スノーノイズ

 鳥居をくぐり抜けると、のんびりした道がずっと真っ直ぐに伸びていた、気がする。鳥居は何色だったっけな。赤じゃなかった気がする。石畳、ごま塩、スノーノイズ、夕立の雲の色。神社の周りには堀が巡らされていたけれど、もちろん今となっては元来の意味を失っている。そこでは2匹の白鳥が、カップルが2人で漕ぐ、あの白鳥のボートみたいに、自由気ままに、融通無碍に、僕の気も知らないでにこやかな笑顔を浮かながら、行き先のない散歩を続けていた。白鳥といっても真っ白ではなかったと思う。僕が通っていた小学校では当番制でその白鳥に餌をやっていて、そのたびに鳥居の側に立ってその景色を眺めていた。
 ちょっと気が向いて、その小学校の名前を検索してみた。父親の仕事の都合でそこを離れたのが小学5年生の時だから、もう10年位前のことになる。同じ名前の小学校は全国各地にあるらしく、最初の検索ではうまくいかず、その名前の後にスペースを空けて県名を打ち込み、狙いの小学校に焦点を合わせた。そして適当にネットをぶらぶらしてみると、どうやら校舎が新しくなったらしいことがわかった。でもあの校舎、古かったっけ?どんなトイレだったっけな?とも思う。古かったという印象は遠くに行ってしまって、むしろ普通だったよなと自分の記憶を振り返る。
 ひとつ思い出したことがある。あの学校ではダンボールみたいな色の藁半紙に、大きさもまちまちの黒点が沢山ついたプリントを使って理科のテストをやっていた。文字は潰れ、イラストは崩れてしまっている。何年も使いまわされているプリントらしい。星空を反転させたような黒点の群れ。けれどあれを夜空と呼ぶにはあまりに古ぼけている。あんな古臭いプリントを使う校舎が小綺麗だったはずはない。
 赤色を反転させたら、何色になるのだろう。そもそも反対の色なんてあるだろうか。多分哲学的議題になってしまって面倒だし紙面もたりないから、白黒にしてしまおう。そこら辺の神社によくある鳥居のあの赤を白黒にしてしまおう。空の色も洗い流してしまおう。本殿側から鳥居を額縁にして覗いたあの真っ直ぐな道を、鉛筆書きの風景画にしてしまおう。新聞みたいな情報にして、解像度を下げて、少なくなってしまった頭の容量にふさわしいサイズに圧縮してしまおう。あ、そう言えば鳥居はもともと赤くなかったんだっけ。
 昔を振り返って今の自分の立場から解釈してみる。そのテストは学校オリジナルのものらしく、いわゆる小テストみたいなもので、本腰を入れて取り組むべきテストは教科書会社による検定教科書準拠のものだった。青白い紙をして、妙にすべすべしていて、文字は丸っぽく、何故か大切にする気が全くおきず、たとえ満点であっても端と端を丁寧に合わせることも無く折りたたんで、クリアファイルにも入れずランドセルの奥に乱雑に突っ込んでいた。時には机の奥で、スープをこぼしてしまったランチョンマットと一緒にぐちゃぐちゃに丸まっていたりもした。その反面、あの理科のプリントは綺麗にファイリングして、日付順にナンバリングして勉強机に飾っていた。
 長い年月使い古され、多分原本はどこかにいってしまって、コピーのコピーを繰り返したあの理科のプリントは、その年月を黒点に変えて僕の手元にやってきた。これからもその黒点は増え続け、いずれアナログテレビのノイズみたいに、全てを隠してしまうだろう。それでも、僕の記憶が白黒でノイズの入ったものであっても、その映像は抽象化されて僕の頭の中に残り続ける。例えば言葉の形をとるかもしれない。またジェスチャーとなって無意識に現れてくるかもしれない。解像度も低く、整理整頓されていないフォルダであっても、然るべき手段で検索をかければ見つかるはずだ。赤い色が知らぬ間に白黒になってしまっていても、真っ白の白鳥が汚れをまとってしまっても、たとえその事に気づいていないにしても。

生きるために使う