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自己紹介⑤

彼がずっと教えてくれていた大切なもの




人や見えないもの




退店したのちに気づきました。

と、ともに伝えることのできない「ごめん」を心の中でずっと思い続けることしかできない。

既読にならないLINEを送る。
子供のお墓に行く。
そんなことをしても何も変わらないのに。



仕事をスタートする気力もなく、14歳の頃から続いていた摂食障害は日に日にひどくなっていきます。

「顎デブ」そう彼氏の友達に言われたひとことをきっかけに、食事を摂らなくなり、体重は30キロ台にまで落ちました。
その状態をずっと維持することができるわけもなく、
反動で食事を一口、二口。
その一口、二口ですら体内に残しておくのが怖くて、指を口にいれます。
入れたらすぐにでてきました。

その1回の吐き出す行為をきっかけに、半端じゃない量を食べて吐き出す過食嘔吐と言われる状態になっていきます。
毎日のように吐き出きていると吐けなくなる日がきて、
指を喉の奥のほうまで入れても嗚咽すらしない。
嗚咽すらしなくなって、怖くなっても食べることを辞めることはできない。
目立つ色などを一番最初に食べることで、吐き出したとき全てを吐ききったことがわかるような目印にしてコンビニのLサイズ満帆にはいるくらいの食料を一回で摂取しますが、ひどいときは、過食嘔吐を1日に何度もしていました。
出さないと気が済まず、食事と水を大量に体内にいれ、腰をかがめ、指を喉の奥の奥のほうまで入れ、指だこができるまで、体が覚えている吐き出し方で出します。

お店で働いていた期間は、
記憶があまりないですが、深夜2時、3時になっても過食嘔吐をしていた日もありました。

そんな日々を過ごしていた私は、
退店後、朝から夕方まで過食嘔吐をするようになっていました。




死にたい。




これなら切れないだろうと思ったカバンの紐をくくり、首にかけます。

一瞬気を失い
地面に落ちて死ねなかった。





そのとき、娘のことを思い出しました。
娘の死が教えてくれたこと。
その分まで生きなければならないと。


娘は彼や私、彼のご両親や私の母親が望んだ子ではなかったかもしれない。
でも、この世に存在した命だった。
それは、私の母親が子供を身ごもったことを責め立てる中で、彼も彼のご両親も私を家族のように受け入れ、「生みなさい」と言ってくれたから。


そして、家族の愛情を受けずに育ったことを忘れられるほど、私を大切にしてくれたから。


注いでくれた愛情があったから、まだ進もうと思えた。




話は少し脱線しますが、私の家庭環境をお話します。
統合失調症の父親のもとで育ち、母親は父親の統合失調症をきっかけに虐待するようになりました。
父親の発症時の記憶が曖昧ではありますが、
記憶に残っているのは、父親が幻聴が酷く閉鎖病棟に入院しており、たまに外出してくるときが怖かったことです。
怖い理由は、
何が起きるかわからないこと。
幻聴によって母親を突き飛ばしガラスを割ったり、
殺されると言って止められない力で振り払い居なくなったり、包丁を持ち出したりすることによって、
警察がくることもしょっちゅうでした。
私にとって父親は、おばけのように怖かった。
そんな父親を支えている母親は、
お金のこと・世間体を常に気にして話すようになっていました。
私は母親の相談役のようになり、話をずっと聴いていましたが、
母親がストレスが溜まったときには、
ツバを吐かれたり、
車に一緒にのれば急ブレーキをかけて「殺してやろうか」と言ってきたり、
「生まれてこなきゃよかった」と言われ
殴る蹴るはなかったものの、
精神的な虐待が続くようになったため、それもまた怖がった。
子供をみごもったときも、
「どうするの?またお金かかるじゃない。」そういって責め立て、
子供が産まれてからも「うるさいんだよ。」とか、
「だまれ」と手を振りかざし、殴る素振りをすることもありました。
怖かった。



そんな状況下の私に愛情を注いでくれたのが、
彼と彼のご両親でした。



注いでくれたいたときになぜ気付なかったのか
なんてひどいことをしてしまったのか
気づくのは遅かったけど、
返そうそう想えた。






そして、新たな道を探しはじめます。






次回に続く。

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