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2月は思い出の季節(2024年晩冬、坂道シリーズに思う)


■ 忙しく過ぎていく2月

 坂道シリーズを追いかけていて、「忙しいな」と感じる日々が続いている。1月には「7th Single BACKS LIVE!!」「34thSGアンダーライブ」「小林由依卒業コンサート」が3週にわたって連なり、生配信と現地をあわせて8公演に立ち会うことができた。
 2月1日の「小林由依卒業コンサート」2日目を最後に、バースデーライブが3月開催であることもあり、今月は珍しくライブがない(配信ミニライブは除く)な、というところだが、3月にはその「12th YEAR BIRTHDAY LIVE」が4DAYSで開催されるほか、櫻坂46は8公演の全国ツアーを1ヶ月で駆け抜けたのちに「SAKURAZAKA46 Live, AEON CARD with YOU! Vol.3」までも月内に開催するという。
 そうこうしているうちに4月になると、すぐに「齊藤京子卒業コンサート」と「5回目のひな誕祭」である。横浜スタジアムでのこれらの3公演は無事にチケットを得ることができて、ひとまずほっとしている。

 あるいは2月21日には櫻坂46が8thシングルのリリースを控え、3月27日には乃木坂46が35thシングルをリリースする。シングルのリリースがあるということはフォーメーション発表があるということでもあり、ファン心理としてはそわそわしてしまう部分はぬぐえない。また、スケジュールとしてはもう少し長いスパンの話にはなるが、乃木坂46が6期生の募集を開始したことも、そわそわした感じを増し加えているかもしれない。
 年末に届いた「ひらがなくりすます2018&ひなくり2019~2022 Complete Box」をひと通りチェックし終えたかと思えば、1月には「乃木坂工事中」「そこ曲がったら、櫻坂?」「日向坂で会いましょう」のBlu-rayのリリースが続き、正直まだ消化し切れていないのだが、そこに「11th YEAR BIRTHDAY LIVE」のBlu-rayも届くことになる。一時期のペースを考えるとやや間が空いたといえる写真集のリリースも、5期生による『あの頃、乃木坂にいた』が“バースデー週”に発売の形である。

 ライブがないと書いた2月だが、2月18日には「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」が開催される。筆者は“ひらがな推し新規”のリスナーであるので、これもある意味ではここに列してよいかもしれない。
 あるいは先日は、工事を経て2月11日にリニューアルオープンしたばかりの「ザ・ヒロサワ・シティ」を訪問し、「日常」MVの撮影地を見てくることができた。年始には「アナスターシャ」MVの撮影地である富津岬展望台にも上ってきた。リリースやイベントとかかわりなくそんなこともしているうちに、時間はどんどん過ぎ去っていく。

■ “バースデー”を重ねて

 乃木坂46のデビュー日である2月22日は日本記念日協会認定の「乃木坂46の日」とされ、これまでは毎年この日付に重ねてバースデーライブか「乃木坂46時間TV」が開催されてきたことになるが、今年は先に挙げた通り「11th YEAR BIRTHDAY LIVE」のBlu-rayと5期生写真集『あの頃、乃木坂にいた』のリリースがこの週に設定されているものの、例年よりは静かであるといえる。
 バースデーライブを控えた時期にはメンバーは苛烈なリハーサルを重ねるわけだし(“全曲披露”であった7th・8thあたりはそれが顕著に伺えたと記憶するが、同じく全メンバーによる4DAYSである今回も、それに準ずる・またはそれ以上の規模だろう)、すでに35thシングルの制作期間でもあるということかもしれない。

 しかしやはりこの時期になると、朝晩の冷気とともに「もうすぐ乃木坂46の誕生日だな」という気分が高まり、バースデーライブの思い出が甦る。

 この言い回しはこの記事の冒頭部からのコピペである。この記事を公開してから、すでに2年が経とうとしているということでもある。グループのたたずまいは大きく変わっているが、2月の空気感は今年も変わらない。

 さいたまスーパーアリーナでのバースデーライブはいうまでもなく「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」以来であり、これは3期生が初めて参加した(DAY2より)バースデーライブであったということでもある。
 「真夏の全国ツアー2023」明治神宮野球場公演でセットリストに加えられた「設定温度」といい、秋元真夏卒業コンサートを含む「11th YEAR BIRTHDAY LIVE」の会場・横浜アリーナは、「2nd YEAR BIRTHDAY LIVE」での「真夏、お帰り」のシーンが演出された地であった件といい、歴史の長さをふまえて、時計の針が一周するような、伏線が回収されるような、そんな振る舞いが上手いグループだなと感じる。

