舞台中止と、役者を辞めようと思ってた話。
※記事の一番下に、2023年8月23日-27日の舞台公演についての追記あり(2023.8.22)
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2月9日から14日まで公演し出演予定だった、所属劇団 東京ジャンクZの本公演。
2月5日に公式ツイッターにて発表があった通り、全公演中止となりました。
こちらが公式のツイートになります。
楽しみにしてくれていた方、予約してくれていた方、気にかけてくれていた方、本当に申し訳ありません。そしてその後、心優しいメッセージなど本当にありがとうございます。
改めてはっきりと言いたいのは、ツイートの画像にもあるように、我々キャスト、スタッフを含め座組の中に陽性者はおりません。皆健康、ぴんぴんです。そこはご安心を。
ここからは自分語り。
今回noteを書こうかどうか、とても迷った。
この数年、言葉を綴ることが怖くなりnoteから離れていたし、私自身、ジャンクの公演が中止することでこんなに動揺すると思ってなかった。
ツイッターの140字では足りない、でもこういうものって自分の心だけに残すべき?と考えているうちに過ぎていく時間。
確実に、悲しさや悔しさは発表された5日の時点よりは落ち着いている。
落ち着いているけど、いいのか?
このまま数週間、数か月、数年経って、「あぁ全公演中止になったこともあったよね~」って話せるようになって、それでいいのかなって。
「公演中止」の言葉を聞いた瞬間のあのやるせない感情、忘れたくはないと思った。あれを書こう、私の気持ちはこう伝えたい、という強い思いが、日に日に消えていってしまうのも感じた。
それがすごく寂しい。
私にとって、今回の公演は特別なものだったから。これを残しておかないと、ずっと何かがつっかえてしまうような気がした。
だから、うまく書けないかもしれない、長くなってしまうかもしれないし自己満足でしかないけれど、私のために綴ろうと思う。
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実は、この舞台が終わったら
演劇から、役者から離れるつもりだった。
ほぼ誰にも明言していないしする必要もないと思って言わなかったけれど。心のどこかで、この公演が終わったら、もう役者としての私はここで一旦区切ろう、と考えていた。
私にとって演劇は、大げさじゃなく中学の不登校時代からの私を救ってくれて、そこからずっと一緒にいるものだった。
イギリスへ行く勇気をくれたのも、大学入試で堂々と自分を貫けたのも演劇があったから。だから一度も辞めるなんて思ったことはなかった。
大学時代、就職活動の時期になってくると、辞められたらいいのに、嫌いになれたらいいのに、とすら思っていた。
結局嫌いになれることはなく、卒業後も舞台に立ったし最近ではカメラマンとしても携ることができている。
「好きだから」という理由だけで、13年間突っ走り続けてた。
でも、理由は一言で言えるものではないけれど、演劇を始めた当初の「ただただ楽しい」という時期はとうのとうに過ぎていた。演劇という業界に浸かりすぎた気もした。
ある時から、その「好き」が揺らぎ、もういいか…もういいんじゃないか…と諦めにも似た気持ちがふつふつと湧くようになってしまった。
どこかで区切りをつけるべきなのかもしれないと思っていた中で、ジャンクの公演は私にとっていい場所というか。ここであるべきというか。
勝手にその覚悟で、今回は臨んでいた。
「公演中止だって」
先輩から小声で聞かされた言葉。
客演さんには申し訳ないのだけど、やっぱり劇団員は先に知った。
私は客演さんとスタッフさんと別の作業をしていて、休憩に入ったときに知った。
本当に、なんていったらいいだろう、ショック、が当てはまるのかな。
「外に行こうか」
小声で言い合って、行く当てもないから先輩と稽古場の周りをぐるりと歩いた。2人とも、内心慌ててたのかコートも忘れて外に出てしまっていて、「寒いね」なんて言いながら、少し無言で。
コロナの影響で公演が中止するかもしれない、なんていうのは今のご時世当たり前に予想はしていた。我々も劇団としてできることは最大限にやってきたつもり。
(こういう時、自分が劇団員なのはいいなと思った。不安だと思ったらすぐ劇団員に共有して、消毒の頻度をあげたり不安要素をつぶしていくことができたから)
少しでも体調が悪いと言われれば、稽古は休みにしてPCRを受けてもらったり。
全員が念のため稽古が始まる前と稽古期間中で、合わせて2、3回PCRを受けている。本当は劇場入りする前にも受ける予定だった。(全員が最後の日まで陰性)
我々劇団員と演出助手で、稽古が終われば机から椅子から床も消毒して、毎朝全員が熱を測って記録。もちろんマスクはずっとつけてる。
