観能蔵出し。能から離れられなくなった時〜松本恵雄師との一期一会

2011年11月8日のブログを再掲。



何故、能を観続けているのだろう。

まさか、ここまで能との付き合いが続くとは思いも寄らないことだった。

そもそも能に行き着いたのなぜだろう。元々、普通にロックが好きな少年だったのが、自分でベースを弾くようになり、多重録音に凝り始め、自分で、作曲モドキを始めた。
そこで、単にオシャレだとJAZZを聴き始めたが、よくわからんと悩み苦しみ、クラシックを聴き始めるも、これも難しいとあがくことになる。

この時点で、ある違和感をずっと抱いていたのが、浮き彫りになっときた。
即ち、何故、日本人が、演奏するJAZZや、クラシックは、本場の演奏と違うのだろう。日本の古典芸能を、外国人が演じるという感じに似ているといえばいいだろうか?

ようやく、古典芸能との接点がここで生まれる。日本人なのに、日本の芸能を何も知らなかった事を痛感せざるを得なかった。

とりあえず、能と、文楽、歌舞伎を同時に観はじめた。
結局、途切れずに観続けたのは、能と狂言だけだった。

何故、観続けれたのだろう。
恐らく、あの体験があったからだろう。

松本恵雄師との、一期一会の、能との出逢い。これに尽きる。

1997年、九月二十七日。宝生会別会。
松本恵雄師は、巻絹のイロエの小書付で、舞った。

自分は、中正面の一番前の席。
松本師は、三番立の一番始め。
大河内俊輝さんの、能評では、力と品の能を舞う人という事だった。

記憶は、はっきりと今でも憶えている。
調べか始まり、囃子方が舞台に着く。
この時点で、舞台空間が、空気の波が激しく揺れ動いている。

巻絹の舞台は、松本師しか、覚えていない。
幕中から、
のうのう~。と、太く立体的な謡が聴こえたとき、身震いがした。
もう、すでに、松本師の芸の空間に、取り込まれてしまっていた。

シテが、幣を持ち、ノットに入ったとき。
空間は、更にうごめくように揺れる。
一種のトランス状態に入ったかのようになり、自分も頭がクラクラしている。

シテが、幣を真後ろに投げ捨てた。
スローモーションのように、時間軸が変化し、地の底から、両手が上がり投げ捨てた。

空間は、清浄になった。
空気の揺れは一気に収まった。
自分も、目が覚めたかのように元の時間軸に戻された。

あれから、スローモーションの経験は、一度もない。

能の観始めに、こんな体験をしたら、
抜けられなくなる。

もし、もう一度、こういう体験ができたら。

能を観るのを、やめてもいいな。

でも、無いだろうな。

結局、観続けるのだろう。







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