■ “12th”と“4DAYS”

 今回の「12th YEAR BIRTHDAY LIVE」はDAY1が「2011-2014」、DAY2が「2015-2017」、DAY3が「2018-2020」、DAY4が「2021-2024」とキャプションを付され、おそらくは“全曲披露”ではないが、グループの歩み全体を振り返るものとすることが示唆されている。
 これはDAY1を「2011-2016」、DAY2を「2017-2022」として開催した「10th YEAR BIRTHDAY LIVE」に重なる構成であるが、このときのDAY1にあたる前半期にはオリジナル楽曲がなかった3期生(「三番目の風」所収の17thシングルが2017年3月リリース)が、今回はDAY2の期間よりオリジナル楽曲がある形になることは2年分の時間の流れを感じさせるし、ひるがえってDAY1の期間の楽曲にオリジナルメンバーが誰もいない形となるということも、また時間の流れを感じさせる事象である。
 それでもこの形の4DAYSで、期間にそこまでの軽重をつけずにバースデーライブを展開することは、“全曲披露”の時代から続くグループのメンタリティを見てとれる。オリジナルメンバーが誰もいないと書いたが、DAY1の期間の楽曲のうち、現役メンバーが一切演じたことがない楽曲は1曲としてない。

 ※筆者の集計が正しければ(あまりあてにしないでいただきたい)、「現役メンバーが一切演じたことがない(ライブで演じておらず、オリジナルメンバーでもない)楽曲」は、「命の真実 ミュージカル『林檎売りとカメムシ』」「あの教室」「当たり障りのない話」「ライブ神」「告白の順番」「頬杖をついては眠れない」「さゆりんご募集中」「曖昧」「時々 思い出してください」「冷たい水の中」「さ〜ゆ〜Ready?」「私の色」「歳月の轍」「あなたからの卒業」「これから」の15曲のみであり、ほぼ半数が“卒業ソロ曲”という状況である。
 このうち「命の真実 ミュージカル『林檎売りとカメムシ』」は、「30thSGアンダーライブ」で披露される予定であったが(林瑠奈による選曲)、中村麗乃の新型コロナウイルス感染にともなう休演で「自分のこと」に差し替えられている。また「さ〜ゆ〜Ready?」は「さ~ゆ~Ready? ~さゆりんご軍団ライブ/松村沙友理 卒業コンサート~」DAY2アンコールでの披露時(この日2回目)に、松村による歌唱中にサプライズでメンバーが花を渡す形がとられており、他メンバーは歌唱していないが、ステージにいた形ではある。「忘れないといいな」は、奥田いろはの路上ライブを披露機会とカウントしている。

 DAY1の期間はリリース作品としては1stシングル〜10thシングルにあたり、曲数は60曲となる。DAY2の期間には11thシングル〜19thシングルのほか、1st・2nd・3rdアルバムが含まれる巡りあわせであり、合計92曲と最も多い。
 DAY3の期間のリリース作品は20thシングル〜25thシングルおよびアンダーアルバム・4thアルバム、およびここに配信シングルとしてリリースされた「世界中の隣人よ」「Route 246」を加えて56曲(「ゆっくりと咲く花」はベストアルバムの収録楽曲と扱うこととし、ここには含めていない)であり、最も少ない。
 DAY4の期間のリリース作品は26th以降のシングルおよびベストアルバムであり、合計68曲である(35thシングルは考慮していない)。グループのオリジナル楽曲は、現時点で276曲ということになる(同前)。
 リリース時期との関係から、35thシングル収録曲、特に表題曲の披露は期待されるところであるし、キャプションが「2024」を含んでいるところからもそれをかぎ取ることができそうだ(2011年にもリリース作品はないが)。

 筆者が現地で立ち会えるのはDAY2だけという形になりそうである。「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」時の向井葉月の推しタオルを持参して、「三番目の風」の披露を待ち構えようと思う。あるいはほかにも、最近あまりライブで演じられていないような曲がセットリストに入ればいいな、と思う。