ご飯の間は黙食。みんなみんな、気を付けてくれていた。各自飲み会に行かないとか、演技以外のそういうことも含めて全員が一丸となって公演に向けて走っていた。
本番5日前を迎えて、あ、これなら公演いけるんじゃないかって。問題は体力と、残りの時間でクオリティを上げ続けること。
でもコロナの影響はあまりにも強くて、様々なことを考えると、このまま意地だけで突き進むことはできなかった。
終わりなんだな。
毎朝稽古場に向かい、稽古をしながら合間合間に小道具を作って、殺陣や歌やダンスや台詞覚えて。そんな日々をあと数日過ごすつもりだった。
きっついスケジュールを、みんなでなんとかこなすつもりだった。
悔しい、やるせない、虚しい。
いろんな気持ちが心の中でぶつかる。
舞台は、急に始められるものじゃない。
1年以上前から構想して、去年の頭には劇場を予約。稽古開始に合わせて、数か月前から様々なことが、様々な人が動いていく。
今回私はフライヤーとパンフ撮影も担当したけれど、12月の忙しい時期にみんながスタジオに来てくれて撮影した。そうやって、稽古前から舞台は少しずつ完成への道を辿っていく。
しんどかった。
稽古期間中はしんどい、が多い。
それは私の役どころもあったのかもしれない。メンタル的にえぐるような台詞があったから。
眠い、眠い。寝たい。
舞台が終わったら寝るんだ。
あぁそうだ演劇ってそうだった、しんどいんだ。そうだったそうだった。毎度忘れてしまう。
でも、稽古が終わった後に劇団員3人で稽古場が閉まる22時まで作業しながら馬鹿みたいな話を笑いながらしたり、劇団員だけで振り付け確認したり、今回の座組のみんながどんなに素敵かを話してたり、まるで放課後みたいな時間は好きだった。(放課後ほどエモいものでもないけど)
何より、集まってくれた客演さんたち1人1人が本当に素敵で優しくて、再共演の人も新しい人も、前回の潰れた公演からようやくご一緒できることになった人もいて、このみんなが稽古場にいてくれてるから、しんどいけど、稽古場に向かうのは辛くなかった。
それもぷつんと切れた。
やりかけの小道具とか、覚えたての台詞とか、頭の中を何度も反芻する歌とか、みんなで細かい振り付けを合わせたりとか、パンフレットの作成とか、全部終わり。
全部、途中のまま終わり。
ジャンクZの公演がコロナの影響で中止になったのは初めてではない。2020年の夏も中止になってる。
だから今回は3年半ぶりの本公演の予定だった。
別に誰を責めるわけでもないし、責めてはいけないと思う。
そもそも責める相手はいない。
仕方のないこと。
でも仕方ないね、またいつかね、って言えないくらい、今回の「中止」の言葉は心をスコーンと遠くに飛ばし、スースーと隙間風を通した。
寒い街を歩いて稽古場に戻りながら、
「私、泣くかもしれないな」
って先輩が言った。
「私、もう泣きそうです」
って私は返した。
演劇に携わってから、幕が上がる前までに悔しい気持ちで泣くことってなかったけれど、主宰が全員を集めて話をしてくれた時、やっぱり我慢できなくて静かに涙がボロボロ溢れてしまった。
でもそんなのみんなに見せるべきではないんじゃないか、劇団員としてどうなんだろう、とか色々考えてうつむいたまま鼻をすすることもできず、マスクの中がびちゃびちゃになった。
私の後ろに座っていた演出助手の遼太郎くんには、泣いていたことがばれていたかもしれない。
人が大切なことを話すときの、あの緊迫感というか、主宰以外の全員が何も言葉を発さず、じっくりと彼の言葉を待つあの時間。
小さくなって「すみません」と謝る主宰。
心が締め付けられた。
主宰が誰より楽しみにしていて、きっと誰よりも辛い。
中止が決まって、じゃあ各自、自分の持ち物持って帰ってねってなって、なんとなくみんなも少しずつ動き出す。
私はすぐトイレにかけこんで涙をふいたけれど、もう1人の劇団員も同じことをやっていた。
稽古場に戻ると、みんな帰りたくはないけど、でもその場で話し込んでるだけなのはなんだか…って言ってくれて、平台に貼ってた養生テープをベリベリ剥がしたりしてくれた。
稽古場はありがたくお任せするとして、制作室で色々片付けをしていたら、そのうちにみんな帰る用意をして挨拶に来てくれた。
「何も、(悪いと)思わないからね。劇団員のせいじゃないから。」
「悔しい、やりたかったですね、またどこかで」
「絶対またいつか」
そう言ってくれてまた泣きそうになってしまった。みんなが、優しい言葉をかけてくれた。
稽古場をある程度バラし、いつの間にか夜になって家に帰る。一緒にいてくれた同居人に「あのね、今日ね、稽古場バラしてきたの。」「全公演中止になっちゃった」とぽつりと呟いたら
「そっか」って言って、「話したかったら聞くよ」って言いながらお鍋を作ってくれた。
その日は、ボロボロ泣いた。
