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この時代に世界最高のブランドをつくるということ

両親が会社を経営していたこともあって、物心がついたうちから「自分も会社をつくるぞ」と決めていました。

中学高校時代を過ごした2000〜2006年は、Yahoo! BBのADSLが無料で配られたニュースが象徴するように、爆発的にインターネットが普及した時代です。おかげでぼくもどちらかというと根暗なパソコンオタクになり、独学でホームページをつくったり、プログラムを書いたり、ゲームの攻略サイトを運営してオフ会なんかを主催していました。

進路を考えるにはやや遅い高校三年生になるころ、ぼくは「ウェブサービスを当てて最年少上場するぞ!」と決意していました。ビル・ゲイツや孫正義のように、当時30歳そこそこの年齢でメディアを賑わせていた堀江貴文さんのようになりたかった。なれると信じて疑わなかった。

それまでのぼくは、15歳で大手出版社の小説新人賞を受賞したり、たいして勉強していないのに身の丈以上の大学にもストレートで合格してしまい、自分があらゆる才能に溢れているのだと勘違いしてしまっていたのです。そのツケを払いきるまで、とても長かった……。というか、いまでもたまに昔の代償を感じる場面があります。

大学を3ヶ月でやめて(じつは2学期の履修登録のやり方がわからないうちに除籍になったんですけど)友人とウェブサイトの制作受託をはじめ、それから数年間は何をやってもうまくいきませんでした。はじめて営業先で仕事をもらったときに「請求書を送っておいてくれ」と言われ、請求書がなんのことかわからず帰ってググってそれっぽいものをつくって郵送したというくらい、社会やふつうの仕事のやり方なんてわからないところからはじめたのです。自社サービスをリリースしてもそれっきりで、マーケティングするなんて発想自体なかった。いま自分の話を聞きに来てくれる若い起業家はなんと優秀なことか……。今回は当時どんな事業をいくつやっていたのかという話は割愛したいと思います。

挫折、挫折アンド挫折の繰り返しで疲弊しきっていた次のステージでも、非常につらい現実が待ち受けていました。2012年、新しい事業を考えはじめていましたが、すでに失敗しまくっているやつだと周りに認知され、クレジットカードも滞納して使えないようなどうしようもない若者となっていたのです。

このとき、いろいろなプランを比較してこれをやるぞ! と煮詰まっていたのが男性化粧品事業でした。日本が業界全体で抱える豊富な研究・製造のアセットを活かせる化粧品業界。まだ圧倒的なトップシェアブランドがいない男性化粧品市場。IT時代の経験をもとに、努力と工夫で堅実にユーザーが積み上がっていくイメージのあったEコマースの業態に向いていたこともポジティブな点です。

しかし、以前の起業で直接の知り合いなど頼りきってしまった自分にはもちろん原資など用意できないので、いくらイヤでも恥ずかしくても、父親に勧められるまま、父の会社の新規事業として立ち上げるしか方法がなくなっていました。

親の世話になれるなんてラクだ、甘えるな、と思われてしまうことも当然ですが、ずっと自意識過剰に育ってきたぼくにとっては、事業のオーナーシップを持てず、父親の会社のいち社員として事業を立ち上げるなんて、イメージしていた20代の成功している自分とギャップがありすぎてたまらなく恥ずかしく思えてしまったのです。

それでも、事業の構想に確信があり、ほかに立ち上げる手段はないと諦めてからは、見栄やプライドををかなぐり捨てて一心不乱に「世界一のメンズコスメブランド」をつくるべく、プロダクトを考えに考え、最高のブランドだったらこれは絶対にやらないだろう、これは鉄の掟だ、という戦略の輪郭を描き、2013年4月にはようやくBULK HOMMEを発売いたしました。

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2013年4月2日に発売した第1世代デザインのBULK HOMME。3つのプロダクトに光の三原色をモチーフとした記号を与え、明るく美しい肌へ導くことを表現している。