【最後のライブ披露が「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」である楽曲】
(DAY1期間)「優しさなら間に合ってる」「吐息のメソッド」「Tender days」
(DAY2期間)「ひとりよがり」「ごめんね ずっと・・・」「もう少しの夢」「憂鬱と風船ガム」「失恋したら、顔を洗え!」「命の真実 ミュージカル『林檎売りとカメムシ』」「あの教室」「ないものねだり」「人生を考えたくなる」「当たり障りのない話」「失恋お掃除人」「新しい花粉 〜ミュージカル「見知らぬ世界」より〜」
(DAY3期間)「つづく」「告白の順番」「もし君がいなければ」「頬杖をついては眠れない」「ぼっち党」「さゆりんご募集中」「もうすぐ〜ザンビ伝説〜」「曖昧」「時々 思い出してください」「僕の思い込み」

※筆者調べ。「もうすぐ〜ザンビ伝説〜」は、「真夏の全国ツアー2022」の「13日の金曜日」披露の際にサビが用いられたことがある。

■ “坂道研修生組”の現在地

 2月16日は「坂道合同新規メンバー募集オーディション」に合格したのち、坂道研修生としての活動を経て各グループに配属された14人のメンバーの加入記念日である。「新x期生」という言い方はほぼ消え、それぞれのグループには後輩が迎えられてもいる。それでも、「あれからもう4年か」と考えると少し驚いてしまうような気持ちもある。
 やはりそこには、いわゆるコロナ禍の時期が作用しているように思う。2020年2月16日の配属日に対して、2月26日には大規模イベントの自粛要請が政府から出され、4月には緊急事態宣言の発出があり活動はほぼストップ。その巡りあわせの不運というよりは、ギリギリの状況での「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」開催から急転直下で世の中が変わっていった、記憶にいまなお独特の手触りのある時期であったからかもしれない。

 オーディション同期にはグループをすでに卒業したメンバーもいるが、“坂道研修生組”14人は現在もなお、全員がグループでの活動を続けている。林瑠奈と遠藤光莉には活動休止の期間があったものの、本日時点では14人ともが揃っているという状況である。
 乃木坂46の5人は34thシングルでの黒見明香をもって全員が表題曲選抜を経験した形となり、特に弓木奈於は選抜に定着したといえる状況である。林瑠奈と松尾美佑はアンダーセンターを経験してもいる。5人ともが個人でのレギュラー仕事をもっているといえる状況であり、それはおそらくグループの大きさだけで説明すべきものではないだろう。
 日向坂46の3人は、選抜制度がとられていない形のグループに1stアルバム・5thシングルより合流。ポジション的には3列目にとどまっている形ではあるが、「4回目のひな誕祭」ごろからは卒業メンバーのポジションに入るという形で加入前の楽曲にも参加するようになっていく(以前のnoteにも書いたが、「青春の馬」「期待していない自分」に加わったことは、かなり印象的なトピックであった)。3人ともがグループ外での舞台出演も経験している。上村ひなのとあわせて4人というきわめて人数が少ない期であることもあいまって、独特の存在感を発揮しているといえるように思う。
 欅坂46に加入した6人は、5ヶ月後に経験した初めてのライブでグループの改名発表に立ち会うという苛烈な経験を経て、櫻坂46のオリジナルメンバーとなる。その1stシングル表題曲には大園玲が参加し、5thシングルは表題曲守屋麗奈・カップリング曲大園玲の2人センター体制で制作されている。6thシングルでは活動休止中であった遠藤光莉を除く1・2期生全員で表題曲が制作されたほか、初の2期生曲となる「コンビナート」も得た。あるいは、菅井友香の卒業のタイミングであった2022年の東京ドーム公演で、アンコールにおいて演じられた欅坂46時代の楽曲に参加したことは、忘れ物を取りに行くような過程でもあったかもしれない。