自分でもこんなに悔しいと思うなんて、涙が出るなんて信じられなかった。
こういう時、私という人間は少しガッカリしながらも、あっさり「まぁしょうがないですね、どうしようもないことだし」って言うタイプだと思っていたから。
皮肉にも、ここで私はやっぱり「演劇のことは嫌いになれないんじゃないか」と感じてしまう。
17歳でイギリスで初めて立った大舞台、終演後幸福感と達成感で涙が止まらなかった。興奮しながら母に国際電話をした。
自分から携わっていくものの中で、こんなに嬉し涙を流せるのは、私にとって演劇だけだ。
そう思って役者を生業にしようと決めたあの日。
今、こんなにも悔しくて泣いている。悔し涙も演劇を通してだけなんだ。
次の日、目が腫れたまま搬出も終えてまっさらになった稽古場に、先輩と2人で「お世話になりました」と頭を下げて、稽古場を後にした。
***
9日。本当は劇場でゲネ(本番通りにやるリハーサル)をやって、本番を迎えて、今頃満身創痍でベッドに入っているはずだった。
明日の公演に備えて緊張してるはずだった。
そうはならなかった世界線。
少しずつ、少しずつクリアになって現実として受け入れられるようになった今。
みんなに見てほしかった。
劇団員が言うのもなんだけど、私元々はただのお客さんでジャンクを観ていた外部の人間で、2017年から入った人間だから許してほしい。
ジャンクZは面白い。
ジェットコースター演劇だとか、観客体験型だとかよく言われるけど、本当にそう。観客を巻き込んでくれる。
今回色んな畑の人が集まってくれて、それはもう面白くなるはずだった。
やるはずだったのは、「演劇と俳優」の演劇。
ジャンクZとしても「初心に帰って旗揚げしなおす」公演。
このメンバーで、劇場に入りたかった。
私は劇場が好きだ。
客としても、スタッフとしても、演者としても劇場に居ることがある。
客席に座り、音楽が大きくなり暗転になる。日常であそこまで真っ暗な空間はない。映画館より暗い。どんな物語が始まるのか、ドキドキするあの一瞬が好きだ。
スタッフが好きだ。
全員で世界を創り上げるあの空間が好きだ。
照明さんの色作り、世界に彩が生まれる。
音響さんが私たちの世界にドラマを足してくれる。舞台監督さんが、役者が演技だけに集中できるよう、舞台を作りあらゆる面の安全を保ってくれる。制作さんは、いなければ舞台は始まらない。本当に様々な仕事を担い、劇場にくるお客さんと顔を合わせる、最初のスタッフとして存在してくれる。
メイクさん衣装さんといった私たちを役として生きさせてくれるスタッフさんの他にも、カメラマン、フライヤーを作ってくれる宣伝美術さん、音楽家さん、殺陣師さん、振付師さん、ドライバーや仕込みを協力してくれたり、差し入れを送ってくれたり、大勢の人たちが1つの舞台に携る。
暗転し、役者は幕の袖で出番を待ち、静かに息を吸って吐く。あの緊張感。私は何度舞台に立っても、出番を待つ間膝が震える。手の先が冷たくなる。
一歩明かりの下に立てば、もう自分ではない。
舞台は止まらない。役としてそこに生きる。プライベートで悲しいことがあっても、役が笑っていたら笑う。泣きたくなくとも、役として涙を流す。
早着替えなどがあれば、バタバタと裏で舞台監督さんに手伝ってもらいながら着替えて、何事もなかったかのように舞台に戻っていく。
そういったことを、共演者の役者がこなしていると、同じ役者として楽屋から見ていてかっこいいと思う。かっこいいと思う瞬間を、何度も何度も見てきた。
13年経っても、
不思議な空間だと、本当に思う。
全員の技術と経験が集結して、劇場と芝居は出来上がる。
今回も新しい私をお届けする予定だった。一人一人が、それぞれの覚悟で板の上に立つはずだった。
板の上に立つってなんなんだろう。
虚構の世界だけど本物で、その世界に存在する役者ってなんなんだろう。
今回の題材が題材なだけに、台本を読んでいる間、ずっと考えていた。
***
そして今回は、普段観に来てくれている方々とは別に、もう1つの私の表現方法であるカメラや写真を通して知り合った友人たちや、顔を合わせたことのないフォトグラファーさんたちもたくさん予約してくれていた。もちろん初めて舞台を観に来てくれる友人がほとんど。
中止になった後、フォトグラファーのまさかな人からDMをいただき「いつかノエルちゃんのお芝居を観たいです」と、言葉を選びながら伝えてくれた。
2020年に中止になった時にも
「初めてノエルさんの芝居を観に行くつもりでした」「次こそ○○(地方)から駆けつけます」「また舞台に立つのを楽しみに待っています」の言葉が、ずっとずっと私を支えてくれた。
面白い運と縁の繋がりで、フォトグラファーとして活動するようになった私。
今回、演劇と写真という私の中の大事な2つの世界が繋がった気がして、なんだかとても嬉しかった。
