1月13日「明日が来るかもわからない」

これまで生きてきたのだからこれからも生きていける。

人間このように考えてしまいがちです。実際のところどうなのでしょう。

生者必滅

明日また目が覚める保証などひとつもないのに、変わらず人は生き続けるかのように考えてしまうものです。

今寝たとして明日必然的に目が覚めるのでもなければ目覚なければいけないわけでもないのです。生きたいと願う気持ちは儚い命への執着をうむのです。自然の理に反する気持ちが元となって苦しみを産み出すのです。
苦しみに原因があるというのは仏教的な考え方ですね。

不老長寿

しかしながら本当に人は死ぬのでしょうか。

歴史上生まれてきた人類が必ず死んでいたからといって、今を生きる私たちが必ず死ぬとは限らないのです。たとえば余命わずかの病人だって奇跡的な回復により天寿を全うすることがあります。ならば医療の進歩によって永遠の命を手にいれる人類が現れてもおかしくはないのです。

このことはなにもSFチックな話というわけではありません。中国や台湾・東南アジアなどで信仰される道教では恒常不変の道(タオ)を目指し不老不死の仙人になることが目的のひとつとされているのです。長生きのために気功や太極拳で身体を鍛えキノコや根菜などで薬を作って飲むなど頑張る。
努力することによって人は生き続けることができる、とても前向きですね。

でもどれだけ修行して不老長寿になったとしても地震や津波など天災に遭ってしまうと死ぬかもしれません。

どのみち仙人でもない限り自分の生き死になんて自分自身でコントロールできないのです。死について考えても意味がない、そもそも死とはなんなのか分からないのですから。それどころか生きているとはどういうことなのかすらも曖昧で人によって解釈がバラバラなのです。

生まれるとは何か。受精卵が胚になることなのか出産されることなのかあるいは成人することなのか。何らかの信仰を得ることが"誕生"だとするとともすれば私たちはまだ生まれていないのかもしれないですね。

「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」
(「論語」先進篇)

私は生きている今日を明らかに見て楽しく生きることが大切だと思います。
私が生きてようと死んでようと明日は明日の風が吹くのです~♪

お読みいただきありがとうございました。


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