■ 「合同オーディション」とは何であったか

 “坂道研修生制度”の経緯を含め、合同オーディションという形式がグループにどのように影響したのかは、いまだに判断しがたい。グループの人数の推移などを追っていくと、特に乃木坂46と欅坂46は新メンバーの加入が求められるくらいのタイミングであったことは確かで、応募者数12万9182人は強烈なインパクトを残す数字であった。
 世間向けには各グループの個性を際立たせる一方で、“坂道”を一種のブランドにする効果もあったとも思う(AKB48グループの経緯をふまえれば、「46」より「坂道」で一般にくくられている現状は、いくぶん意外にも映る)。やや位置づけが曖昧で、グループカラーがマスにリーチしていたとはいえない時期のひらがなけやきを、乃木坂46・欅坂46に列する形とした意味もあったと思う。
 あるいは、オーディション期間としてもっとも選好されるのは学生の夏休み期間なのだろうし、なかでもSHOWROOM審査はお盆休みの期間でもあった。そのSHOWROOM審査で候補生がファンの目に触れる機会が設けられたことや、坂道研修生15人による「坂道グループ合同 研修生ツアー」は、そこでファンをつかんだうえでグループに振り分けることによって、各グループ単体のファンを“坂道ファン”に転換するねらいまたは効果も、いくぶんあったのではないかとも感じる。

 ただ、メンバーの語りを聞き及ぶに、オーディション企画当初は「適性を見て配属を決める」色がもっと強かったところ、結局はメンバーの希望がだいたい通った、のような変遷があったようでもある。
 「お見立て会」が合同であった欅坂46・ひらがなけやきも、日向坂46の改名デビューという形でグループが独立し、その後はそれこそ坂道研修生の文脈を除けば、3グループがまとまって扱われるような印象をもつことはあまりない(昨年末の新参者公演はその意味で珍しい試みであったと思う)。
 合同オーディションという形式が、そのイメージから期待されるほど(あるいは一部のファンにとって、それは警戒でもあったかもしれない)の効果を発揮したという印象は、正直なところ、ない。
 ただしひとつ言えそうなのは、コロナ禍当初の1年間にはオーディションをやろうとしても開催できなかっただろう、ということである。有観客ライブが戻ってきたといえるのは2021年の夏ごろからで、乃木坂46・5期生オーディションはそのタイミングで告知されている。当時もまだ感染拡大への警戒感は強かったものの、学校生活や経済活動は動き出していたくらいの時期であり、その間に“リモート”のインフラが整い、社会にも受容されたという点も見逃せない。
 もし合同オーディションという形式でなかったら、2018〜2019年に3グループが順次オーディションを行っていく流れであったかもしれないが、最初にオーディションを行ったグループは、3年以上新メンバーの加入がない状況に直面していたかもしれない。“坂道研修生制度”は、そこまでポジティブに扱われることは少ないように思うが(メンバーの前に挫折として立ち現れたように見る向きが多いだろう)、思わぬ効果を発揮していたのかもしれない。

 ただ、ともあれ「坂道シリーズのオーディション」としては、2018年夏の合同オーディションから、2021年夏の乃木坂46・5期生まで空いたことになる。卒業メンバーを含め、坂道だけでもいくつかのオーディションを受けた上で加入を勝ち取ったメンバーも多く思いつく。それに該当するメンバーと該当しないメンバーとで、実力や取り扱われ方に分断があるようには決して見えない。
 3グループはそれぞれに明確な個性を手に入れてきた一方(例えば“鳥居坂46”はまだ、乃木坂46とほぼ同視されていただろう)、「坂道シリーズのファンだった」「坂道シリーズに入りたかった」のように語るメンバーも散見されるようになってきた。例えば日向坂46に4期生として加入した山下葉留花や宮地すみれは、乃木坂46・5期生オーディションに落選したことを隠してはいない。“次なるチャンス”として立ち現れた日向坂46のオーディションで、アイドルになる夢を叶えたということになる。
 あるいは、いとこの五百城茉央が乃木坂46に加入したことをきっかけに日向坂46のオーディションを受けたという正源司陽子のエピソードも、ある意味ではこれに類するものかもしれない。コンスタントにオーディションが行われることには一定以上の効果があり、それを「坂道シリーズ」というパッケージが担っているような形である。