役者としての私。
フォトグラファーとしての私。
どちらかではなく、どちらも存在していいんだ。だってどちらの界隈の人たちも、私のどちらの活動も応援してくれてる。
写真をやるようになって、いいねやフォロワー数は伸びるけれど、役者としての私には興味ないんじゃないかなんて思って悩んだ瞬間もある。少しずつ、役者をしている私を知らない人が多くなっていく。別にそれはそれで仕方ない。でもどちらかの私、ではなく「染谷ノエル」を応援してくれている人がいる。
だからやっぱり、いつかまたみんなにこの舞台をお披露目できる日までは、役者やめられないな。たぶん。
インスタのストーリーでも言ったけれど、何回演劇を嫌いになっても、どうしても私にとっては必要なもので、理屈じゃないからどんな形でも一緒に生きていくしかない。
もし辞めても、何年かしたらなんらかの形で戻りたくなるんだろう。私にとって当たり前にもうなくてはならないものだから。しょうがないね。
もう演劇は嫌いだ、だけどやっぱり好きだ。
こう言いながら役者という形はあっさり辞めるかもだし、続けていくかもしれない。それは私にもわからない。
今のところは続けて、芝居という世界にまだ携わっていたい。みんなに劇場で笑顔で会いたい。たくさん、批判でも肯定でも、舞台の感想ツイートを読みたい。
染谷ノエルが普段は見せない表情、気持ち。役なら全て出せる。これも私なんだ、私じゃないけど、私なんだぞと見せつける。私だってこんな思いを抱いてるんだ。日常で見せないけど。
お客さんや友人から、あんな声が出るんだね、あんな表情するんだね、と言われるたびなんだかくすぐったかった。私の1つの表現方法として、演劇はずっとそばにいる。
そんな私と演劇を、ずっとずっと応援して観続けてくれているお客さん、友人達へ、そして新しく出会うお客さんたちに、まだ俳優として魅せたい。
だからフォトグラファーだけじゃなく、役者のお仕事もまだ募集。
そして本当に、またこの座組みでリベンジ公演ができたらと願ってやみません。少なくともその時がきたら、役者を辞めてたとしても復帰するかもしれないね。
このnoteを書きながら、素直にそう思った。
そんなわけで、本当は今日も公演しているはずだった13日。優しいメッセージや、客演さんの同じような思いのツイートを読んで、1人じゃないなと思い、書いてみました。
何が言いたかったのか、何が書きたかったのか、
書いているうちにわからなくなってしまったけれど、これが今の私なので、いいかな。
読みにくくてごめんね。
悔しさでいっぱいだけれど、悔しいと涙を流せるほどのものと出会えてよかったなと思います。
これからも、どうぞ見守っていただけたら幸いです。
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そして、ここからはお願いというか、もしよければなのですが…
ジャンクZの公演で、キャストがこれを着て公演をやる予定だったTシャツが販売されてます(上の画像で着てるやつ)。
書いてある言葉は、「Let's Do Engeki」。
隠さず素直に書くと、もちろん劇団は大赤字。
ジャンクZを応援したいなって思ってくださる方は、ぜひチェックしてくださると嬉しいです。
公式ツイッターにもあるように、いつかまたリベンジ公演する気ではおります。その時には、これを着て劇場に遊びにきてくれたらなぁなんて願っております。
下のツイートのツリーを辿ってくださると、詳細が載っております。
そして、何事もなく舞台が公演されても、舞台として成り立つのは観客の皆様がいてくれるからです。また当たり前に公演ができる世界になっても、それだけはずっとずっと、大切にしていきたい気持ちです。
どうぞよろしくお願い致します。
購入はこちらからでも▼
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追記 (2023.8.22)
2020年、そしてこの記事に書いた2月と、2回の悔しさを味わいました。今回私は出演しませんが、明日から、新しいメンバーでの公演があります。ご興味ある方はぜひぜひ、足を運んでくだされば幸いです。
『THE PANIC STAGE〜東京ジャンクZの劇団最終危機からの大脱出劇〜』
・8/23日(水)-27日(日) @下北沢・小劇場B1にて。
ご予約▶︎ http://confetti-web.com/tokyojunkz-paniste/
劇団アカウント @tokyojunkZ
サポートいただいたお金は、舞台制作、旅先で素敵なときめきと出会う、他にも自己投資のために使わせていただきます。使い方は全てツイートします。また、サポートして下さった方をTwitterで紹介させていただきます。noteを読んでいいなと思ったら、ぜひサポートよろしくお願いします!