それからすぐに成功譚につながれば話は簡単なのですが、3年ほどのあいだも鳴かず飛ばずの時期は続き、月商でいうとせいぜい数百万円くらい。少しでも目立とうとあの手この手で人を巻き込みプレスリリースを打ち、順風満帆な気鋭のブランドとして認知されようと躍起になっていましたが、劇的な成長をなかなか摑み取れないまま日々を送っていました。そんな感じで、20代後半まではずっと地獄のような毎日だった。本当にしんどかった。

あるときから伸びるようになったきっかけもよく聞かれることですが、わかりやすいエピソードはありません。ただ、自分や社員のスキル、評判などが蓄積されていき、市場環境もマッチしてきたのか、2016年ごろから「マーケティングコストが割に合う」ようになってきました。起こったことは、本当にただそれだけなのです。

「お願いします。規模が小さいうちに事業を簿価で買い取らせてください」

2016年10月、ぼくは意を決して父親に言いました。そのときの会話がどんな内容だったかはあまり覚えていないのですが、あまり揉めることもなく交渉と手続きを進め、2017年には無事MBOを完了し、仲間になってほしかった諸先輩のみなさまにプレゼンして資金調達もすぐに実施することができました。

評価額は15億円、男性化粧品「BULK HOMME」運営が3億円調達ーー家入氏ら個人投資家が出資
いわゆるPMFを達成したフェーズ。このときMRR4,000万円くらい。

おかげさまで、完全独立してからのバルクオムは、着実に伸び続けています。アジア展開のスタート、窪塚洋介さんの起用、資金調達ラウンドの進行、世界的アワードの受賞など、手を緩めることなく会社として、ブランドとしてのスケールアップを実現してまいりました。

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メンズスキンケアブランド「BULK HOMME」ブランドアンバサダーに俳優・窪塚洋介を起用2018年5月21日(月)より順次広告展開スタート
化粧品ベンチャーのバルクオム 5億円の資金調達
ニッセイ・キャピタル株式会社を引受先とした第三者割当増資を実施

前回調達から1年で事業の規模も評価も2倍くらいに。
世界最大級の美容展示会「Cosmoprof Worldwide Bologna 2019」世界608ブランドがエントリーした「Cosmoprof Awards 2019」のHair Product部門で「THE SHAMPOO」がグランプリ獲得!日本発のメンズブランドとしては初受賞の快挙!

とりわけ、大きなリスクをとってローンチしたのがキリアン・エムバペ選手を起用したグローバル・プロジェクトです。世界の至宝である彼が、これからクリスティアーノ・ロナウドやメッシを超えて世界No.1プレイヤーになろうとしている彼が、当時NIKEとHUBLOTしかスポンサーに選ばなかった彼が、このオファーを引き受けてくれると報告を受けたとき、その条件がどんな内容でもかならず前に進めようと決意していました。

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メンズスキンケアブランド「BULK HOMME」 次世代No.1の呼び声高い世界最速級のストライカー キリアン・エムバペ選手(20)とのグローバルプロジェクトを発表!


30歳を周り、起業家になってから10年を経て、心から思うことは、自分はまるでなんの才能もない人間だったなと、ただ恥じ入るばかりです。まわりのみんなが次々に数十億円の評価で売却したり上場したりするのを横目に、ずっとそんなコンプレックスに押し潰されそうでした。趣味でよく20歳そこそこの起業家の相談に乗りますが、みんな信じられないくらい優秀で、自分がやってきたことはなんだったんだろうと、本当に自分の過去を思い出すのがつらい。

そんなぼくが、自分以上のやつは見たことがないという自信を、ふたつだけ持っています。どれだけみじめに失敗しても、必ずすぐ次の打席に立ったこと。そして、創業からずっと一貫して海外市場を本気で攻め続けていること。それだけは、心から誰にも負けないと断言できることです。Appleのような、Redbullのような、誰もが認めるその領域で圧倒的世界ナンバーワンのブランドに、BULK HOMMEをかならずします。



世界No.1のメンズコスメブランドへ。

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野口卓也

BULK HOMME CEO

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