 グループの形式からいって、そのオーディションは年齢制限から自由になることはできない。どこかのタイミングで“最後のチャンス”が訪れる。それに背中を押されて加入したと語るメンバーも多いが、しかしその向こうには、年齢制限に引導を渡される形となった無数の受験者たちがいることにもなる。
 先に挙げた山下葉留花は、「坂道合同新規メンバー募集オーディション」も受験していたという。当時は中学3年生で、学年でいえば髙橋未来虹、森本茉莉、山口陽世と同い年にあたる。また、平岡海月も同様に「坂道合同新規メンバー募集オーディション」を受験しており、さらにひらがなけやき2期生のオーディションも受験していたという(学年でいえば小坂菜緒、金村美玖、濱岸ひよりの代=山下らのひとつ上である)。
 受験資格となる年齢の幅は、近年は9歳(満12歳〜20歳)とされているが、加入時で高校生であるメンバーがボリュームゾーンであるといえるだろうか。「坂道合同新規メンバー募集オーディション」とその後のオーディション、となると、3年以上の期間があったことになり、山下や平岡のようなケースはややまれであるといえるかもしれない。
 数千倍の倍率で競われるオーディションである。オーディションよりも、合格して積み重ねる道のりのほうが無限といえるほど長い。「ホンモノのスターは一発で受かるんだ!」みたいな、理想やロマンを込めた言い回しで終えてしまっても、切り捨てられるものは誤差程度かもしれない。でも、変な言い方になるが、3年間の隔たりが「“最後のチャンス”が訪れなかった山下葉留花」をたくさんもたらしたのかもしれないな、と思うと、少し切なくなる。

 乃木坂46・6期生オーディションは、春・夏の2回実施で行われることが告知されている。“入口はひとつ、出口はふたつ”であった「坂道合同新規メンバー募集オーディション」とは逆に、“入口はふたつ、出口はひとつ”のような形となるのであろう(合格者は全員、最初から「6期生」ということだろう)。
 あえて合同でオーディションを行う動機づけにもう乏しいだろうし、今後行われる可能性はほぼないように思う。コロナ禍を例外中の例外であったととらえるならば、「坂道シリーズのオーディション」が3年空くという状況も当面は考えづらい。乃木坂46・6期生を2回受けて、その後別のオーディションも受けて……という者も多く現れるかもしれない。それでいいと思うし、より望ましい形だとも思う。
 そのくらい多くの受験者を引きつけるグループであり続けてほしい、と願うばかりだ。

※オーディションの経緯の参考資料:『blt graph.』Vol.88(宮地すみれ)、『IDOL and READ』034(山下葉留花)、『BRODY』2023年8月号(平岡海月)

■ ふたつのグループと“8thシングル”

 オーディションについてやや長く書いてしまったが、少し話を戻したい。
 櫻坂46が2022年の東京ドーム公演において、菅井友香の卒業という機会をとらえて欅坂46の楽曲を演じたことについて、いわゆる“新2期生”を迎えて間もなく改名してしまったグループにとって「忘れ物を取りに行くような過程でもあったかもしれない」と書いた。
 そうであるとするならば、「もう欅坂46時代に忘れ物はない」ということを示したようにも見えたのが、「小林由依卒業コンサート」であった。

 小林は櫻坂46での活動について、「最初の頃って欅坂と繋がっていた印象が自分の中でもあって」(『B.L.T.』2024年3月号 p.23)と語り、アルバム「As you know?」と「2nd TOUR 2022 "As you know?"」の時期に“これが櫻坂なんだ”というビジョンが固まった、と語っている。
 ただ一方で、ここでいう「欅坂46との繋がり」とは楽曲のメッセージ性やパフォーマンスでの表現のしかたの面でのあり方についてのことであり、欅坂46時代の楽曲の取り扱いという点では大きな断絶があった。
 「1期生の卒業の際には欅坂46の楽曲が披露されるのが定番である」のような言い方がよくされるし、実際にそれはその通りである。しかし改めてそれらの内実を見ていくと、すべての機会がグループに対して異なる役割を果たしていたんだな、ということに気づく。

