。講師陣はそうそうたるもので、当時の写真界を牽引する才能が参集しました。東松さんをはじめとして、森山大道さん、荒木経惟さん、細江英公さん、深瀬昌久さん、横須賀光さんの計6名。開校時には100名もの生徒が集まったそうですが、2年後の1976年、あっさり閉校となります。

おなじ年、その意志を継ぐかたちで新宿二丁目にオープンしたのが「IMAGE SHOP・CAMP」です。中心にいたのは森山大道さん。いまや日本を代表する写真家として名をとどろかせ、世界の写真史をみわたしても類のない仕事をつづけてきた才人です。倉田精二さんや北島敬三さんなど「WORK SHOP・寫真學校」森山教室の生徒7名とともに、CAMPはスタートしました。

設立のメンバーは、それぞれ写真やシルク・スクリーンにしたたかな腕と情熱を持つ者ばかりで、ポーカーフェイスの倉田精二、きかん気の北島敬三などと、いずれ劣らぬヒップでワイルドな不逞の輩ばかりだった。借りたビルの壁面を展示用の壁面に改装し、SHOPと称するからにはと、ガラス張りのショーケースや棚も作り、そして、こればかりはどうしても譲るわけにはいかないゾというぼくの希望で、ピカピカのジューク・ボックスをデンと据えた。(森山大道『犬の記憶 終章』)

CAMPの活動は、さまざまな写真家が離散集合しながら、9年におよんだものの、1984年で幕を閉じました。photographers’ gallery のオープンは、それから15年後の2001年。運営の中心は、かつてCAMPに参加した北島敬三さんです。

なお、森山大道さんと遠からぬ関係にある瀬戸正人さんが、山内道雄さんとともに「PLACE M」をひらくのが1987年で、のちに森山さんも運営メンバーに名を連ねることになります。このギャラリーは新宿一丁目にあり、photographers’ gallery とおなじく、雑居ビルのうすぐらくてせまくるしい階段をのぼっていくかたちになっているのですが、この〝うすぐらくてせまくるしい階段〟というのは、写真を撮るという行為のアナロジーになっているような気もします。

なぜなら、写真撮影はきわめてパーソナルな動機が出発点であるにもかかわらず、結果的にパブリックな表現として社会に流通していくものだからです。いいかえると、私性というものは窮屈で狭隘な回路をとおしてしかみえてこないものだし、また、それなくしては社会性なるものにはたどりつけません。

ゲイタウンとしての新宿二丁目と写真都市としての新宿二丁目。そのありようはもちろん異なるものの、〝私〟と〝社会〟が拮抗しながらゆるやかに環流する場所としてとらえてみるのもおもしろいかもしれません。


◎photographers’ gallery:2001年、写真家の北島敬三が中心となり開設。2019年現在、北島をふくめ運営メンバーは18名。個々の作品展示のほか、レクチャーやシンポジウムの開催、機関誌や写真集の発行をおこなっている。
https://pg-web.net


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