Vêtements 2017 AW - ソーシャル・ユニフォームズ

“I think of uniforms quite a bit,” said Demna, 35, referring back to a childhood spent in the Soviet Union. "I love social uniforms – what the message means for somebody. I used to wear security T-shirts and people would think I am a security guy. It's the connotation of clothes. Without people knowing you, it brings a message.  I think it comes from the lack of diversity in a period of my youth. Everybody dressed the same because there was no choice."

「制服のことをかなり考えるね。」「社会的な制服が好きなんだ。メッセージが何を伝えるかってことが。セキュリティと書いたTシャツを着ているとセキュリティの人だと思われる。これが服のコノテーションだ。誰が着ているかを知らなくても、服がメッセージを伝えるんだ。こうした好みは多分、小さい時の多様性がない経験から来ているんじゃないかな。みんな同じような服を着ていた。チョイスがなかったからね。」

(http://www.vogue.co.uk/gallery/suzy-menkes-interview-demna-gvasalia-balenciaga-vetements

“I got tired of just doing hoodies and underground clubs; we’ve done that at Vetements,” he said. “A new stage has to come. What we do here is always a reappropriation of something which already exists. So we took a survey of social uniforms, researched the dress codes of people we see around us, or on the Internet."

「単にフーディとかアンダーグラウンドのクラブとかっていうのに疲れたんだ。それはもうヴェトモンでやってきた。」「何か新しいステージじゃなくちゃいけない。自分たちがここでやってるのはいつも何か既に存在するものをリアプロプリエーションすること。だから自分たちは社会的な制服について調査をした、周りにいる人たちを使って、あるいはインターネットで、ドレスコードについて調べたんだ。」

(http://www.vogue.com/fashion-shows/fall-2017-menswear/vetements

「大学の勉強では、社会学にもっとも興味があった。今シーズンは、社会に溢れているユニフォームや人々の着こなしへの僕の興味が爆発したもの」とVetementsのデザイナー、デムナはバックステージで明かしてくれた。「これまでも常にこの視点から創造をしてきた。でも今回はそれを強調して、ひとつひとつのルックをキャラクターとして掘り下げることにしたんだ。実は、ひとつひとつのルックにはキャラクターの名前も、ストーリーも考えてある。そういったストーリーが織りなして出来上がったのが今シーズンのコレクションなんだ」

「既存のアイテムの典型をVetementsの世界観とコンセプトに落とし込むのが今回のテーマだった。いたって平凡にしか見えないものにも、実はトリックが隠されている。それこそがテーマだったんだ。僕はこれまでもずっと過去に存在したルックを現代に蘇らせるということを実践してきた。今シーズンは、これまで数シーズンにわたり僕が作り出してきたものをひとつのコレクションとして総括した」とデムナは説明した。「今の現実世界では、アイデンティティが大きな意味をもつようになってきた。社会で起こるすべてのことは(良くも悪くも)、アイデンティティを通じて僕たちに影響する。アイデンティティは "仕事"、そしてその"ユニフォーム"を通して獲得されるもの。だけど、僕たちにはそのユニフォームを交換することによって、アイデンティティを移動させる贅沢が許されているんだ。ファッションは今も十分に力を持っているよ」。

(https://i-d.vice.com/jp/article/vetements-autumnwinter-17-was-all-about-the-power-of-identity-and-diversity

ヴェトモンの2017awのインビテーションは、IDカードを模したものだったという。

(https://hypebeast.com/jp/2017/1/vetements-2017-fall-winter-couture-collection

書かれた名前は確かに自分自身のものであるが、全く違った顔や国籍が記されたカード。この不穏な不気味さはどこからくるのか。このインビテーションは、誰しも一度は思い描いたことがあるであろうシチュエーションを想起させる。ある朝会社あるいは学校に到着したあなたはエントランスで呼び止められる。あなたを呼び止めたその誰かはあなたのことを全く見覚えがないという。部外者の侵入は許可されていない。あなたは不可解に思うが、あなたの所属を証明するIDカードを見せようと取り出す。カードを透明なケースから抜き出そうとしたとき、あなたは目眩を覚える。そのカードの中で、あなたが記憶するカードの中のあなたと全く同じ仕方で固く笑っているのは、あなたの見覚えのない全く別の顔であるからだ・・・。あなたの居場所のみがすっぽりと抜け落ちた世界。正しいのはあなただ。あなたはあなたとして存在し、その証拠としてう疑い得ないあなたの存在がある。しかし、あなたが正しいことを他の誰かにどうやって証明するのか?あなたに代わってそれを証立ててくれるはずのカードが語っているのは、いまやはっきりとしたあなたの不在でしかない。この世界が悪夢的であるのは、それが正しい世界ではないことを知っているのがあなただけだという点だ。あなたがあなたとして生きていることをどうやって証立てれば良いのか。歳は幾つで、どんな肩書きを持ち、どういった人生を送っているのかといったことを、どうやって?クレタ人が自分が嘘つきであることを証明できないように、あなたはあなた自身を証明できない。それではむしろ間違っているのはあなたなのではないか?

特に現代社会において、人のアイデンティティは拡散している。かなりの部分において、自分を自分自身であると規定するものは自身ではなく、自分に対する社会的な認識とそれを証明する種々のモノである。先のIDカードのようなものはまさに象徴的だ。IDカードはあなたの実在に対する一種の記号でしかないが、それが実体を得て社会的に流通し、いまやあなた自身を超えるような実在性を持つ。

このことは、服のあり方にも深いところで関わるように思う。服は社会性を持つ。着る人に快を与えるという機能以上に、そこには社会的なコノテーション(定義を超えた意味)が付与される。奢侈は快をもたらす機能以上に、奢侈を享受できる力を誇示する機能を持った。何かがある機能を表すものとして社会化したとき、その何かは記号となり流通しだす。金銀は奢侈であると同時に、奢侈を表す。そして、流通しだした記号は、ときに実体を離れ一人歩きする。IDカードがあなたの不在を言っているとき、あなたは不在であると言われているだけでなく、実際に不在なのだ。「セキュリティと書いたTシャツを着ていると、セキュリティの人だと思われる」。今やIDカードがあなた自身であるように、服はあなた自身であり、あなた自身になる。「アイデンティティは "仕事"、そしてその"ユニフォーム"を通して獲得されるもの。だけど、僕たちにはそのユニフォームを交換することによって、アイデンティティを移動させる贅沢が許されているんだ。ファッションは今も十分に力を持っている」。

InstagramやTwitterといったSNSの台頭はこうした服のあり方をドラスティックに前景化させたと言える。ボックスロゴのついたフーディは、クールであることの記号となった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?