 どことなく“欅曲”の披露を期待する雰囲気がくすぶり続けていたデビュー1年目を「W-KEYAKI FES. 2021」DAY3(日向坂46との合同公演)で「W-KEYAKIZAKAの詩」を披露したのみで駆け抜けたグループが、守屋茜と渡辺梨加のグループ卒業の機会をとらえて、青空とMARRYの「青空が違う」「ここにない足跡」を演じるという形で“解禁”を行ったのが「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」であった。
 翌年の「渡邉理佐卒業コンサート」は、櫻坂46時代で最も分厚く“欅曲”が演じられた機会となった。ユニット曲の「僕たちの戦争」「青空が違う」および青空とMARRY4曲メドレーのほか、“全員曲”であった「二人セゾン」「手を繋いで帰ろうか」「制服と太陽」「世界には愛しかない」を1期生で披露。さらに「危なっかしい計画」と「風に吹かれても」は2期生を加えたメンバー全員で演じた。“解禁”の幅が大きく広げられた一方、明るい雰囲気の楽曲のみで固められたことは、欅坂46のパフォーマンスをステージに引き戻すのではなく、あくまで青春時代の美しさが振り返られている、という印象をもたせた。
 尾関梨香と原田葵の最後のライブとなった「W-KEYAKI FES. 2022」では、卒業の文脈以外での“欅曲”披露はひらがなけやきとの合同楽曲であった「太陽は見上げる人を選ばない」のみにとどめられる一方、ひらがなけやきの楽曲「NO WAR in the future」が演じられた。そしてDAY2において、尾関と原田がそれぞれ参加したユニット曲「コンセントレーション」「カレイドスコープ」がライブ本編で演じられたほか、アンコールでは「音楽室に片想い」「バスルームトラベル」のユニットメドレーと「バレエと少年」が披露されて当時のユニット曲が網羅され、最後は「危なっかしい計画」で締められた。ふたり分の選曲のため曲数はやや多く見えるが、あくまで櫻坂46のライブとして落ち着きを取り戻したように見えた。

 これに続くのが菅井友香が卒業したタイミングの東京ドーム公演であり、ツアーのファイナル公演としての位置づけであった。ライブ本編は地方公演と同じセットリストが堅持され、アンコールで欅坂46のOvertureを用い、2日間ともで異なる“欅曲”が披露されたうえで「その日まで」で締める、という形であった。
 1日目のアンコール1曲目は「10月のプールに飛び込んだ」。シングルとしてのリリースがかなわなかった経緯があり、有観客公演での披露は一度もなされていなかった楽曲であった。菅井は「行き場のない悔しさをみんなが抱えているだろう楽曲だからこそ、ここでしっかり乗り越えたいという思いがありました」(『Wアンコール』p.88)と語る。2019年9月の東京ドーム公演を成功させ、しかしそれに続くことのなかった“10月”。それを表現するにはここしかない、という場であったと思う。そしてあるいは、あのとき選抜から漏れたメンバーも加えた編成で披露されたことにも、もうひとつ何かを乗り越えた意味があったかもしれない。
 これに続いたのがユニット曲の「ヒールの高さ」「青空が違う」。特に「青空が違う」はオリジナルメンバー最後のひとりとして、卒業公演での披露のバトンをつなぎ切った形となった。さらに、菅井のポエトリーリーディングの印象が往時から強かった「世界には愛しかない」が演じられている。
 2日目の1曲目は「不協和音」。多くのファンに納得と満足をもたらした選曲といえるように思うが、菅井は「この楽曲は自分のなかでは、もう欅坂46のラストライブでやりきれていたし、今の櫻坂46のみんなに負担になってしまうかもしれないという気持ちもあり、最後まで迷っていました」(『Wアンコール』p.92-93)という。同書では、スタッフ側の意向も込みでセットリストに加えられたことが示唆されてもいる。いわゆる“新2期生”にとっては初めての披露であったが、ここで“欅曲”の最高峰ともいえる楽曲に挑んだことが、何より「忘れ物」を取り戻す過程として機能していたように見える。
 そして“欅曲”として最後に披露されたのは「砂塵」。オリジナルのセンターは菅井とされており、有観客公演での披露は初めてであった。しかしそれより、「『私たちはプロとして、この曲(引用者註:「不協和音」)を自分たちのものにした』と、気持ちを切り替えて『砂塵』をパフォーマンスすることで証明したいと思っていました」(『Wアンコール』p.95)という菅井の語りに、その意義は集約されているように思う。振付師・TAKAHIROはこの曲を「欅坂46のエンディングテーマだ」と表現していたともいう(『Wアンコール』p.94、「THE LAST LIVE」時の出来事)。忘れ物を取りに戻った欅坂46の世界、しかしそれももう本当に終わり、という宣言であったようにも思える。

 とはいえこれで“欅曲”の披露の歴史が終わったというわけではなく、約1年を経た「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」DAY1では、土生瑞穂の卒業公演として「302号室」「少女には戻れない」「僕たちの戦争」と、土生が参加した3ユニットのメドレーがアンコールで披露されている。出演の1期生3人、小林由依・齋藤冬優花・上村莉菜は(小池美波は休演)、各ユニットの最後のオリジナルメンバーでもあった。
 これに続く1期生の卒業の機会が、今回の「小林由依卒業コンサート」であったということになる。“欅曲”の披露としては、1日目に1期生3人がトロッコで場内を回る形で披露された「風に吹かれても」と、2日目の本編内で披露された「危なっかしい計画」の2曲であり、最小限にとどめられたという印象をもつ。
 小林は「私としては欅の曲はラストライブで全部やりきったつもりなので」(『B.L.T.』2024年3月号)としており、櫻坂46として積み上げたものへのプライドとともに、その思いを表現したといえると思う。ただし強いていえば、改名以降も何度か披露されてきた「危なっかしい計画」だが、“声出し”での披露は初めてであったことになる。その点では、最後に残った少しの余白を埋めることにもなったのかもしれない。
 この間の“欅曲”披露としてはもうひとつ、3期生による「新参者 LIVE at THEATER MILANO-Za」千秋楽公演ダブルアンコールでの「語るなら未来を…」があった。先に引いた「欅の曲はラストライブで全部やりきったつもり」というのも、このことについて問われた文脈での発言であった。小林は「特別な思いがあるかどうかというと、どちらでもなくて」「メンバーが違えば、曲もオリジナルとは違うものになるじゃないですか」として、「フラットに捉えている」(同前)と語る。肯定もしないし否定もしないというか、自分はそこに影響を及ぼすべき立場ではない、というスタンスであるように読み取れる。

 2月21日の8thシングルリリースをもって、櫻坂46は欅坂46と同じ枚数のシングルをリリースしたことになる(オリジナルアルバムも1枚ずつだ)。欅坂46がリリースした8枚のシングルはすべて1期生メンバーのみによるものであり、2期生を先頭に置く陣形で走り続けてきた櫻坂46が、数字でいえばそこで並ぶような形になる。
 筆者の印象をあえて述べるならば、もう櫻坂46が“欅曲”を演じる意味合いは薄いように思う。グループに残る3人の1期生にも、縁が深かったり思い入れがあったりする楽曲はあるだろうが、改名以降演じられていないものに絞るならば、「サイレントマジョリティー」を除けば、小池美波の「アンビバレント」くらいだろうか。すべてがもう確実に終わったのだと言いたいわけではないが、あの「砂塵」がエンディングテーマだったのだと言われるとしっくりくる距離感である。
 まさに小林が語った通りだが、演じられても演じられなくてもいい、どちらでもあって、どちらでもないように思う。ただ、彼女たちの向こうに語るものは過去ではなく未来でありたいし、次の作品を、次のステージを、ファンとしてはただ楽しみにしていたいと思う。

■ 日向坂46の“2月11日”

 坂道シリーズで2月といえばもうひとつ、日向坂46の“改名記念日”がある。2019年2月11日のシングルデビューおよび改名の発表から5年が経過したということになる。デビュー日は3月27日で、「ひな誕祭」もおおむねこの日付に準拠して行われており、イベントとしてはこちらがメインとなっている。今年の“2月11日”にはメンバー数名が言及している程度で、そこまで大きなトピックとなっている様子はみられない。
 とはいえ、5年は大きな区切りである。齊藤京子は卒業を控えた状態であるが、改名デビュー時の21人のうち15人がまだグループに所属しているというのは驚きというほかない。
 あるいは4期生の「おもてなし会」も、初日が2023年2月11日に設定されており、あれから1年が経ったということになる。先に触れたように坂道研修生の配属発表がこれに近い時期、2020年2月16日であったこととあわせて(あるいは、2018年2月12日に行われた2期生の「おもてなし会」の記憶も想起される)、この時期の日向坂46には、なんとなく何かが動き出すような雰囲気がただよう。

 これは単なる思い出話なのだが、あの2019年2月11日、その期間に心身の健康を害して休職していた筆者は、実家で療養していた。療養といっても毎日何もせずに寝たり起きたりしているだけで、とにかく何もやらなくてすむように実家にいたという感じであったが、月に最低一度は医者にかからなければならないので、3週間実家にいて1週間東京に戻る、のような生活になってしまい、それはそれで落ち着かなかったという覚えがある。
 そんな折の改名発表で、SHOWROOM配信を見ながら、なんとなく置いていかれてしまうような思いがあったことを覚えている。「デビューカウントダウンライブ!!」のチケットは、チケットトレードまで粘ったけど結局手に入らなくて(その時期は東京に戻れるように繰り合わせていたのに)、ファンの総称「おひさま」や、「キュン」のコールが決まっていくあたりの過程を遠くから眺めていた。全国握手会でのお披露目に始まり、「ひらがなおもてなし会」やZepp Tokyoでの初ワンマンライブから、ライブはだいたいすべて追ってきたといっていいひらがなけやきの「ラストライブ」に立ち会えなかったことは、正直いってけっこうこたえた。
 6月に職場に復帰したものの、すべてを休み休みやっていたという感じで、有り体にいうと有給休暇があっという間になくなった。「3rdシングル発売記念ワンマンライブ」には運良く足を運べたものの、コールが頭に入っていないことを痛感したという覚えがある。「JOYFUL LOVE」の虹色を初めて目の当たりにした(「ひらがなくりすます2018」に立ち会ったのは初日で、まだ綺麗に揃っていなかった日である)ことに感動しつつも、それも少し遠く感じたような部分もあっただろうか。
 「ひなくり2019」の日には休みがとれないどころか仕事が長引いてしまい、東京ドーム公演の発表はひかりTVの録画を見る前にSNSで知ってしまっていた。「日向坂46×DASADA LIVE&DASHION SHOW」は、たぶん当たっても行けないだろうな、と考えているうちにチケットの先行抽選が終わっていて、これではダメだ、と思ってかなりの公演数を応募した「春の全国アリーナツアー2020」は全公演が中止になった(詳しくは忘れてしまったが、群馬公演には当選していたはずだ。なかなか珍しい会場で、行ってみたかった)。

 どうしてこんな話をしているかというと、コロナ禍の空白期間を経て「ついていけなくなっている」感覚がやや解消したうえ、無観客・配信ライブの時期を経てライブの同時生配信が定番化して、「ついていけなくなる」ことも起こりにくくなったな、と思ったからだ。しかしそれは同時に、会場で立ち会うライブの価値を再確認する過程でもあり、結果として「Happy Train Tour 2023」では7公演に足を運ぶに至っている。

 「齊藤京子卒業コンサート」および「5回目のひな誕祭」の開催を控えるなか、グループ初の展覧会『WE R!』の開催もアナウンスされるなどの新たな展開もあり、次のシングルのリリースも期待されるような時期になってきた。
 2月は春の訪れを待つ季節である。これからもたくさんの良いニュースが聞けるといいな、と思う。


 このnoteを書いている途中、山下美月さんの卒業の報が飛び込んできました。筆者は、文章を書くことで思い出を記憶にとどめているようなところがあり、その思い出のなかには、文章に書いた内容のみならず、「それを書いていた自分」の風景も含まれているような、そんな感覚があります。
 山下さんの卒業発表の記憶も、薄暗い部屋でキーボードを叩いていたなんでもない風景とともに、2月の印象深い思い出として記憶されるのかもしれません。

 何かしらのnoteを月に1本は出すと決めてから1年が経ちました。肩ひじ張らず、坂道シリーズ3グループをごちゃ混ぜにして、連想ゲームでいろいろ書くことも増えて、長いだけの読みにくい文章を生産しているな、という自覚はありますが、それで考えがまとまっていく部分もあり、これからも続けていきたいな、と思います。

 去年の2月には2本のnoteを出していました。「11th YEAR BIRTHDAY LIVE」を前に出したのが「4番目の光」の記事でした。掛橋沙耶香さんの活動休止の状況は未だに続いていますが、このときのライブでは「16人の4期生」が鮮烈に表現され、その後には北川悠理さんと早川聖来さんのグループ卒業があり、結果としてそれは、ある意味では最後の機会になったといえるのかもしれません。

 完全に思い出語りとして書いたようなのが「強がる蕾」の記事でしたが、井上和さんが新参者公演でソロ歌唱するという形で、そのストーリーは2023年によみがえったような形になりました(35thシングルの映像特典にしてもらえないでしょうか)。本noteも、「12th YEAR BIRTHDAY LIVE」では、“卒業ソロ曲”をはじめとするなかなか演じられることの少ない楽曲が聴ければいいな、という思いがあふれた仕立てとなりました。

 思い出を綴っていくときりがないので、今回はこのあたりにしておきます。来年の2月はどんな風景になるのでしょうか。想像がつきませんが、変化を嫌うのではなく、それを美しいと思えるメンタリティでいたいと思います。


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